貢蕉の瞑想

青梅庵に住む貢蕉の日々のつぶやきです。

取り沙汰されることの多い一句!

2021-10-14 11:54:23 | 日記
令和3年10月14日(木)
山路来て 
  何やらゆかし 
      すみれ草
 山路を来つつ、ふと目にした菫草に
何ということもなく心が惹かれる、
の意。
 貞享二年(1695)の作。
「ゆかし」・・・好奇心や親和感が
   換気されたことを示す形容詞。
「すみれ草」・・・ここは濃紫色の花を
      指す。
 路傍に咲く花への名状しがたい感情を
名状しがたいまま「何やらゆかし」と
率直に表現した点が画期的。
 初案は熱田の白鳥山法持寺で興行され
た歌仙(熱田皺箱物語)の立句で、
上五「何とはなしに」日本武尊の神霊の象徴
を菫草に見る説や、
西行の菫歌との関係に着目する説もあり、
歌学の伝統を盾にした湖春の非難(去来抄)を
含め、多くの言及を誘ってやまない一句。


「○○がなくなった。」という初の発句形式

2021-10-13 10:57:20 | 日記

令和3年10月13日(水)
 馬上の吟
 道のべの 
   木槿は馬に  
     くはれけり
 道端に咲く木槿の花は、あっと見ている
間に、自分が乗る馬に食べられてしまった、
の意。
 貞享元年(1694)の作。
 真蹟懐紙には、「眼前」の前書き。
 初期俳諧の発句が基本的に
「○○は□□だ。」式の認識提示であるのに
対し、ここでは「○○がなくなった。」
という事実を十七音で示し、
それでも詩たり得ることを示した点で、
大きな意義を持つ。
 素堂序に
「山路来てすみれ、道ばたのむくげこそ、
此吟行の秀逸」(波静本甲子吟行)とある通り
で、ここに風諭などを読む必要はない。
◎ つい美しいと見とれていた花が
馬に食われて影も形もなくなる瞬間を
とらえて、何やら幻を見たような感じの
句であり、あり得ないことが起こった驚き
の句でもある。
 つまり、馬の上で美しいなとのんきに
眺めていた花が、瞬時に消えてしまった
動転の句であり、
芭蕉にしては初めて開かれた句の世界
である。


「氷の僧」・・写生力と独創!!!!

2021-10-12 11:17:50 | 日記
令和3年10月12日(火)
二月堂に籠りて
水とりや 
   氷の僧の 
      沓の音
 お水取りの凍り付くような気配の中、
僧たちの沓の音が響き渡る、
の意。
 貞享二年(1695)の作。
「氷の僧」・・・寒夜の行に励む僧という
     造語的表現。
「沓」・・・僧侶が儀式用に道内で履く
木製の履き物。
 厳粛な宗教て行事に取材し、聴覚の
一点に全体が収斂する表現方法を採った
意欲作。
 発想段階では、「水鳥→氷」(類船集)の
詞の連想があったとも指摘される。
◎ 師匠語る。
「私もお水取りの行法を見たが、大松明の
火花が雨のように降ってくる光景に
気をとられて、行法僧たちに沓の音に
気付かなかった。
 粉雪降る寒い中にいる僧を、「氷の僧」
と形容し、
彼らの履いている沓は、檜の厚い板で
床を踏むと、大音を立てる。
 特に、大勢の行法僧が立てる鋭い靴音
のことは聞き漏らしてしまった。」
と。
 特に、「氷の僧」などという凄まじい
表現には驚かされる。
 芭蕉の表現の独創と写生力の的確さ
には頭が下がるのみ。


哀れな最期を秋風に!

2021-10-11 10:53:22 | 日記
令和3年10月11日(月)
義朝の 
  心に似たり 
     秋の風
 この句の続き物もの。
◎ 十二世紀の平治の乱の時、
平清盛に敗れた源義朝は、父を殺し、
家来に殺されるという目に遭う。
 この武将の愛妾常磐の塚に出合い、
人間は義朝ほどの人物さえ矛盾した
悲劇に出合う。
 「義朝の心」の複雑で奥深いところを
思い、思いは義朝の哀れな最期を
めぐっていく。
 それを、冷たい秋の風ととらえた一句で
総括したところが、芭蕉の凄さである。


「常磐に義朝」「月に秋風」の連想句!

2021-10-10 11:05:52 | 日記
令和3年10月10日(日)
義朝の 
  心に似たり 
      秋の風
 侘しく吹き付ける秋の風は、
殺戮の世に非業の死を遂げた義朝
の心情を偲ばせる、
の意。
 貞享元年(1694)の作。
「義朝」・・・源義朝。常磐はその寵妾で、
  東国に赴く際に命を落とし、
美濃の山中に葬られたとの伝説がある。
 紀行本文に
「やまとより山城を経て、近江路に入て
美濃に至る。いま山中を過て、
いにしへの常磐の塚有」
とし、
守(もり)武(たけ)の付句を引きつつ、
「いづれの所か似たりけん。我も又」
と記しつつ掲載。
『守武千句』第三の
「月みてや 
  ときはの里へ 
     かゝるらん 
よしとも殿に 
    似たる秋風」
がそれで、
「常磐に義朝」「月に秋風」の連想に
よって月を擬人化し、
自分に飽きた義朝を常磐が恨むという曲
の設定を行った付合。
 芭蕉は歐陽永叔「秋風ノ賦」に、
「常ニ粛殺ヲ以テ心ト為ス」(古文真宝後集)
とある秋風ノ凄まじいイメージを重視し
戦乱の世とて血縁の者とも戦わざるを
得ない義朝の心を思いやって、
両者の間に相通じるものを察知した。