野村克也氏は先日、84歳で亡くなられた。
我々世代には強く記憶に残る人の一人である。人生の履歴などで生い立ちやプロ野球入団のエピソードが語られた。
長嶋茂雄や王貞治のような注目された選手ではなく。プロ選手と言いながらブルぺンキャッチャで入団している。契約金はなく10年程ブルペンでピッチャーの球を受けるために雇われた選手だった。一生足軽で終わる運命であった。
会社員で言えば正社員と契約社員の開きがある。
野村自身もブルペンキャッチャーの存在を知らず入団した。生まれ育った町では初めてプロ選手と駅ホームで見送ってくれた。
西鉄ライオンズには野村と同じ境遇の選手がいた。バッティングピッチャーで採用された稲尾和久だが入団の年に21勝をあげ大投手に成長した。
野村克也と稲尾和久は漫画の物語の世界である。
こんな、どこにもいそうな無名の選手が、大スターに成長するのは読んでも面白い。
野村氏は選手としても監督としても素晴らしい功績を残している。経営者の講演会も人気があった。月間に40回の講演があった。移動日もあり一日に二回の講演会も多かった。
野村氏の試合の記憶
1.日本シリーズ ヤクルト-オリックス 売り出し中のイチローをインコース高めを攻め封じ込み、シリーズを制した。しかし、何年かしての対戦ではイチローはインコースを苦にせずお返しをした。
2.オールスター パリーグ監督 仰木さんがイチローをピッチャーで登板させる。セ・リーグ野村監督は代打をだしピッチャー高津を送った。草野球じゃああるまいしの思いもあったのか
野村克也の嫌なりところ
死んだ人の悪口は言うなというがどうしても言いたい。
南海ホークスの監督兼選手時代に愛人だった沙知代氏が試合や選手起用に指図したこと。女帝として好き勝手をさせた。
野村克也は南海電鉄の令嬢を嫁にしていた。令嬢は家事ができない不倫している金使いが荒いと散々非難して略奪結婚している。選手の告白で野村は南海を追われる。風俗あがりの沙知代氏は百戦錬磨で口が立つ、脱税や学歴詐称とトラブルメーカーだったが、野村克也を成長させは沙知代氏であろう。
晩年はマスコミ沙知代氏の悪口を言わなくなりオシドリ夫婦と称えた。
私は野村氏の前妻は控えめな人であったそうだ。その後、どんな人生を送ったか気になるところだ。