懐かしい昭和の情景を追って

過去に撮影したネガをフィルムスキャナーで電子化しています。蒸気機関車、古い町並み、茅葺民家を投稿します。

子猫 ボンちゃん

2013年10月31日 | 日記
私の車のエンジンルームに子猫が入り込んで飼い始めた話です。

家内の母親はかなり高齢で肺炎を患い危ないとの事で岡山から徳島に見舞いにいきました。病院に一時間程車を停めて親戚や墓参りに行ったら一回二回猫の声がする。
畑で柿の収穫をしていたら何回も猫の声がする。車の下を見たが猫は見つからず、ボンネットを開けてが見つからず、隣が自動車修理工場でご主人が来てくれて点検したが見つからず。車に猫が入るスペースはないと言われた。息子がエンジン室を覗くと地面が見える部分がある。大きさから親猫では入れない、入ったとしても小さな猫だろう。ボンネットを開けておけば出るだろうと思っていた。
柿を取り終えてトランクを閉めたらまた鳴き声がする。
家内と息子夫婦が一生懸命さがしたら猫の尻尾が見えた。
棒で広い場所へ出そうとしたが益々奥に逃げる。
息子の太い腕では手が入らず家内が手を入れて尻尾を引っ張り引きずり
だす。車のエンジン室はベルトに巻き込まれてミンチになるし高温で焼け死ぬ恐れもあった。病院の駐車で寒いために入ったと思われる。病院の駐車場にはゴミ箱もあり隠れるところもある。
引っ張り出した猫を畑に捨ててくる事も出来ず、義母が死にかけているのに殺生もできず家で飼うこととなった。
生まれて一カ月以内でしょうか雌猫で身体はガリガリの骨ばかり眼がブルー
最初の二日はよく鳴いていた。食事はよく食べるようになったミルクより幼猫用のエサがすきである。部屋に入ると奥に逃げ込むところがある。犬や猫、人に追われた恐怖心があるのだろう。

私の車に入ったのも何かの縁、飼っていれば猫に慰められる事もあるだろう。
名前はボンネットを開けたらいたのでボンちゃんか

茅葺民家 牛を飼う家

2013年10月31日 | 茅葺き民家
撮影場所 島根県伯太町(現在は安来市)

島根県は牛を一頭二頭飼っている家が残っていた。
しかも茅葺民家で飼っている家があった。
現在も牛を飼っている家はあるのであろうか、歩けなくなり家々を回り被写体がないか人と出会い楽しい話を聞く機会も無くなった。
茅葺民家も無くなったが牛を飼う家も減ったのではないか。
高齢化で飼料の確保や排便の処理を毎日するのは重労働、子牛を一頭生み育てて20万円では若い会社勤めの人はやらない。
作る作物も時代とともに変化してくるTTPに参加すれば日本の農業は大きく変わるであろう。
何が消え、何が盛んになるか何処の場所が衰退するか注視する必要がある。

カメラを持ち人の暮らしや住居を撮影する。住む人にとっては迷惑な存在である。
人の迷惑のかからないイベントや祭り観光地を撮ればいい。人を気にせず撮影ができる。
しかし、こんな場所や行事はオープンなので撮影するときの緊張感がない。
それと現代ではこんな写真は膨大な数の写真がのこされている。しかし、日常のありふれた光景はテーマを持って撮影している人は割とすくない。
人の生活風景を撮るには相手の了解も必要だし会話も必要である。その日その日の出会いと感動、緊張感が人生の肥やしになっているように思う。

懐かしい物 木の橋

2013年10月30日 | 懐かしい物
撮影場所  京都府美山町

美山町の北部にあった木の橋と茅葺民家、晴れた日の夕暮れで茅葺民家は影になっていた。
橋は太陽が当たっていた。いっそ曇っていたら茅葺民家は影にならなかった。
もう一度挑戦しようとおもって三年が過ぎたら茅葺民家はトタンで覆われ木の橋もコンクリートになっていた。
「今撮らずにいつ撮れる、いつまでもあると思うな、その景色」といわれているようだ





日本茅葺紀行 その89 山口市の茅葺民家

2013年10月29日 | 日本茅葺紀行
撮影場所 山口県山口市

山口県の阿東町の茅葺民家を撮影して山口市の湯田温泉に泊まるために県道を走っていて発見した民家。時々ホームページで見かける民家だ。
山口市の赤田というところの集落だった。
山口県の民家は自己主張が少ない。おとなしい寄棟の民家が多い。
東北の民家のような場所が違えば形が違う顔が違う事がすくない、また存在感を誇示する形状でもない。
見方によっては個性のない民家ともいえる。
温暖で気候の厳しさのすくない瀬戸内の土地柄を示しているようにも思う。
これは岡山の南部の民家にもいえる。
山口の民家は瓦葺きの民家も幾分勾配が緩やかなように見える。

湯田温泉、特徴のない湯であった。匂いもせず温泉の特徴の少ない湯であった。

懐かしの蒸気機関車写真展 その42 「峠越え」 米坂線宇津峠

2013年10月28日 | 懐かしの蒸気機関車写真展
撮影場所 山形県飯豊町 米坂線手ノ子

宇津峠は分水嶺となっている。双方とも日本海へ流れているが北側は荒川となり新潟県に流れ、南は最上川となって酒田から日本海にながれる。
源流は荒川は飯豊山、最上川は吾妻連峰である。
米坂線は私のところからだと遠く何度も挑戦は出来ず一回だける撮影だった。
東京までは新幹線、東北本線、奥羽線経由、米沢で降りて米坂線に入った。
まだ山陽新幹線が開業していなかったので時間が掛かった。

米坂線沿線は現在も茅葺は民家の撮影でよく通る。日本海側を高速道路で走り新潟から一般道で山形へ入るのが一番近い。早朝に出発して夏場ならば夕方の撮影がまだできる。
新潟から山形に入る道に沿って米坂線が走っている、渓谷に橋、連続するカープ、撮影ポイントが沢山ある。宇津峠のある手の子駅を再び訪れた。あのころは茅葺民家ばかりであっただろうが雪で茅かどうかの記憶もない。現在は茅葺民家はまったくない。

あり頃は駅から峠を目指して雪の中をひたすら歩いた。
9600形の蒸気機関車が貨物の場合、重連か後続補機を付けて登ってきた。
峠付近は民家もなく山と雪と線路の世界だった。




茅葺民家 京都風景の民家

2013年10月27日 | 茅葺き民家
撮影場所 京都府京北町(現在は京都市)

京都の民家の風景と言えば何を思うでしょうか
私は北山杉と端正な茅葺民家に京都の風景を感じる。
角度のある入母屋の茅葺民家に棟木やカラスオドシを乗せた茅葺民家はまさしく京都の民家である。山裾まで伸びる杉林、杉と民家が一緒に撮れる場所を探すが現在は難しくなった。
あったとしても私は特に撮れなくなった風景のひとつである。

京北町から美山町の茅葺民家は是非撮影しておきたい茅葺民家の風景である。 







古い町並み 倉敷市連島西の浦 祭り

2013年10月25日 | 古い町並み
撮影場所 岡山県倉敷市連島西の浦


連島西の浦の古い町並みの建物の前を子供引く神輿や山車を撮ってみた。
余り祭りは好きでない。ハレの日の行事や着飾った風景より日常の何気ない人々の暮らしが好きである。撮影に出かけたら祭りだったので撮影した。
岡山ではこんな山車を千歳楽(せんざいろく)と呼ばれている。
大きな座布団を山車に乗せたのは瀬戸内海沿岸で見られる。新居浜では太鼓台といわれ香川の三豊では「ちょうさ」といわれている。


西の浦は連島というかって島であったその麓にあたる。昔ながらの集落で大きな道路が出来て忘れ去られたような昔ながらの集落が残る。








日本茅葺紀行 その88 兵庫県宝塚市の民家

2013年10月24日 | 日本茅葺紀行
撮影場所 兵庫県宝塚市

この民家は宝塚市と神戸市の境にある。神戸市の水道水の水源地の千刈ダムの近くにある。
この家を撮るのに民家の入り口の空き地に駐車しようとしたらパトカーが待機していて「ここは駐車禁止となっています」とスピーカーで注意される。たしかに駐車禁止の表示はある。私は車椅子を下ろしてすぐに写真を撮ってくるので置かせてほしいと頼んだがだめだった。一台置かせるとなんで置かせるのかと批判されるので置かせないと言われた。

この周辺を駐車禁止にしたのは千刈ダムで魚釣りをする人が多いからだ。神戸市の飲料水にバクダン釣りをする人がいて水が腐るのを懸念している。

この周辺は里山の風景と自然が残されている。この前の日曜日、朝のNHKの「さわやか自然百景」で宝塚市西谷の自然を放送していた。15分番組だが番組の場所には私は行けないので見て楽しんでいる。都会から30分くらいのところに自然が残されているものだ。
西谷地区は千刈ダムからも近く、この付近を茅葺民家を探しに何度も走った。
西谷は下草が刈られ人の手が加わって植物や動物の生態が維持されている。
棚田に棚池、植物も桔梗、おみなえし、さわ桔梗、サギそう、水性植物、昆虫も鳥類も多く、日本のメダカがまだ生息している。身近なところに自然があるものだ。
この番組はどのような視点で番組を構成しどんなカメラアングルで撮影しているのかも参考になる。

余談だがこのあたりは結構山の中だが玉瀬というバス停の時刻表をみたら朝は一時間に6本も7本もバスが出ていた。車では駐車場もなく渋滞解消にバス利用者がおおいのか

懐かしの蒸気機関車写真展 その41 「峠越え」 田川線油須原

2013年10月23日 | 懐かしの蒸気機関車写真展
撮影場所 福岡県 田川線油須原

田川線は田川炭鉱の石炭を行橋の港へ運ぶために敷設された。
石炭も炭鉱の閉山で貨物は石灰輸送にかわっていた。
人口の少ないローカルで収益も悪く国鉄からJRになる時期に平成筑豊鉄道になる。
油須原は「ゆすばる」と読む、九州は「はら」を「ばる」という。福岡でも鹿児島でも
駅名も佐土原を除いてばると読むところが多い。
名所なども田原坂(たばるざか) 中原(なかばる)

田川線はほとんどが山間部で谷間の集落や田を見ながら走る。
油須原が峠になっていて貨物には補機が付きプッシュプルの重連となる。
峠が直線なので後押しの蒸気機関車も見える。
機関車は貨物が9600形で客車がC11形だった。
のんびりと峠を越えていく列車をみていると一日いても飽きない。
今思えば近くを歩けば昭和の風景が一杯撮れたのにと思う。
昭和の時代には昭和の良さに気付かないものだ。





茅葺民家 島根県横田町の民家

2013年10月22日 | 茅葺き民家
撮影場所  島根県横田町(現在は奥出雲町)

横田町は島根の南部で広島県に接している。
冬は雪が多い。私は木次線に沿って広島県側から入るより新見市から鳥取県日南町を経由して入る。これの方が距離も短く早くつける。
出雲市までは高速は使わず一般道を走る。
一般道の方が景色も楽しめるし安い野菜は売っていないか見ながらはしれる。

横田町には沢山、茅葺民家があったが国道や県道を走っていても人が生活している民家はほとんどなくなった。高度が500メートルから700メートルあり山間地の風景がみられる。
しかしここにも大きなスーパーが出来て都会の買い物が出来るようになった。子供たちの休日の楽しみの場になっている。
それと蕎麦屋が増えてきた。以前は八川駅と横田駅の前しかなかったが出雲そばを食べに来る人が増えたのだ。
かって横田町はタタラ製鉄が盛んで守り神の小さな金屋子神社が各地にのこっている。
大呂というところに砂鉄から取った玉鋼をで刀を作るところがある。
初め建物を見て倒産前の鉄工所かと思ったら表札を見て驚いた。
刀剣保存協会と書いてあった。今は横田の街の中心地に刀剣会館が出来たようだ。

民家は寄棟で棟はほとんど反っていない。正面側は下屋がないが裏は瓦葺きの下屋が付いている。棟には竹の根っこを使った梵天を乗せている。