懐かしい昭和の情景を追って

過去に撮影したネガをフィルムスキャナーで電子化しています。蒸気機関車、古い町並み、茅葺民家を投稿します。

干支について

2018年12月22日 | 日記

干支とは中国から伝わった暦です。

十干と十二支を組み合わせたものです。

今年は戊戌(つちのえいぬ)  来年は己亥(つちのとい)

 十二支は順番に、ね・うし・とら・う・たつ・み・うま・ひつじ・さる・とり・いぬ・い、ねはネズミですが、十二支では鼠と書かず子、うしは牛ですが丑、とらは虎ですが寅、うは兎ですが卯、たつは伝説の神獣龍ですが辰、みは蛇ですが巳、うまは馬ですが午、ひつじは未、さるは申、とりは酉、いぬは戌、いは猪ですが亥です。

 十二支 ...........

 十干とはこの世に必要な五ッの物質

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これに陽陰の兄(え) 弟(と)を付けて十干とした。

つまり木兄.木弟.火弟.土兄.土弟.金兄.金弟.水兄.水弟

きのえ.きのと.ひのえ.ひのと.つちのえ.つちのと.かのえ.かのと.みずのえ.みずのとと読む

木兄 木弟を順に甲(こう)・乙(おつ)・丙(へい)・丁(てい)・戊(ぼう)・己(き)・庚(こう)・辛(しん)・壬(じん)・癸(き)の10種類に置き換えた

ここがややこしい

甲(きのえ) 乙(きのと) 丙(ひのえ) 丁(ひのと)・戊(つちのえ)・己(つちのと)・庚(かのえ)・辛(かのと)・壬(みずのえ)・癸(みずのと)

 十干と十二支を組み合わせ60通りの組合わせができる。最小公倍数2x5x6=60

一番最初は甲と子の組み合わせ甲子から始まる。読みは「きのえね」と読む

阪神 甲子園球場はこの年に出来たのでこの名が付いた。

干支は60年で暦が一回りして元に還るので還暦の言葉か生まれた。

60歳の人の事を還暦と呼ぶのはそのためだ。 

壬申(じんしん)の乱.戊辰(ぼしん)戦争は暦の名が付いた 庚申信仰も干支からきている。

丙午(ひのえうま)はこの年生まれの八百屋お七が恋に狂い江戸大火を起こしたのに由来する。いまだに丙午生まれの女の子はきらわれる。八百屋お七が悪いのでない。それに手をだした男が悪い。

太陽暦の一週間は木.火.土.金.水に太陽の日と月を加えて7日にしたのではないいか

高校の国語の先生が干支の話しを始めた。うる覚えだったので調べてみた。

こんなどうでもいい事を覚えているものだ。

 


懐かしい物 牡蠣打ち

2018年12月22日 | 懐かしい物

瀬戸内海は牡蠣の生産が盛ん。

12月から2月が販売期間 3ヶ月のお楽しみだ。

この前に寄島マラソンの景品で牡蠣を貰って来た。

懐かしいと言っても今も寒空のした牡蠣打ちはやっている。

定年を過ぎた年代だが我慢強い。農業や漁業は定年がない。

山のー中の一軒家のご主人87歳で林業の現役。定年制のある職業の人は自分で勝手に壁を作っている。私の知り合いの電気の資格を持っている人は75歳でも現役の人が多い。

広島の牡蠣打ちは外国人がいる。安い給料で過酷な労働だったのかそれとも本人に忍耐がなかったのか雇い主を殺人した事件があった。

これからも外人は沢山くる。こんなトラブルは懸念される。

牡蠣を買うと牡蠣打ちをしている人が生ガキをむいてくれる。

家内は生カキ大好きで五個も貰っ食べたら帰ったら下痢をした。私は何個も食べるとはヤバイと思い一個だけにした。今はノロウイルスが問題になり焼き牡蠣しか提供しなくなった。

 


年末年始のスポーツ観戦

2018年12月21日 | 日記

年末年始の楽しみは駅伝とボクシングであろう。

「駅伝」

12/23(日) 高校駅伝 女子 男子 京都

2019.1/1  実業団駅伝

2019.1/2-1/3   箱根大学駅伝 青山学院5連覇なるか

20019.1/13  都道府県女子駅伝

002019.1/20 都道府県男子駅伝

 「格闘技」

12/30  ボクシング 伊藤雅雪

12/31 ボクシング 井岡  RIZIN那須川天心

 今回も駅伝は5時間以上テレビに釘付けになるか


茅葺民家 島根県旧横田町

2018年12月21日 | 茅葺き民家

国道300番台を走っていたら見えた民家。

屋根は大分くたびれている。茅も薄くなっている。

こんなのを一軒一軒何十年も掛けて撮って来た。

イチローの日米安打記録に負けないように茅葺民家を探しに奔走した。

日本の田舎の道々を走った。少しは日本を見て回ったとおもう。撮り始めて50年もしたらこんな田舎の風景も懐かしくなるだろう。

探し求めて発見すると感動があった。人生は感動の数だけ喜びがあるとおもう。

若者であろうとジジイであろうと感動の質には変わらない。ジジイになれば枯れて楽しみもないと若者は思うかもしれないが死ぬまで劣化する事は無い。ただ身体が動かない。

 


日本茅葺紀行 NO,487 土の倉のある家 

2018年12月20日 | 日本茅葺紀行

撮影場所 広島県旧黒瀬町

倉も土蔵で母屋の壁も土壁である。

昔はよく見かけたが小舞に土壁の民家はすくなくなった。土と藁と縄と竹の天然素材でできている。私の家の壁も土壁の在来工法である。保温性断熱性はよくない。

7月の豪雨で水没した倉敷市真備町の民家の被害を見ていると土壁の民家が多い。

水没すると土壁であれグラスウールの断熱材であれ取外して泥を洗い乾燥させてでないとリフォームできない。水没すると洗ってもドブ臭いと言っていた。

リフォームに1000万円は掛かる。私の家もリフォームとバリアフリーに1000万円近く掛かった。

耐震基準の施工前の家で地震の被害を考えると建て替えた方が得策だったかもしれない。

 


蒸気機関車 藁グロと蒸気機関車

2018年12月18日 | 蒸気機関車

撮影場所 兵庫県溝口周辺 播但線沿線

線路脇に藁をつんである。冬場の曇り空 藁ぐろと列車を撮影する。

こんな風景も昭和の風景だなあとおもう。

昔は藁も牛馬の餌や敷き藁.畳や土壁などに用途があった。

最近に稲は背丈も低いしコンバインで裁断してしまい土に鋤きこむ。

家庭菜園には敷き藁ともみ殻必需品だ。

宮崎牛のブランド牛の生産地は中国韓国からの藁は口蹄疫を発病するのでなるべく国産の藁を使う。


懐かしい物 日本瓦屋根

2018年12月17日 | 懐かしい物

撮影場所 倉敷市

倉敷市の美観地区には古い民家が残る。

古い民家の屋根は基本的には日本瓦でないと似合わない。

しかも瀬戸内海沿岸は日本瓦でも本瓦が多い。

本瓦は丸瓦と平瓦を組み合わせたものだ。しかし重量があり材木に負担が掛かり垂木が下がってくる。

雪のある地方は瓦さえ使えない。雪降ろしで瓦がズレるし滑る。

暖かいおだやかな天候の地域限定だ。沖縄も本瓦だが継ぎ目をセメントや漆喰で飛ばされないようにしている。

最近の町の風景を見ると日本瓦の屋根はほとんど見ない。

私が写真を撮っていた頃と比べて大きく違うところは屋根である。

鯉幟の歌に出てきた甍の波は日本瓦であった。

まだどこの古い集落の屋根も古い日本瓦であった。

高いところや山の斜面に登り撮って置かなくてはいけなかった。

日本瓦は燻し瓦と呼ばれ煤で燻して黒く着色する長年使うと着色がはげてまだらになる。このまだらが時代が付いた証てもある。

最近の日本瓦は製法が違うのか色落ち劣化しない。色も黒瓦でない。

写真展をしたときに屋根を撮っているという人がきてこれはどこで撮ったかときく。

83歳と言ったまだ元気だ。歩けない私など羨ましい限りだ。

しかし今頃になり何で屋根など撮るのだろうかこの人なら昭和30年代の写真も撮れたのに厳しい言い方だがチコ子ちゃんに叱られてではないがボケーと生きてるんじゃないよ


茅葺民家 秋の民家

2018年12月16日 | 茅葺き民家

撮影場所 京都府旧美山町

秋の民家があった。ススキと柿の木

日本人には紅葉.ススキ.柿の実は秋と歌や小説 教科書 雑誌 テレビなど絶えずインプットされている。これを見れれば懐かしい寂しいと見てしまう。

美山町の茅葺民家としてトタンの下屋が多く迫力に欠ける。それでも周囲の風景は懐かしい風景だ。

私も生きている間は日本人の心に残る風景を撮りたい思うが茅葺民家が無くなったら何か撮る物はあろうか  私でも撮れるものは限定れる。

 


日本茅葺紀行 NO,486 岩手県一関市の民家

2018年12月15日 | 日本茅葺紀行

岩手県には茅葺民家が残っていそうだが少なくなった。

岩手県で残るのは北部と南部で中央部は少ない。

平成も終わりに近づいていて残っているのが不思議なくらいだ。

茅を集め葺き替える職人や金を出す施主がいるから残っているのである。

カメラを持ってぶらっと訪れれるカメラマンの身勝手な事だ。

数年前に訪れたらこの民家は健在だった。

充電させて貰えませんかいう出川の出ている番組を見ていると全国各地走り回った場所が出るので懐かしい。田舎を訪れる番組が楽しい。


私の昭和鉄道遺産 そのNO,90 名寄機関区の96型

2018年12月13日 | 私の昭和鉄道遺産

撮影場所 北海道 宗谷本線名寄駅

厳冬期に入れ替えや除雪のための機関車を撮影する。

若かったので寒くても耐えられたのであろう。

写真を残していて良っと思う。

行動の記録と思い出つくり生きた時代の記録である。

時代の記録はこんなに進歩するとは思わなかった・

駅にあった掲示板.通信手段が十分でなかった時代は連絡板だった。男女のボタンの掛け違いで別の人生を歩んだ人もいただろう。