懐かしい昭和の情景を追って

過去に撮影したネガをフィルムスキャナーで電子化しています。蒸気機関車、古い町並み、茅葺民家を投稿します。

蒸気機関車 福岡県後藤寺駅発車

2017年12月31日 | 蒸気機関車

本年も当ブログに立ち寄りいただき有難うございます。
来年も引き続きお立ち寄りいただけるよう投稿いたします。
長年やりますとマンネリ気味になり惰性でやっているところもあります。
日常の会話や拾った話も織り交ぜて生きている証を残したいとおもっています。

9600型蒸気機関車が貨物を引き後藤寺駅を発車 門鉄デフの機関車だ。
線路に入り撮影している。
ポイントが切替間違いがあると脱線して止まらずあたりに貨物をまき散らしてなぎ倒してくる。
線路の中に立ち入り事故に遭っても補償は軽減されたであろう。
そう考えるとその当時の鉄道ファンは随分無軌道な事をやっていた。

パソコンが出来てフィルムネガも電子化できて画面で見られるようになり便利なものだ。
プリンターでプリントも出来てアルバムでも見られるようになった。
いくら便利になっても過去を撮影することは出来ない。
現在も蒸気機関車を走らせ撮影はできる。
しかし、過去の写真がやっぱりいい。昭和の薄汚れた泥臭い風景が昭和を生きてきたものには心地よい。




懐かしい物 倉敷市茶屋町の街並み

2017年12月30日 | 懐かしい物
倉敷市茶屋町には昔ながらの込み入った家々が並び古い本瓦葺きの民家が残っている。
瀬戸大橋線の快速も停まる駅もあり便利なため住宅も増えた。
スーパー四店にホームセンターもあり便利になった。

私が茶屋町の近くに家を建てた時は店もなく家内に買い物で迷惑を掛けた。
人口が増えると古い昔の民家は解体された。

写真に写る昔ながらの民家は次々と壊されていった。
今同じ場所から撮っても新しい家や空地になっている。

時々茶屋町を車で走るが長い時間を掛けて街の解体ショーを見てきたように思う。

広島カープ スカウト部長 苑田聡彦氏を見て

2017年12月29日 | 日記
NHKプロフェッショナルで広島カープの名物スカウト苑田聡彦氏72歳の放送があり興味深く見せてもらう。

選手のスカウトとドラフト前の会議の模様はいままで何処のチームも取材させてもらえなかった。
今年のドラフト会議の終了後に放送することで半年の取材が許された。

苑田氏も三池工業高校から広島カープに入団14年間現役後スカウト担当になり40年
武骨な人情味あふれるスカウトである。歩いて足繁く年間350試合見て歩いている。
江藤や金本、黒田を見出してきた。

広島カープは12球団中、11番目の選手年俸の低さ。一番低いのは横浜ベイスターズ
今年の日本シリーズは一番年俸の高いソフトバンクと一番低い横浜ベイスターズの戦いであった。横浜に下克上をしてほしかった。

広島は市民球団のため金のない球団だが41年間黒字の球団経営である。
スカウトも金がないだけに逆指名の出来た時期は苦しかった。

誠意は金の時代であった。働きもしていないのに億の契約金を要求する選手は一番嫌いスカウトしなかった。どんな目で選手の良し悪を見ているのか気になった。

バッターは三振した時をみる、フルスイングしてタイミングは合っているのに空振りする選手はよし当てに行き空振りする選手はだめ。
投手は投手だけみるのではなく野手の動きも見る。投げたコースに野手が動く投手はコントロールがいい。野手の動かない投手はコントロールが悪い。
熊本工業の山口投手をドラフト二位で獲った。制球難があるが育てれば大きく伸びる。関東にはこんな投手はいないと言った。私は夏の大会の関東勢にはいい投手がいたと思ったが伸びしろをスカウトはみているのだろう。
山口投手は四球を出しても下を向く事がないナニクソと向かってくる。今は5球に一球しかいい球がないが五球で四球いい球が投げれれば先発で使える。
投手の黒田はインコースを打たれると次の対戦てもインコースを投げる気の強さがあった。
丸は投手としてはプロでは難しかった。バッティングはセンスやリストの柔らかさがあり野手で獲った。

スカウトとしてはもっといろいろな話もあったと思うが競争相手も多くいるので内輪の話はそこそこに

スカウト人生40年いい人生を生きた人だと思う。

茅葺き民家 棚田のある風景

2017年12月29日 | 茅葺き民家
撮影場所 岡山県旧建部町(現在は岡山)

岡山県の山間地の斜面は棚田が多い。
三軒ある集落も棚田だった。
三軒とも同じ苗字なので本家があり分家が建ったのか。雪の降った後に行ってみた。

水は各家で井戸を掘っている。
しかし、農業用水はなく山から湧きだす僅かな湧き水がたよりである。
天水頼みの耕作地も山の上では多い。日照りが一番怖い。
大雨の続くのも棚田が壊れるので怖い。

天候と戦い壊れた石垣を毎年補修して棚田を維持してきたのであろう。
本家と思われる家は茅葺であった。

撮影して長く行っていない民家や棚田は残っているのだろうか。
若い人がここで農作業をしている風景は見た事がない。故郷を捨て都会で暮らしているのか


日本茅葺紀行 NO,416 レンコンのある風景

2017年12月28日 | 日本茅葺紀行
撮影場所 岡山県総社市

茅葺き民家の周りにレンコンを植えてあった。
蓮の花が咲いている時に来ようと思ったが実行が伴わない。

昼から出かけも蓮の花は終わって閉じている。
行くならば早朝が勝負だ。

家で食べる位の量を植えているのか。
蓮は枯れても絵になる。青葉、花、枯田が撮れる。
枯れると人間の心理とは不思議なもので寂しさやはかなさを感じるのだ。

写真も上手い人は人間の心理や感受性を見抜き光線や時期を考え撮っているのであろう。

この家も壊し大手住宅メーカーの家に建て替えられた。
若い人は使い勝手の悪い手間と維持費の掛かる茅葺民家には住まない。

茅葺き民家が今後も残る要因はほとんどない。
消滅する運命にある建物てあろうだから今撮影しておく必要があるのだ。

私の昭和鉄道遺産 その55 鹿児島機関区

2017年12月27日 | 私の昭和鉄道遺産
撮影場所 鹿児島県 鹿児島機関区

鹿児島本線が電化する前に鹿児島に行った。
九州は交流電化で交流の電気機関車が待機している。
鹿児島への蒸気機関車撮影はこの一回で終わった。
ターンテーブルの横にC57178号機が停車していた。
宮崎機関区の所属であった。昭和46年に廃車になっている。
鹿児島機関区ではC60.C61.C57.D51.C12.B20型の蒸気機関車に出会う事ができた。
九州に住んでいた時期があったのでその時に九州各地を訪れていこればよかったのに先見性がなく根性のない男だ。人生は考えずに努力しないから思い通りに行かないのだ。

その後は車で観光のため鹿児島に何度か訪れた。
歩ければ鹿児島県の温泉巡りをしてみたかった。茅葺き民家も観光用以外ほとんどないので行くこともなくなった。

車のガラス割り盗難

2017年12月26日 | 日記
朝 出勤しようとした息子の車の窓が割られ車内を物色された写真が送られてきた。
警察と保険屋に電話を入れて状況確認してもらう。
倉敷市茶屋町地区で7件の同様の事件が発生している。
金やカード類を物色したようだ。

冬休になり子供の犯行かも大人の物盗りか、腹の立つ犯罪である。
アパートの駐車場で何台も車が停まている。
深夜だと暗いし音を立てないようにわるのだろうか
車を持っている者は小銭のためにガラスを割られてはたまらない。今後も起きる恐れがある。
車内には見えるところにカードやお小金バッグを置くなと言われていた。

ニューヨークなど鍵をするとガラスを割られるので開けたままにすると言われていた。

車両保険を使うと来年からの保険金が上がる。
放火にしても物盗りにしても物騒な時代になってきた。
新聞テレビでもこんな事件が起きていると注意喚起の報道をしてほしいが警察は公表するきかどうか警察の無能さを批判されるので黙っていそうな気がする。

こんな犯罪は市民みんなが監視の目にならないと警察だけでは逮捕できない。
新聞やテレビ、ネットで情報公開と喚起をする必要がある。


懐かしい物 楽ちん楽ちん

2017年12月26日 | 懐かしい物
撮影場所 福島県旧伊南村(現在は南会津町)

福島の下郷町や田島町を撮影のあと磐越道の坂下インターを目指していたら途中の伊南村に沢山の茅葺民家が残っている。
20軒以上残っていた。取り急ぎモノクロとカラーを撮影していたら時間とられる。
奥会津から岡山までどれくらい時間がかかるのかも計算に入れず撮影していた。
まだ私も家内も働いていた。午前11時には出発しないとその日には帰れない。
時刻は午後の4時であった。
定年族になれば時間に縛られず楽なのにと思ったものだ。

定年族になっても自分だけでウロウロできればよいが家内に運転してもらい介助してもらわないと行けない身になっては何もできない。

立ち寄った茅葺き民家でオバアチャンが孫を一輪車に乗せて移動していたので撮らせてもらう。一輪車は不安定、孫をゴロンと転がさないいいのだが
寄棟の母屋と切妻の倉も茅葺きだ。


茅葺き民家 山口県旧川上村の民家

2017年12月25日 | 茅葺き民家
川上村は現在は萩市に編入された。
萩市といえば海岸のイメージだがここは随分山の中だ。
山間に小さな集落が点在する。
そんな中に茅葺民家を求めて細いを走る。
山口の民家は下屋がついていて赤い石州瓦である。
これを見たら中国地方の西半分の民家と想像がつく。
他の地域では見かけない。

訪れた集落は昔ながらの石垣が残る。
石垣に少し茅葺きを入れた写真もほしかった。
この道を10キロも走ると長門峡にいたる。
先週の日曜日の朝の自然のアルバム?で長門峡をやっていた。
長門峡は「ながときょう」ではなく「ちょうもんきょう」と読むのだそうだ。
火山の脆い岩石が浸食され10キロの深い渓谷を作ったと説明していた。

山口で恥ずかしい読み間違いがもう一つある。
萩市の吉田神社に吉田松陰が創った松下村塾の建物がある。
粗末な長屋のような建物だった。「まつしたむらじゅく」と読んだら「しょうかそんじゅく」
と指摘され恥ずかしい恥ずかしい。その時はもういいオッサンだったが
世の中知らん事だらけ。

日本茅葺紀行 NO,415 青森県五所川原の民家

2017年12月24日 | 日本茅葺紀行
青森県の津軽地方には茅葺民家が残る。
かなり残っていたが行く都度減っている。
葺き替えの時期が来たものはトタンを掛けるか取り壊しか崩れたまま放置の運命になる。
そんな津軽の民家を残っているうちに記録している。何度津軽に足をはこんだか、自分で運転が出来れば家内への負担も減るのだが。
青森までは二日掛かりで行かなくてはならない。帰りも二日掛かりである。
ネコを飼っているので餌と水替え糞の処理を毎日してもらわなくてはならない。
子供が毎日家に来て世話してくれている。
一週間休むのも迷惑が掛かる。
自分だけで撮影にひょいと出かければよいが自分の介助もしながらの旅行なので大変だ。

もう一度東北にめ行きたいがいけるかどうかわからない。

この時の津軽行は五所川原から津軽鉄道沿線の茅葺民家を探してみた。
津軽鉄道はストーブ列車が有名だ。五所川原市から津軽中里まで走っている。
途中、太宰治の出身地の金木町も走っていく。

沿線沿いにも点々と茅葺き民家は残っていた。
津軽の民家はどの家も大きく背も高い。中二階で養蚕もできる構造になっていたのか
いつも茅葺き民家は文化財だなあと思いシャッターを切っている。