懐かしい昭和の情景を追って

過去に撮影したネガをフィルムスキャナーで電子化しています。蒸気機関車、古い町並み、茅葺民家を投稿します。

茅葺民家 鳥取県日南町の茅葺民家

2016年08月31日 | 茅葺き民家
日南町は岡山県新見市の北で隣接している。
しかし伯備線で通過のみで立降りた事はなかつた。
ほとんどの町がそうであるように用が無ければ立ち寄らない。
茅葺民家を撮り始めてよく通うようになった。
岡山県から日南町に向かう道は車一台の狭い道だが今は広くなった。
20年間でとインフラは随分よくなった。
しかし、高齢化、若者の流出で人が減り続ける。
茅葺を追い求めながら日本の田舎を見つめる事ができた。
日南町の茅葺はほとんど消えた。20年五は集落から民家が消えないか危惧する。

秋は日本の田舎の風景だ、茅葺のシーズンでもある。
コスモス、彼岸花、紅葉、ススキ、霧

日本茅葺紀行 NO,312 山形県高畠町

2016年08月30日 | 日本茅葺紀行
山形県の置賜地方を走る。よく走ったとおもう。走ったと言っても県道、国道クラスの道。
この民家は初めて走った道沿いにあった。高畠町と川西町の境界にあった。
旅で探すのは時間を掛けられない。以前撮影したところに立ち寄り茶を濁すことが多い。
現在でも茅葺民家は自分の知られないところにまだ沢山残っていそうな気がする。

雪の降る所は家の背丈が高いのだがこの家は余り高くない。
ここでも時には一メートル位の雪は降りそうに思う。
新潟や青森の民家は5メートルくらいの雪でも軒まで届かない。
これから川西町から長井市に向かう。
川西町に茅葺発見と思ったら以前撮影した家だった。

ずっと平野で目につく施設もない。こんな所はどこを走ったかわからなくなる。

吉田沙保里は銀でよかった

2016年08月29日 | 日記
吉田沙保里のファンや本人には失礼だが吉田は銀メダルでよかったとおもう。
吉田までが金メダルを獲ったら六階級のうち五階級が日本女子で独占する。

消極的な考えだが金は精々二個くらいまでだ。
余りにも独占するとルールを変えたり制度を変えたり欧米人はする。
欧米人には人気のないスポーツなのでオリンピック競技から除外する動きが前回あった。
レスリングは古代オリンピックからの競技なのになんで除外するのかと思った。
テコンドーが除外対象にならずレスリングが対象になるのはおかしい。
日本の近隣諸国には日本をつぶすのを生き甲斐にしている民族がいる。

選手団が日本に帰国した時の記者会見で吉田沙保里は主将の自分が金メダルを取れなかった話に終始した。天国の父親に報告ができないと個人的なことを話す。あれだけメダルを取って盛り上がりのある大会の主将ができたのが光栄でした、これは東京に引き継いでほしいと開口一番言ってほしかった。

その後、リオ五輪の退団式では周りからの指摘あったのか選手団を称える話がまずあった。
しかし、伊調馨の四連覇を称える発言はいちども無かった。
吉田はよほどくやしかったのだろう。伊調を称えていたら評価もあがったのだろう。
今回、絶対王者の吉田がやぶれたのにショックを受けた人もいたと思う。
私は吉田が人身御供になってくれたことに感謝する。

レスリング競技自体あまり動きがなく面白くなかったように思う。
差し出争いに終始して動きが無かった。63KG級の川井選手が一番よかった。
吉田はスピード、キレがなかったように思う。研究されつくしたのもあるが体力的な衰えもある。試合運びの上手さで勝つ選手になったのか

蒸気機関車 室蘭本線

2016年08月29日 | 蒸気機関車
室蘭本線は苫小牧周辺の湿地帯と荒野を走る。
雑木林と湿地が続くあれから40年経過して再び訪れた。
何も変わらず荒野と湿地のままである。
荒野を開墾し畑にすることもない。
日本で農産物を増産しようという気力も失せた。
農業従事者の高齢化で後継者がいない。
海岸を埋め立て干拓地にしようとした昭和の時代
空地のまま放置された地域がおおい。
北海道には開墾する土地は沢山はある。

室蘭線は荒野を切り開いた切通しの線路が続く。直線的にするために高低差をなくすために切通しにしたのか  線路の法面はクマザサに覆われる。

北海道には笹はあっても竹はない。
雪に閉ざされる時期は地下茎も気温が低くタケノコが成長できない。
竹は亜熱帯から温帯の植物だ。
蕗は沢山生えている。北のフキは巨大だ。
食べられるようだホテルの夕食に出たことがある。

切通しをD51が牽引する貨物列車が走ってきた。
次の列車が来るまでボケーと待つのだ。

北海道の荒野は春の山菜が沢山採れそうだ。タラの芽など沢山あったように思う。

茅葺民家 島根県旧三刀屋町

2016年08月28日 | 茅葺き民家
三刀屋町(みとやちょう)は現在雲南市になっている。
出雲地方の真中、山間部に入る。
山間部は熊の生息地

川ぞいに何キロも続く桜並木がある。見事な並木である。観光バスもシーズンにはやってくる。
しかし、都会と違い場所取りなど必要ない。一杯空いている。
駐車場も心配ない。ここで宴会をやっている地元の人に声を掛けて茅葺のあるところを教えてもらった。これは三刀屋町を攻略するのに貴重な/情報だった。
地元の人との雑談が茅葺探しには欠かせない。

秋田の乳頭温泉郷で風呂に入っている時に猟をしている人と一緒になった。秋田はなんで田の周りに猪垣がないのかと聞いたら、雪の深いところには猪いないという。
東北も福島、宮城のの太平洋側までしか猪はいないそうだ。それまで知らなかった。
会話をすればヒントももらえる。
我々の知っていることはごくわずかである。

三刀屋の民家、茅葺が無ければ訪れることもない土地だ。
昭和40年代の私の若いころに戻れる風景に出会えた。
平成の時代に30年前にタイムスリップ出来る一瞬だ。


日本茅葺紀行 NO,311 青森県鶴田町の民家 

2016年08月27日 | 日本茅葺紀行
鶴田町は弘前から五所川原に向かう途中にある。五所川原に隣接する。
岩木山を遠くに望み全く遮るもののない平野が続く。津軽平野の真中である。

鶴田町には俗に津軽富士見湖と呼ばれる大溜池がある。
江戸時代に灌漑用に作られた池だそうだ。
冬には白鳥、鴨などの冬鳥が飛来する。
ここから眺める岩木山は撮影スポットになっている。
池というのは人が人工で作ったもので湖沼は火山活動や土砂崩れや土石の堆積で堰き止めでできた自然のものに区別しているようだ

この池の周りにも茅葺民家があった。しかし、多くは県道や国道沿いだった。

「頭が鶴田浩二」という親父ギャクがある。鶴田浩二がはげているわけでないが禿げを比喩してこんなギャグができたのであろう。
青森県鶴田町にツル多ハゲます会というのがある。
全国のハゲ自慢が集まる大会があるそうだ。

この会を提案したのがナニコレ珍百景の絵日記でおなじみの竹浪正造さん、鶴田町に住まれている。昭和29年から2300冊も描き続けた漫画日記、あれを見て世の中にはすごい人がいるものだとおもった。生活の記録史である。番組からの応援もあり本が発行された。




膝を閉じて座る

2016年08月26日 | 日記
病院の待合所、一時間は座って待っている。
十数人が待っていた。
中にいた中年の女性二人に目がとまった。
一人は五〇代、一人は六〇代であろうか
膝をぴっちり締めて一時間乱れることなくすわっている。
膝が閉じている人は姿勢もいい。背筋もしっかり伸びている。
歳を取ると内転筋が弱くなり股が開く背筋が弱くなりイスにもたれかかる。
こんな膝を閉じて背筋のしっかりしている人は今では貴重な存在である。
美しい女性の姿に思える。
若い人もいたので見たら足を組み前かがみでスマホをいじっていた。

女形の梅沢富美男がNHKの昼の番組で女性の姿勢が悪くなったのはスカートを
履かなくなったからといっていた。スカートを履けば膝も閉じ姿勢もよくなると言っていた。
10年以上前に新幹線を待つため時間があったので女性のスカートとズボンの数を数えた事がある。東北の五月であったこともあるがズボン113人、スカート39人だった。

男性で大股を開き電車でも迷惑千万な人がいる。
女性とは股関節の構造がちがい女性のように閉じられないとか股に
余計な物がついているからという人もいる。
男が股を閉じると自信なさげでオネエのようだという人もいる。

私はディケアーに通っている。人生の先輩からいろいろ話をきく。
戦時中に女学校に通っていた。勤労動員で工場で手伝いをする。
いつもモンペ姿だった。年に数回の学校行事の時だけスカートを履けたときは嬉しかったと話す。
この女性がスカートつながりでこんな話をはじめた。
歳をとっても婦人会の役員をしていた。
体育館で座談会かあった。それに市長が参列し会話に入った。
私の住む市は女性の市長さん。市長は公式の場からかスカートだった。
みんなフロアーの一段下がったところで聞いていた。
市長も最初は股も閉まっていたが時間が経つに従い緊張感が薄れ奥まで見えたと面白くはなしていた。ズボンにするか長いスカートにするかだれか忠告してあげて

私の昭和鉄道遺産 その4 C59と給水塔

2016年08月25日 | 私の昭和鉄道遺産
私の昭和鉄道遺産は過ぎ去った昭和の時代の昭和の遺物である。
ほとんどの物が解体処分された。
映像に残っているワンシーンは私にとっては残しておくべき映像であったのだろう。
他人がみればなんじやこりゃであろう。
写真は自分が楽しければ懐かしければよい。
他人に評価を貰うために撮ったものではない。
歳をとり自分の人生を振り返るときの思い出に撮ったものである。
今、歳をとり車椅子で生活が不自由になったがこの写真の数々に救われていると思う。

撮影場所 糸崎機関区 C59型蒸気機関車と給水塔

茅葺民家 秋田県鳥海町民家

2016年08月24日 | 茅葺き民家
この日は朝から強い雨だった。
山形県真室川町に泊まり秋田県鳥海町や羽後町に移動した。
雨で風景が暗い三脚は持ってこなかった。
三脚をだしてもずぶぬれになる。車の窓を開けて撮影するが雨が吹き込みレンズに当たる。
本当に旅で土砂降りは気が滅入る。

こんな雨ではいい写真も撮れない。
二、三時間撮影して近くに温泉がないか探す。
旅行にはこんな日もある。
鳥海町は鳥海山のふもとで火山のため温泉はある。

秋田県の民家は曲線的だ。二階があるのは二階部屋か養蚕をやっていたのか
二階の小窓をススマドというそうだ。

日本茅葺紀行 NO,310 兵庫県旧吉川町の民家

2016年08月23日 | 日本茅葺紀行
吉川町の郊外の田園地帯に残る茅葺民家。
茅葺民家に生垣、周囲の田の風景、里山の風景。
まさしく日本の風景である。
茅葺が残っている間に撮影しておこうと何度も通い撮影した。
何とかして電子化されたデーターが100年後にも残ってほしいと思う。
100年後の人がこれを見て懐かしく自然に優しく美しい風景であったと感じてくれればいい。
100年後の人々にメッセージを残すのも現代に生きる我々の任務と思っている。