歌碑を巡る 若山牧水
9月17日は牧水忌である。
1985年宮崎県東郷村で生まれ1928年に43歳で亡くなる。
茅葺民家を探しに岡山県から広島県に向かっていた。
県境に来た時に若山牧水碑とあったので国道から脇道に入る。
普通は走行中に降りるのは面倒でそのまま走るのだが家内と一緒に立ち寄った。
二本松峠という民家の間に歌碑が立っていた。今は公園として整備されている。
若山牧水の代表作といえる 「幾山川 越え去り行かば寂しさの終てなむ国ぞ今日も旅行く」 宮崎に帰省するときに中国地方を旅して詠んだものだ。
明治40年、牧水は大学生、
この歌は自分の住む岡山県で詠まれたことに感動した。何の予備知識もないままの方が出会った時の感動がある。
明治時代にはこのあたりに鉄道はなく山陽線の岡山駅から吉備線に乗り換え湛井駅(総社市)から歩いてきたのだ。当時は靴もなく路面は悪く草履履きである。苦労して歩いたからこの歌は生まれたのであろう。
明治時代は日豊線も大分市までしか鉄道はなく自宅までひたすら歩いたのであろう。
田舎の者が東京に出てくるのは大変な時代だ。
職場には九州出身者が多く、宮崎県東郷村出身者がいて牧水の話をよく聞かされた。
歌人の俵万智さんはこの歌は旅の歌に見えるが、牧水には好きな人がいた。子持ちの人妻に思いを寄せていた。園田小夜子さん、4年の交際があったが叶うことは無かった。恋の歌にも思えると書いてある。
今はホームページやブログで歌碑、石碑巡りをしている人がいる。
歌謡曲、童謡、唱歌、万葉集、短歌俳句 奥の細道、石川啄木、なかでも若山牧水は多く歌碑が300箇所あるそうだ。各県別に場所写真で検索でき便利な時代になった。
それでもガイドブック持参より偶然出くわすのが面白い。
以前、岐阜県の大垣市で泊り守屋多々志美術館に立ち寄り高速に乗ろうと走っていたら松尾芭蕉の旅姿の像がある。何で?と思った。歌碑もある。
奥の細道の結びの地は大垣だったのだ。
知らんかった。江戸から東北を回り(青森を除く)新潟、北陸と歩き敦賀から大垣にいたる。
芭蕉の奧の細道の秋田県象潟を見に行った。芭蕉の句で詠んだころは松島のように海辺の島々が点在する景勝地 ここで 「象潟や雨に西施が合歓の花」と詠んでいる。西施は中国の三大美人。他は楊貴妃、虞美人
芭蕉の頃は海で地震隆起しても数メートルと考え海岸線を探しても象潟の景勝地がない。
海岸から一キロも離れたところにあった。この間に国道も羽越線も通っていた。
日本海も100年に一回は大地震で隆起し続けているのかと思った。