懐かしい昭和の情景を追って

過去に撮影したネガをフィルムスキャナーで電子化しています。蒸気機関車、古い町並み、茅葺民家を投稿します。

昭和の遺物たち 木の橋 その3

2016年01月31日 | 昭和の遺物たち写真展
撮影場所 倉敷市吉岡川

倉敷市に吉岡川というのがある。農業用水と生活排水を兼ねた川である。
そこに木の橋が三本架っていた。
車の走る木の橋だった。
私はこの橋を見ながら会社に通っていた。
こんな木の橋はいずれ無くなると思いカメラを持ち写真を撮った。
この近くに倉敷南高校がある。
開校当時の卒業生はこの橋の上に並び写真を撮っいている。
しかし、橋の痛みが酷くなり開校してから10年後にはコンクリートの橋になった。
吉岡川、本来は葦岡であるが葦は悪しに聞こえるので吉岡に言い換えたようだ。

読売新聞の日曜日の本の紹介のページを見ていたら鉄道遺産の宣伝がでていた。

鉄道を鉄道遺産の観点で撮影しなかったと思った。
昭和の時代に昭和遺産の観点でも撮らなかった。

昭和の時代の何が遺産になるのか、それがどう変わっていったかを検証していくのは面白いテーマだったなあ。
せっかく昭和という時代に生きたが過ぎた日々をボケーとしてきた。
自分の人生を楽しく生きるために日々考え何かを見つけないとアカン。
人生は小さなヒントの重ね餅


岡山の茅葺き民家  旧旭町

2016年01月30日 | 茅葺き民家
旭町は中山間地で広い土地がない。
米は棚田で作られている。
山の斜面を長い時間を掛けて棚田にしてきた。
しかし、この地域は人口流出が大きい。
10年間で10パーセント減少した。
食い止める秘策がない。
棚田も雑草が生えて荒廃が続いている。
そのうちに小さな棚田は姿を消して山に還るのであろう。

茅葺き民家も取り壊され棚田も姿を消すようにおもう。
ここに人が住んでいた痕跡も消えそうにおもう。
この民家を撮って20年以上になるが現在の姿を見てみたい気がする。







茅葺き民家 京都府旧美山町

2016年01月29日 | 茅葺き民家
美山町の大野ダムの東側の集落にあった民家。
最近見かけないので撤去されたのであろうか
撤去や建て替えをされると何年か振りに来ると過去の風景が思い出せない。
変わった風景に上書きされて思い出せない。
ナンバーを打ち場所を地図などに書き留めてとないと分らなくなる。
何でも記録が大切だ。

この家はす住んでいたのであろうか畑は耕したあとがなく草もはえている。
しかしこの家につながる小道には草がない。こんな生活感の滲み出た風景が好きだ。
杉の生垣は剪定はされている。数年手入れをしないと枝が徒長して形がくずれてしまう。
山際にひっそりある民家は味わいがある。

撮った時は何も感じず義務的に撮影していったと思う。
後でみるといろいろ面白く撮れたと思う。

日本茅葺紀行 NO,268 東京 青梅市の茅葺き民家

2016年01月28日 | 日本茅葺紀行
関東周辺はなかなか行く気になれない。田舎者は大都会を通らないといけないとおもうと気おくれする。宿泊費も高いしホテルは駐車料金もとられるしあの車の多さと民家の多さにしり込みする。
それでも一度はと思い行ってみた。
青梅までは圏央道が出来て楽になった。
私は車で移動するしかないので運転する家内に負担がかかる。
カーナビはつけていない。緊張感と頭の体操に私が地図を見ながら指示をする。
その指示は適切でなく時々間違える。
旅に間違いは付き物と旅行を続けている。

青梅市まで行くと茅葺き民家があるのだ。
青梅市くらいだと我々の住んでいるところとかわらないと俄然強気になる。
茅葺きのあるところはなるほど匂いがするのだ。
風景や雰囲気が茅葺きがありますよとメッセージを発するのだ。

ここも大分県日田地方と同様で杉皮葺き民家が多い。


昭和の遺物たち 木の橋 その2

2016年01月27日 | 昭和の遺物たち写真展
撮影場所 島根県安来市

安来市の郊外の茅葺き民家を探して走る。
ここも集落は山裾にはりつくように点在していた。
広い田圃のど真ん中に家を建てることはない。
民家は山裾の傾斜地に立っている。
小学校だけが広い平野の真中に建っていた。

その広い平野部にコハクチョウが餌を食べに来ている。
小学校の校舎からハクチョウが見える。
落穂を食べに来ている。米子の中海水鳥公園周辺のが飛んでくる。
餌をやるともっと増えるが人間が手を貸さない。

数は中海宍道湖で1000羽くらいをキープしている。
そんなところに木の橋があった。

子供の頃は小さな橋は木の橋だった。馬車が荷物を曳き喘ぎながら登っていった。
鋼鉄やコンクリートの橋は大きな幹線道路だけだった。


撮影場所 京都府美山町


蒸気機関車 雪の中

2016年01月26日 | 蒸気機関車
撮影場所 室蘭本線沼ノ端

沼ノ端は地名通り湿地帯の中を室蘭本線が通る。
千歳線も分岐しているので両方の機関車が通る。
直線なので快調に飛ばしていく。
余りいい写真がない平たん路で山もなく空が半分の写真は面白みがない。
撮影して40年もしてそんな事に気付く、
二メートルでも高いところから撮ると奥行もひろがる写真がれたのにと思う。
民家を撮る時もどうすればこの家の迫力がでるか試行錯誤しないといけないが面倒なのでいつもと同じように撮っている。

見渡す限り民家もなく誰もいない。寒風の吹くところで一日汽車を待ち続けた。
忍耐強かったと思う。孤独にも感じなかった。
何かの目的意識が無ければできるものではない。
この写真で写真展をしよう、定年後世の中がどう変化しているか検証してみたいという思いはあった。
何かに情熱を持っていれば寒さなど耐えられるものだ。
女房殿は今日の寒風のなか一時間ほど走りにでかけた。
私は暖房の効いた部屋でぬくぬくとパソコンを打っている。

岡山の茅葺き民家  旧加茂町

2016年01月25日 | グルメ
雪の降ったあと加茂町や阿波村によく茅葺き民家の写真を撮りに行った。
寒波が来て三日ほどして行った。天候が安定して除雪が終っているためだ。
寒波の最中にいくと除雪も終わってなく車の腹をする動かなくなる。
車の中で一晩明かすのはガソリンが切れると命取りになる。

私も雪は珍しく喜びいさで撮りに行ったが民家は雪のない時の写真がいい。
雪化粧の言葉通り汚いものも人の生活も隠してしまう。
見た目には美しい光景だが何の味わいもない。
化粧が上手な女性が素顔をごまかしているのとおなじだと思う。
人間味のない顔におもう。

雪の写真ばかり多く雪のないシーズンの写真が少ないのは失敗であった。
茅葺き民家は棟飾りや破風や茅の状態が゛見え人の暮らしが見える写真が基本だとおもう。




茅葺民家 広島県旧吉和村

2016年01月24日 | 昭和の遺物たち写真展
吉和村の茅葺き民家、モノクロフィルムで撮った写真しかない。
ネットを見ると今ものこっているようだ。
デジカメカラーで撮りたいがなかなか実行できない。
一軒を撮るため高速道路を使い行くには躊躇している。
700メートルの標高のため冬場は雪である。
あと何年生きられるかわからないのに頑張っても後世にゴミを残すだけなのとおもうとなかまなか踏ん切りがつかない。
このような考えが年寄りには一番いけないのだが、年寄りの戯れのために貴重な化石エネルギーを消費するのもどうかとも思う。

だが茅葺きは今年も確実に消えている。

 日本茅葺紀行 NO,267 山形県山辺町の民家

2016年01月23日 | 日本茅葺紀行
白鷹町から山辺町につながる山の上の集落に茅葺き民家がのこる。
下からだと車でかなり登る。500メートルはあるだろう。徒歩ではかなり時間が掛かる。
そんな山の上の集落は世間と隔絶されたようにも見えた。
今は車で下の街まで働きにいったり買い物にいくであろうが私には隠れ里に見えた。

10年後もこの集落は残るのであろうかと思いながら撮影した。
米沢や川西町の民家はやけに複雑だが山辺町の茅葺き民家は横に長い。



昭和の遺物たち 木の橋 その1

2016年01月22日 | 昭和の遺物たち写真展
撮影場所 岡山県吉備中央町 旭川水系の支流


今回から三回にわたり木の橋を投稿します。
茅葺きの民家を撮りながら木の橋や木の半鐘を撮った。
昭和の時代には一杯あったと思うがそれに気づかず平成に入り撮りはじめた。

人間て無くなりかけないと気付かない、みんなが話題にし始めて初めて気づく。
自分もこんな後追い人生だったなあとおもう。
それでも気付いて撮っただけましだと思うことにしている。

木の橋のある風景に出会い撮影しただけでも人生儲けだと思うことにしている。
木では耐久性もなく荷重にも耐えられないので現在はコンクリートになった。