懐かしい昭和の情景を追って

過去に撮影したネガをフィルムスキャナーで電子化しています。蒸気機関車、古い町並み、茅葺民家を投稿します。

2016年 茅葺写真展 最終回 二棟続き その4

2017年07月28日 | 2016茅葺写真展
2016年9月に行われた茅葺民家写真展は67点は今回で終了します。

二棟続きの最終回は福島県南会津町の水引集落です。
標高が千メートル近い会津高原にある。
最初行ったときは壊れかけた無住の茅葺民家が三軒ありこれが壊されたらこの集落の茅葺民家は衰退するだろうとおもった。
しかし、ブログやホームぺージを見ると段々茅葺きの復元がすすみ立派な集落になっている。

この町には保存地域に指定されている前沢集落があるので抱き合わせ観光地にしようとしているのか
復元するにも金が掛ったと思うが観光資源としての価値があるとみたのか

定年後7回写真展を実施した。今後の写真展は考えていない。他人に手伝って貰わないと何もできないので気が重い。
やるとすれば私の茅葺民家集落百選や私の昭和鉄道遺産のテーマでしょうか




2016年 茅葺写真展 二棟続き その3

2017年07月23日 | 2016茅葺写真展
撮影場所 京都府旧美山町盛郷

盛郷は美山町の北の端、トンネルを越えたら福井県
茅葺民家が三軒残る、
住んでいる人は別荘代わりに買った地元以外の人が多い。
人の気配はなく晩秋でもあり寂しくさせる。

かっては集落にも活気があったのであろう。
小川や野山では子供が魚釣りや川遊びや野山で遊んだことであろう。

農業や林業を糧にいきてきたのであろうか
農業も都市近郊ならば農産物直売所でうれば収入が得やすい、
同じ会社のOBの方で広い畑を持っている人かが二人いる。
聞くと年金位の利益はあるようだ。孫のために貯金しているといっていた。


2016年 茅葺写真展 二棟続き その2

2017年07月17日 | 2016茅葺写真展
撮影場所 長野県信濃町

野尻湖の近くの集落にあった。トウモロコシの畑が続く。
トウモロコシは背丈もあるし野菜では絵になる風景だと思った。
茅葺民家と植物や作物と一緒に撮影するようにしているがジサツマイモやャガイモなどは何の作物か見分けがつかない。
トウモロコシや里芋、ヒマワリの類がよい。

野尻湖にはナウマンゾウの化石が発見された渇水期の冬場に発掘したそうだ。
ナウマンゾウ絶滅の原因は人が捕殺して食べたのだと書いてある。
園山俊二氏の漫画ギャートルズの世界だなあと説明書きを読んで笑った。
ナウマンゾウは瀬戸内海にも居たそうだ地引網の漁網に太い骨の化石が引っかかった。
氷河期には瀬戸内海の水はなくなり平原であったそうだ。その時に大陸からゾウ
も陸伝いに移動してきたようだ。
野尻湖は長野市まで引かれ上水道になっている。天然のダムだ。
猪苗代湖や十和田湖も水源として活用されている。

信濃町に小林一茶の記念館がある。
藤沢周平の小林一茶を読んだ事がある。家督争いから妻や子が相次いで亡くなり不幸が続くそれでも再婚の妻の腹にいた子は無事に成長したようだ。それも知らずに一茶はこの世をを去っている。

2016年 茅葺写真展 二棟続き その1

2017年07月11日 | 2016茅葺写真展
撮影場所 山形県山辺町

現在は茅葺民家が何棟も並ぶところは保存地区以外少なくなった。茅葺民家が残るところも少なくなっている。

山辺町の山の中の集落
東北は土地が広いので西日本のように厳しい土地には家は建っていないものだがよく見ると厳しいところにも集落はある。
西日本の温暖なところは雪がないので集落はかなり標高の高いところにある。
雪の降るシーズンは生活するのも学校に通うのも厳しい。
集落がまとまっている所に小学校も中学校もあったのであろう。
山間地では学校の統廃合で町に一つも珍しくない。

山間地は大雨があると崖崩れや土石流の被害もある。
通常は穏やかな小川が洪水になると土石流が襲ってくる。
日本は地震や津波、風水害、雪害に絶えず襲われいる。

平地であっても伊勢湾台風のように大被害がある。
先人たちは何度も流された田畑を復興してきたのであろう。
歳をとるまで災害にも大きな病気にならず暮らせた人はラッキーの連続で生きてきたのだ。


2016年 茅葺写真展 干す その4

2017年07月06日 | 2016茅葺写真展
撮影場所 新潟県松之山町

茅葺民家と稲を干している風景を撮影した。
稲刈りの終わった秋に訪れたのでこんな光景が撮れた。
何段にも積み上げられた高い稲架である。
新潟県は杉を並べて植えその木に丸太を渡し何段にも積み上げる。
新潟の平野部は畦沿いにハンの木を植えて稲架にしていた。
新潟平野を見てもこんな風景は無くなった。

クヌギを並べて植えている所はたまに見かける。
コンバインで収穫して乾燥機で乾燥するので稲架に掛けることもなくなった。

同じ場所へ再び訪れたら茅葺民家はトタンを覆っていた。
撮影するチャンスは一度しかない。日々時代は変わっていく。


島根県旧加茂町も高く足場を組み稲を干すものだ。
この場所の近くに今は高速道路が通っている。




2016年 茅葺写真展 干す その3

2017年07月01日 | 2016茅葺写真展
撮影場所 兵庫県神戸市

神戸の市街地から30分から40分のところ。
田舎の雰囲気が残る。
ここまでくると今頃のには蛍の飛ぶのも見えるかも。
茅葺民家にお婆さんが姉さんかぶりで豆かなんかをムシロに干そうとしている。
平成であったが昭和的風景が撮影できた。
豆は干すことにより鞘から実が外れやすい。乾燥することにより保存ができる。
食料の少ない冬場の保存食になる。穀類でも魚でも乾燥で保存食にしてきた。
それでも小豆も2年経過したものは柔らかくならない。

茅葺と共にこんな風景も姿を消す。
民俗学をやっている人は茅葺民家に限らず農作業、農具や作業服装などもカメラに収めている。

私も動けなくなりこんな写真は撮れなくなった。
私の撮れるのは動かない建物だけだ。

2016年 茅葺写真展 干す その2

2017年06月27日 | 2016茅葺写真展
撮影場所 岩手県久慈市

茅葺を求めて山間部の集落へ行く何軒か茅葺きがあった。岩手県の北部から青森県の太平洋側は草棟である。
秋の稲刈りの頃で稲を稲架に干していた何段も積重ねていた。
上に男性が上り下から竹に稲を掛けて奥さんが上げている。
竹の先は股になっていて結び目に挟み上に上げる。
農業の人や漁師の人は夫婦ての共同作業で一日一緒にいる。
親爺が家にいるだけでストレスを感じる人は務まらない。
ヤキモチ焼きは木地屋になれという言葉がある。一日一緒にいるので亭主が他の女と会話する暇もなく監視できるということであろう。

稲を挿しているのは竹か木か分かりにくい。岩手北部には竹は野山にないだろう。
丸い棒かもしれない。

我々のところは稲架は一段積みだが何段も積むのはあまり見かけない。
真竹の太いのがいくらでもあるので作業のやりやすい一段積なんだろう。

東北には棒杭を打ち込んでいろんな掛け方をする稲干しがある。

一年を通して数多く各地を歩かないとこんな風景には出会わない。

2016年 茅葺写真展 干す その1

2017年06月23日 | 2016茅葺写真展
撮影場所 兵庫県小野市

茅葺民家の庭に収穫した豆などを干して乾燥させている。
昔ながらのむしろやゴザの上に干している。
収納する藁で編んだ袋も昔のままである。

現在なら化成品のシートや大型の容器を使う。
人は藁や棕櫚の皮や麻の繊維、綿花を使い紐や袋を作った。
藁は材料費がタダ同然で畳や筵や縄や米俵や叺(かます)草履を作った。

人間の知恵とはすごいものだ江戸時代鎖国のために外国の物がほとんど入らなかったが独自の文化を作った。
年齢の上の先輩などワラジを前の晩に編んで次の日に使ったと言っていた。
私などむしろや縄を編んでいるのを見た程度で作った事もない。

2016年 茅葺写真展 山間民家 その2

2017年06月18日 | 2016茅葺写真展
撮影場所  新潟県上越市

今の時代、山間地を走っていてバッタリ茅葺民に出会うと嬉しいものだ。
ネットや航空写真の時代、実際車で走るより映像から探した方が早い。

しかし、旅はその場に行かないと分からないしいろんな見るものや聞くこともある。
若い頃は自分で運転してどこにでも行ったが高齢化すると運転も危険でツアー旅行になる。

個人の茅葺民家の撮影はツアーには入っていない。
元気な頃か歳を取っても元気な人しかできない趣味だ。
茅葺は年々減るし時間との勝負だ。

新潟まで行くと家々の周りに大木を植えてあり風景に落ち着きがある。高木の杉のある風景だ。
家の周りを林にするには土地も広くなくてはできない。
私の周りでは少ない風景だ。
あと30年もすると日本からこんな茅葺と田園風景は消えるのであろう。






2016年 茅葺写真展 山間民家

2017年06月13日 | 2016茅葺写真展
茅葺民家の撮影でいいなと思うのは一軒単独である。
それと敷地が広く一反(300坪)はある。
山間地だと鉄筋コンクリートやプレハブの新しい民家が映り込まない。
電柱や電線のうるさい風景も入れずに撮れる。
猥雑な風景もよくテーマにするが茅葺民家だけ邪魔されない風景が残っているうちはこんな風景を撮る。

平成の時代になり茅葺探し難しくなったがこんな民家を探し歩くのは楽しみである。
自分が生きた証でもある。一生懸命になり探し求めるのが人生であるとおもう。