巨樹と神社仏閣
日本の神社仏閣の巨樹は信仰の場として威厳と聖地としての落ち着きがある。
建造物に続く杉並木や長い石段 苔むした地面も日本の風景と思う。
本殿の前には巨樹の神木が二本
建造物と共に日本の凄い文化だと思う。
庇護する大名や庶民の寄付や労働力がないと維持できなかった。
どこかの腐りきった宗教団体とは大違い。
木造建築は二百年毎に解体補修が必要。
止めたと言う時代があれば法隆寺は残らなかった。
外国の信仰施設を見ても日本のように森林に覆われていない。
インドの宗教に凝る人がいて聞くと、インド中国の寺院は建物が中心で森に囲まれる事はない。
リスト教やイスラムも建物中心だ。日本の神社は山全体が聖地になっている。
宗教は教祖を祀るが神社は山や岩や大木も滝も信仰の対象だ。
明治神宮や徳川家康を祀る日光や武田信玄を祀る武田神社、二宮尊徳や吉田松陰を祀る神社は例外的にある。
巨木がよく守られたものだ。いくらかの危機があった。山火事、地震、台風、戦や戦争、
長崎の山王神社の大楠二本は原爆で幹だけになったが2ヶ月後には芽がでた。
その後弱ったので検査したら石や鉄が喰い込み徐去し回復する。今も残る。
東京も地方都市も空襲で建物も大木も被害にあっている。
日露戦争のあと戦費を稼ぐため神社を30万から8万に削減して材木得る計画があがる。
南方熊楠が猛反対したが実行される。伊勢神宮のお膝元の三重県は走っていても村の鎮守がない。
定年後は神社仏閣の巨樹巡りが楽しみである。