懐かしい昭和の情景を追って

過去に撮影したネガをフィルムスキャナーで電子化しています。蒸気機関車、古い町並み、茅葺民家を投稿します。

茅葺民家 ダムに消えた風景

2020年02月25日 | 茅葺き民家
撮影場所 島根県旧木次町
斐伊川水系の尾原ダム、治水と発電、灌漑用水や生活用水確保の為に建設された。
ダムは集落の集団移転があり反対運動があり妥協するのに35年も掛かる。
しかし、建設が始まると早いもので8年位で完成した。
ダムは治水の役割は、近年の集中豪雨や台風には余り機能していない。
ダムの貯水量は空でも、150mmの降雨量で満水になる。
洪水で被害の出るのは、250mから450mmの降雨がある。
ダムレベルが80%と高ければ、治水の役割はほとんどない。

ダムの出来るエリアは、水没しない民家も立ち退く。民家は撤去、樹木は伐採される。
コンクリートの役場などは残る。
昭和の時代にはダムの建設で数多くの集落が消えた。


日本茅葺紀行 NO,535  大分県旧天ヶ瀬町 

2020年02月23日 | 日本茅葺紀行
茅葺民家の横を、買い物車を押し通る女性に声を掛けて、撮らせてもらう。
茅葺民家に写る、土地の風景に土地に住む人が、入る写真が好きだ。
その土地に暮らす人も風景の一つである。
話しによっては面白い土地の話が聞けるかもしれない。

人間は過去に行った場所を、回想して行くより知らない土地に行くと思う。
失恋や哀しい別れがある人は行くかも知れない。
二度目は二番煎じになる。風景も茅葺民家は消え懐かしい風景でないかも知れない。
九州まで行き同じ場所には行きたくない。
私の旅は一回限りが多い。身体的な障害もあり旅は難しくなった。

認知症

2020年02月22日 | 日記
介護施設に通っていても認知症の人は判別しにくい。 
スタッフも守秘義務があり個人の問題は絶対に言わない。
Aさんは今年から介護施設に来始めた。80歳の男性、歩くのもしっかりしている。
どこが悪いのかも聞きずらい。高校で硬式野球をやっていた。今でも走れるという。
2月の中旬になり、こんな事を言った、今日初めて介護施設に来たが帰りはどうするのかという。
毎週会うので5回は見ている。今日は何で来たのかと聞いたら分からんという。
介護施設に来る理由が分かった。

Bさん歩行や運動機能は問題なし、会話も偉そうに言うしどこに問題があるかと思った。その人のテーブルを見たらノートと筆記用具があり、日付ややった事を書いている。私はそのノートと見ていて、何故書いているのかと聞いたら他人の物を勝手に見るなと怒り出す。先日、送迎の車で一緒になり出発前に奥さんから電話があり買い物が少し遅くなる。降りるのは最後にしてほしいというものだった。誰かが監視していないと10キロも出歩き帰って来れなくなるそうだ。

認知機能の落ちている人は、曜日が言えないスケジュール管理ができない。
どんな年寄りになってもスケジュール管理は必要である。
病院や介護の日、打ち合わせや宴会、家族の誕生日や年金支給日、好きなテレビの録画予約、プロ野球や高校野球、大相撲の開幕、ゴミ出し日
そんな物に関心も無くなると脳の機能は低下していくと思う。他人にスケジュール管理を任せるようになると益々低下する。年寄りにはスケジュ―ル管理が欠かせない。多湖輝氏の言うように年寄に必要なのは「きようよう」と「きょういく」だ。
今日はどんな用があるか 今日行くところあるかがボケ防止には必要か

インフルのウイルスが弱くなる季節条件

2020年02月20日 | 日記
コロナウイルスが猛威を奮い、人の集まるイベントが中止になっている。
家内の知り合いも、やっと東京マラソンに当選し練習をしていたのにガッカリだ。
次の日曜日の吉備路マラソンは予定通り実施される。家内も出場する。
握手やハイタッチは禁止だそうだ。
日本の一番の懸念は東京五輪の中止である。中止になれば韓国が大喜びする。
春の選抜高校野球やプロ野球の開幕に支障が無ければよいが。

コロナウイルスやインフルウイルスを、怖がるばりでなく特徴を理解してみた。
1.ウイルスは人体や動物の臓器 喉や肺に付着寄生する。
手や身体に付着ではしばらく生きている。
外では15分で死滅する。
2.気温が10度に低下すれば活発に活動する。20度以上になれば活動が鈍くなる。
夏場の高温には弱い。
3、乾燥に強く湿度に弱い。湿度50パーンで活動が鈍り65%で死滅する。
加湿器、マスクで喉の乾燥を防ぐ。マスクでウイルスは防げない。吐いた息で喉の乾燥を防ぐ効果がある。湿気があると軽いウイルスが飛べなくなる。
大雨はウイルスを洗い流すの効果あり。
4.紫外線に弱い。夏場の強烈な太陽では生きられない。

季節インフルやSersの時も気温湿度の上昇の5月中には終息している。
3月一杯は猛威を奮うか

私の昭和鉄道遺産 その113 岡山機関区

2020年02月18日 | 私の昭和鉄道遺産
岡山には沢山のD51型の機関車が来ていた。
同じ形式の機関車ばかりで、いい加減に飽きていた。
趣味もマンネリ化しない工夫がいる。新しいテーマや課題を絶えず考えることか。
蒸気機関車は保存、復元以外は全廃になった。
同じ形式でも撮影できるのはありがたい事だった。 
回りには廃止になった、貨物列車や昭和の民家や田園風景が残っていたはずだ。
全蒸気機関車を撮るとか、電気機関車も撮る楽しみもあったとおもう。

懐かしい物 煙草乾燥小屋

2020年02月17日 | 懐かしい物
撮影場所 岡山県吉備中央町

岡山の山間地も煙草の栽培が盛んで、煙草の乾燥小屋も沢山あったと思う。
どこにでもあった頃は気づいてもいない。人間はそんなものだ。
土壁で瓦ぶきに換気口が付いている。
写真展をやった時に、煙草の栽培の盛んなところは子供も手伝わされた話をする。
乾燥小屋に入ると煙草の葉の匂いがする。乾燥のために七輪に炭を入れ温度調整をしていた。
煙草の葉をもいだ軸は風呂の燃料にしていた。煙草と同じ匂いがした。
風呂焚きは子供の仕事で、煙草の臭さが辛かったが、そのうちに慣れ18歳になったらタバコ吸いになった。
私は農家でなかったのでこん記憶は残っていない。

匂いは何歳になっても記憶に残る。蒸気機関車の煙の匂い、ガソリン車の排ガスの匂い。昔は酷い匂いも沢山あった。

野村克也氏の記憶

2020年02月16日 | 日記
野村克也氏は先日、84歳で亡くなられた。
我々世代には強く記憶に残る人の一人である。人生の履歴などで生い立ちやプロ野球入団のエピソードが語られた。
長嶋茂雄や王貞治のような注目された選手ではなく。プロ選手と言いながらブルぺンキャッチャで入団している。契約金はなく10年程ブルペンでピッチャーの球を受けるために雇われた選手だった。一生足軽で終わる運命であった。
会社員で言えば正社員と契約社員の開きがある。
野村自身もブルペンキャッチャーの存在を知らず入団した。生まれ育った町では初めてプロ選手と駅ホームで見送ってくれた。

西鉄ライオンズには野村と同じ境遇の選手がいた。バッティングピッチャーで採用された稲尾和久だが入団の年に21勝をあげ大投手に成長した。
野村克也と稲尾和久は漫画の物語の世界である。
こんな、どこにもいそうな無名の選手が、大スターに成長するのは読んでも面白い。

野村氏は選手としても監督としても素晴らしい功績を残している。経営者の講演会も人気があった。月間に40回の講演があった。移動日もあり一日に二回の講演会も多かった。

野村氏の試合の記憶
1.日本シリーズ ヤクルト-オリックス 売り出し中のイチローをインコース高めを攻め封じ込み、シリーズを制した。しかし、何年かしての対戦ではイチローはインコースを苦にせずお返しをした。
2.オールスター パリーグ監督 仰木さんがイチローをピッチャーで登板させる。セ・リーグ野村監督は代打をだしピッチャー高津を送った。草野球じゃああるまいしの思いもあったのか

野村克也の嫌なりところ
死んだ人の悪口は言うなというがどうしても言いたい。
南海ホークスの監督兼選手時代に愛人だった沙知代氏が試合や選手起用に指図したこと。女帝として好き勝手をさせた。

野村克也は南海電鉄の令嬢を嫁にしていた。令嬢は家事ができない不倫している金使いが荒いと散々非難して略奪結婚している。選手の告白で野村は南海を追われる。風俗あがりの沙知代氏は百戦錬磨で口が立つ、脱税や学歴詐称とトラブルメーカーだったが、野村克也を成長させは沙知代氏であろう。
晩年はマスコミ沙知代氏の悪口を言わなくなりオシドリ夫婦と称えた。

私は野村氏の前妻は控えめな人であったそうだ。その後、どんな人生を送ったか気になるところだ。

茅葺民家 雪の美山町

2020年02月13日 | 茅葺き民家
雪の降る日に美山町まで一般道で行く。随分時間が掛かる。
幸いに美山町まで雪は降るが積雪は無かった。
美山町でチェーンを着ける。
私の住むところは、雪が降るのが年に1回くらいだ。

雪の風景を見慣れておらず憧れもある。
しかし、雪が降ると茅葺かトタンの区別も、つかず構造も見えない。
手前に釣瓶井戸があった。

木造建築とプレハブ建築

2020年02月11日 | 日記
長男は他府県で積水ハウスのプレハブの民家にすんでいる。
次男の木造民家が好きで木造の民家を建てた。
岡山に帰省したので次男の木造民家を見学に行った。
私は地震や台風を考えると、プレハブメーカーかなと思っていた。
しかし、最近の木造も耐久性はあるようだ。

長男が見学を終えて感想を聞いたら、プレハブは軽量鉄骨のため金属音がする。
木造は音が柔らかく匂いもいいと言っていた。
それは知らなかった。

25年位前のミサワホームの社長の新聞記事に、21世紀は80パーセントがプレハブメーカーの民家になるというものだった。
プレハブメーカーは強烈台風や巨大地震の都度、プレハブの耐久性を宣伝文句にしてきた。
阪神大震災でもプレハブで壊れた民家はありません。木造の脆弱性を写真に使っていた。しかし、傾斜地に建つ民家は何軒も埋めたて地が崩落して壊れていた。

しかし、田舎は木造民家が頑張っている。我が家も木造だ。あと20年は頑張ってもらう。木造でも70年はもつだろう。
うちは土壁のためパソコンの無線ランの電波が減衰する欠点がある。
電波はガラスや保温材の壁は減衰せず通過するが石や泥は通りにくい。


日本茅葺紀行 NO,534  山形県飯豊町 

2020年02月09日 | 日本茅葺紀行
豪雪地帯である。
こんな地域では私は暮らせない。雪国の人は我慢強いのだろう。
私はそんな我慢が出来ない。
雪国の人は春になれば楽しみがある。
山菜が出る。雪解けを待ち一斉にでてくる。
そんな楽しみがあるから雪国でも暮らせるのだ。

青森の岩木山の中腹で駐車場に車を止めていた。
三人の女性が山に入ろうとしていた。80歳越えの女性2人に30歳代の女性一人の組み合わせに興味が湧き聞いて見た。これから山菜採りに山に入るという。若い女性は山菜取り名人に同行して習うところだ。私らの車のナンバーを見て岡山から来ているのかと聞いた。その女性は昨年までは、広島県の福山市に住んでいて夫の転勤で弘前に住んでいるそうだ。弘前に住み1年も経たないのに地元の知りあいを作り、土地ならではの楽しみを見つける順応性に感心した。