懐かしい昭和の情景を追って

過去に撮影したネガをフィルムスキャナーで電子化しています。蒸気機関車、古い町並み、茅葺民家を投稿します。

日本茅葺紀行  NO,134 蕨野行の撮影に使われた家

2014年05月31日 | 日本茅葺紀行
撮影場所 山形県川西町

市原悦子主演の蕨野行(わらびのこう)の映画の撮影に使われたと入り口に看板が掛かっていた。蕨野行は六十歳になると蕨野という場所に姥捨てられる。姥捨てられた人々の生き方を映画化したものです。山形県下を一年間にわたりロケしている。撮影の中心は飯豊町となっいている。

この家は曲がり屋の茅葺の母屋と離れそれに小屋が茅葺の民家である。母屋の向こうに離れの茅民家がある素晴らしい民家である。
田圃の畦道から撮ると三軒が撮れるようだ。
私は車椅子が入らないので正面しか撮っていない。
車が何台か置いてあって撮影にいささか目ざわりではある。
若夫婦の隣に新しい現代風の家を建てている。
重要文化財でもないのにこんな民家が各地に残っているのが山形県の凄さである。

次に訪れた時にはこの看板は無かったが民家は健在であった。
しかも同じ場所に車が停まっていた。


蒸気機関車 B20蒸気機関車

2014年05月30日 | 蒸気機関車
撮影場所 北海道小樽築港機関区

小樽築港の機関庫に置かれていたB20形蒸気機関車、
もう休止状態だった。B20形は構内入れ替え用で15両造られたと書かれている。
鹿児島機関区にB2010号機が現役でいた。
梅小路に保存されたのはファーストナンバーでなく現役で使われていたB2010だった。

小樽築港にはC62も一緒の機関庫に入っていた。

岡山の茅葺民家写真展 -16 四季の風景 春

2014年05月29日 | 岡山の茅葺民家写真展
撮影場所 岡山県新見市豊永


今回から4回にわたり四季の風景をお送りします。
今回は春、三椏(みつまた)の咲く風景
三椏は早春に白い花を咲かせる。
山に花の少なく木の葉が出揃っていない時期なので地味な花だが遠くから目に付く。

三椏は枝が三方に枝分かれするのでこの名がついた。
和紙の原料として大切に育てられた。紙幣の紙として重宝されている。
透かしが入れられる事と印刷の乗りも良いと言われている。

沈丁花科なので沈丁花と花の時期も枝ぶりもよく似ている。
沈丁花も枝は三方に分かれている。
廃屋の裏山に三椏だけが花を咲かせる風景もどこか虚しい。
半ば野生化している地域もある。
挿し木で簡単に増やせるが野生化したものは種で増えるのであろうか
沈丁花科は移植が難しい移植の際に切断された根は再生しない。
移植するより挿し木して植えた方が成長も早いし確実である。
沈丁花科は長くても15年程で枯れてしまうので移植は得策でない。

新見市豊永地区はカルスト台地、カルスト台地には川は少ないがしみ込んだ水は鍾乳洞を通りあるところで湧きだしている。この川も鍾乳洞から湧きだした水が川になったのであろう。



茅葺民家 小川のある風景

2014年05月28日 | 茅葺き民家
撮影場所 島根県伯太町(現在は安来市)

小川が流れていて小屋が二軒あった。
昔ながらの懐かしい風景にシャッターを押す

10年もして訪れたらこの小屋も周辺の茅葺民家もトタンを覆ったり撤去されていた。
山間の集落は人も住まなくなるケースもある。
これからの時代は田舎を捨て都市部に人が集中する傾向がある。
これから40年も50年も生きられる人は日本の過疎集落を刻銘に記録する事をお勧めする。
日々の変化は小さくとも何十年も経つと時代の変化がわかる。
それは映像で残すしかない。

常に水の流れている川には蛍がいる。蛍の幼虫のエサの川蜷は川の流れのある場所にしか棲まない。田螺は丸く滞留した水に住むが川蜷は流線型で流れの抵抗を受けない形をしている。
もうそろそろ蛍のでる時期だ、あと何年蛍が見られるかと思いながら毎年郊外の川に見に行く。




日本茅葺紀行  NO,133 口のある茅葺民家

2014年05月27日 | 日本茅葺紀行
撮影場所 新潟県糸魚川市

糸魚川市の山中の民家は寄棟にも関わらず屋根の途中に口のような煙抜きが付いている。
日本海も福井県敦賀あたりから山形県南部までを越(こし)の国と呼ばれ茅葺民家にも特徴があると書いてある。福井県丸岡町の千古の家のような形の民家が以前には残っていたのではと思われる。その後、越の国は越前、越中、越後と名前を変える。
しかし、現在は茅葺民家が姿を消してその痕跡を追い求めるのは難しくなった。
昭和30年代ならば手掛かりがあったかもしれない。

寄棟の屋根の途中に煙抜きを設けるのは山形や青森の八ッポーがあるが暴風雨の時の雨風の吹きこみのリスクもある。雨の吹き込みを抑えるように口をとがらせた形になっているのであろう。
今の茅葺民家は端正な物が多い、こんな煙抜きは昔の民家の特徴が残され味がある。










懐かしい物 木の半鐘

2014年05月26日 | 懐かしい物
撮影場所 岡山県倉敷市真備町

木の半鐘は緊急時の情報伝達手段として各地に建てられたが携帯電話をみんなが持つ時代になり次々と撤去された。
昭和40年代になり各家庭には電話が設置されたが木の半鐘や火の見櫓は残った。
しかし、携帯電話の時代になりさすがに木の半鐘は無用の長物になってしまった。
お寺の梵鐘や起床ラッパは時を知らせる手段であった。
ナニコレ珍百景を見ていたら沖縄の離島で広報誌を配る日は法螺貝を吹いて取りに来てもらう集落が紹介された。若い奥さんは法螺貝を吹く練習をしないといけない。それでも慣れればうまく吹くものだ。もちろん珍百景登録となった。

街角にあった掲示板や駅の伝言版も情報手段のなかった時代の工夫であった。
古い町並みの写真の中に街角に掲示板が写っていてうれしくなる。
若い人に街角の掲示板と言ってもパソコンのどこにあるのかと
いわれそうだ。
フィルム時代はなんでもやみくもに撮る事はフィルムが惜しいのでやらない。
しかし、木の半鐘は将来消えて無くなるとは思ったがガソリンを使ってまで探しまわるものではなかった。

岡山の茅葺民家写真展 -15 茅並ぶ その3

2014年05月25日 | 岡山の茅葺民家写真展
撮影場所 岡山県加茂町物見(現在は津山市)

物見に三軒茅葺が並んで撮れる場所があった。
これは佐野昌弘氏の茅葺民家の写真集にも出ている場所である。
加茂町物見は峠を越えれば鳥取県智頭町である。
JRは長いトンネルで鳥取県智頭町に入る。
道路はくねった物見峠を越えて智頭町に入る。
私は中国山地の峠をすべて越えて周辺の茅葺民家を探す目標をたてた。
この物見峠を越える人はほとんどおらず一台の車にも会わなかった。
冬季の積雪時は通行止めになる。

ここの集落はどん詰りの集落ではないが峠越えで他県のためにこの感がある。
しかし、ここまではそんな登りでないため集落に子供も住んでいた。
いまはどうであろうか茅葺民家も沢山在ったが今は人が住む家は一軒のみ無住の民家も
取り壊すと言っていた。

茅葺民家 煙草のある風景

2014年05月24日 | 茅葺き民家
撮影場所 兵庫県今田町(現在は篠山市)

今田町から丹波篠山である。
六古窯のひとつ立杭焼きも分かりにくいので丹波焼に名を変えた。
六古窯のひとつ備前焼きも伊部(いんべ)焼きでは分かりにくいので名を変えたら人気がてい゛てきた。
姫路から京都の亀岡に走る国道372号線はこのあたりではデカンショ街道と呼ばれている。
丹波篠山はデカンショ節の土地柄である。

私が初めて通ったのは京都美山町に行く時であった。
山陽自動車が出来ていなく一般道をひたすら走った。
丹波篠山の風景は落ち着いた日本の風景であった。
こんなところが平成の時代にも残っているのだと思った。
昭和50年以降は写真も撮っておらず丹波篠山に来る用も無かった。

丹波篠山の入り口の今田町の茅葺民家の横の畑に煙草を植えてあった。
煙草自体が珍しくなり撮影した記憶がある。
日本での煙草の栽培は激減している。喫煙者の減少と外国産の安い葉の輸入が原因だそうだ。
煙草の販売数をネットで調べて見ると30年前に比べると半減しているが近年では横ばいである。外国産の煙草の輸入もあり国産の煙草の生産は激減しているのであろう。
ところが先日のナニコレ珍百景を見ていたら愛媛県久万高原町には一面煙草畑が広がっていた。珍百景に登録されたが岡山でも20年前はごく普通に見られた風景だった。




ボンちゃん

2014年05月23日 | 日記
秋の寒い日に車から猫の声がする。
ボンネットを開けてやっと見つけた子猫
薄汚れて痩せこけて貧相な猫だった。
自分の車のボンネットにもぐり込んでは捨てて帰るわけにはいかず我が家の一員になった。
あれから八ヶ月成長したので去勢をして家の中だけで飼っている。
名前はボンネットのなかにいたのでボンちゃん

生まれてしばらくして捨てられたか迷子になったか親や兄弟と遊んでいないので社会性が身に付いていない。人がくると怖がって出てこない。野良をやっていたので人やイヌに追われたのであろう。しかし、家内は親と思っているのかしきりにスキンシップをしてくる。


現在のボン 猫も成長とともに毛の色が濃くなるものだ




日本茅葺紀行  NO,132 岡山県総社市の茅葺民家

2014年05月23日 | 日本茅葺紀行
今年正月に心筋梗塞を起こし肺に水がたまる心不全となり一カ月の入院となる。
身体が不自由ななりに生きていられるだけ有難い。
入院の時は食事が食べられず美味しくなかった。食事が美味しくなったのは有難い。
リスクのある身体なのでいつ死んでもおかしくない。

一度死にかけた身体だ、新しくフルサイズのデジカメを買ってもう一度日本の風土を撮ってみたいと思うようになった。
まずは近くの茅葺民家を撮影した。
近くの茅葺民家はカメラを買う都度撮影対象になるので何枚も残っている。
岡山の茅葺民家も随分減った。
時代はゆっくり日々変化している何十年も経過するとその変化の大きさに気付くものだ。
街中から公衆電話ボックスを消えていくのにも気づかなかった。

少子高齢化、進む過疎化や限界集落、TPPへの参入、国や地方自治体の大借金の問題
今後時代はどう変わるのか、写真は「未来を見据え現在を記録することだ」と言われているが先読みは難しい。素人の先読みなど当たったためしがない。
素人にできる事は、ひとつの物を時間を掛けて追い続ける事かと思う。