懐かしい昭和の情景を追って

過去に撮影したネガをフィルムスキャナーで電子化しています。蒸気機関車、古い町並み、茅葺民家を投稿します。

茅葺き民家 京都府旧美山町

2015年12月31日 | 茅葺き民家

撮影場所 美山町樫原地区、三埜地区

京都府美山町は以前から茅葺民家が残っているのは話題にのぼっいていたので早い段階から訪れていた。

大野ダムの方から入るので手前から撮っていく、行くまでに時間がかかり四時間撮影しては帰る。次に行っても撮った家を再び撮る。
こんな事をやっていてはなかなか先に進めない。
二、三泊して集中して撮れば美山町全体を撮れたのに継ぎ足し撮影でちゃんとすべて回ったかもわからない。地図にプロットや線引きすべきであった。
そのなわけで入口の大野ダム周辺の撮影がついでに撮りなおすのでやたら多い。
三埜地区に久しぶりに行ったが茅葺民家は全くなくなっている。
美山町も北地区周辺は人の目もあり残っているが観光客の訪れない地域はほとんど消えている。


本年も多数の方にブログを見ていただきありがとうございました。
来年も生きている証の日記として変わり映えのしない内容ですが投稿していきます。


日本茅葺紀行 NO,262 鳥取県琴浦町の民家

2015年12月29日 | 日本茅葺紀行
この家はは2010年に国の重要分際の指定になったようだ。
べつの茅葺民家を撮りに行ったときに地元の人にもう一軒や大きな茅葺の民家があるよとおしえてくれた。
塀で囲まれて蔵など何棟もある大きな屋敷だった。
挨拶にいったらこの家で生活をされていた。
重要文化財になりどうされているだろうか
国の重要文化財になると隣の小さな家で暮らす人が多い。

鳥取県は建物百選を制定されていてネットで見える。この家も当然、百選に入っている。
兵庫県なども建物百選が制定されているが各県にほしいものだ。

この家の前の通りは旧道であったのか古い町並みが残っていた。
今は茅葺民家だけしか撮っていないし町並みのレベルが自分の基準でなかったので撮影はしなかった。

昭和の遺物たち 木造駅舎 その2

2015年12月28日 | 昭和の遺物たち写真展
撮影場所 香川県 高徳線志度駅

木造駅舎を撮影のため徳島へ帰省を利用して一駅一駅立ち寄る。
高徳線くらいなら全部の駅に立ち寄っても一日で撮れる。
長い人生一日くらい駅の写真撮影に費やすことは容易だがこれが出来ない。
面倒くさいのである。またやろうと思うとすぐに10年はすぎている。
いつやる、今までしょうと言われそうだ。
何事も面倒くさい事をコツコツ続ける人は偉い。
私も木造駅舎は少し撮って止めている。
物事は千時間かけると止めないそうだ。一週間に10時間掛けても二年掛かる。

この駅舎の写真、駅舎の写真でなく女子高校生を撮るのが目的だったのだろうといわれそうだ。この女子高校生も孫のいそうなおばちゃんになっているのだろう。
このころの女性は結婚して嫁に行くのが女の幸せと思っていた時代でもある。

山陽線西阿知駅



岡山の茅葺民家 雪の茅葺民家

2015年12月27日 | 茅葺き民家
雪の西粟倉村へ行った。
西粟倉村は岡山の北東部にあり鳥取県智頭町に隣接している。
岡山の北部なのでよく雪が降る。
南部は曇り空であった。西粟倉に近づくに従い雪になる。
タイヤチェーンは必要ないレベルの雪だった。
雪でもなんでも撮影に行く予定だった。
雪がしきりにフル光景もまたよいと思った。

行きたい気持ちの昂る時は雨以外は行動した方がよいとおもう。
健康を害すると外に出かける気にもならない。
金と健康はいつまでもあるとは限らラない。


茅葺き民家 兵庫県旧篠山町

2015年12月26日 | 茅葺き民家
まだ高速道路が出来ていなかった時代に一般道で4時に起きて美山町に向かった、
行く途中に茅葺民家がまだ残っていて撮りながらろいくので先が進まない。
これも日の出前に国道173号沿いを走っていて見つけた民家
さっさと撮って先へ急いだ、国道173号から京都府に入り丹波町、日吉町、和知町かのら美山町に入った、
行く途中の早朝に撮った物で光線も悪く時間も掛けていらない。
柿の木に稲架かけの田舎の風景が残っていた。私の好きな懐かしさのこもった民家だっち。

蒸気機関車 岡山機関区

2015年12月25日 | 蒸気機関車
岡山機関区の給炭中の蒸気機関車のテンダーに乗り機関区を撮影。
何とも行儀の悪い写真である。
もちろん機関士の方に断りを入れて登らせてもらった。
こんな撮り方が許された時代であった。
高いところからでないと全景が撮れないので登らせてもらった。
茅葺でも民家でも一枚は高い場所から撮っておきたいものだ。





日本茅葺紀行 NO,261 京都府旧京北町

2015年12月24日 | 日本茅葺紀行
 京北町は現在は京都市に編入、京都から北へ峠を越えて山間に広がる盆地が京北町。
落ち着いた山間の集落が残っていた。
茅葺民家も沢山残っていた。
しかし、初期の頃に訪れたのでカラーの撮影は少ない。
美山町とは隣接しているのでよく雰囲気が似ている。
日本の田舎百選やふるさと百選にぜひ推挙したひい風景である。
なんといっ ても北山杉と茅葺民家のたたずまいが他にはない風景をつくりだしている。
私も20年ぶりに京北町を訪れたが道の駅、スーパーなどができ昔の面影が消えたところもあった。それでも茅葺民家も撮影する程度は残っている。



昭和の遺物たち 木造駅舎 その1

2015年12月23日 | 昭和の遺物たち写真展
撮影場所 岡山県倉敷市玉島駅 現在は新倉敷駅
新幹線駅舎の工事が始まっている。
玉島も北側は畑であったが今は綺麗に整備されている。
駅舎だけではなく周辺の写真もほしかった。
駅前にはダルマポストと公衆電話ボックス、いずれも今は消えてない。
昭和の時代は車の数も少なく車で迎えにくる人もいない。駅前に車が停車していない。

昭和40年代は小さな市の駅は木造か木造モルタル造りであった。
私も蒸気機関車が岡山から消えたあとは岡山県内の木造駅舎を撮べきだっと後悔している。私鉄も含めて
駅舎や待合室、ホームの乗客と列車を全駅撮っていると写真展ができる写真が撮れたと思う。

岡山文庫に岡山の駅という本があるが全駅をとっていれば本にすることも可能であった。
しかし、私は車の免許さえ持っていなかった。
皮肉なもので駅の写真は鉄道を使っては時間がかかりすぎる。
駅舎の写真は3Cが必要である。
カメラ、カー、コンピューターであろうか
今のように撮り放題のデジタルカメラ、撮った写真を整理保存するパソコンがほしい。
撮影の移動は車がほしい。
今ならば駅舎の写真は可能だが味わいのある風景や列車がなくなった。
ひとの服装や格好にも懐かしさがなくなった。




岡山の茅葺民家 柿の木と民家

2015年12月22日 | 茅葺き民家
岡山の県北に柿の木と茅葺民家が撮れる風景を求めていく。
岡山も茅葺民家の絶対数が減ってしまっった。
撮りに行っても以前に5回も10回も撮った家だがまたきてしまった。

茅葺が消えてなくなるまでこんな行動を続けるのであろう。
いつも撮る場所は同じ完全にマンネリ化しているのに毎年カメラをもって撮影にくる。
私は外へ一人で出ることはない季節の風景が見られればいいのだ。

今年は暖冬で紅葉はよくなかった.冷え込みがなく12月になってくすんだまま葉が落ちた。





給水塔 写真集

2015年12月21日 | 日記
新聞の本の紹介に給水塔とゆう本の紹介がありスクラップした。
以前から自分の関心のある新聞記事があれば切り抜いて貼っている。
いまの時代ネットで検索したらいいと思うが余りにも情報が多過ぎて必要なものだけでいいと思っている。

全国の給水塔を撮影しているそうだ。
全国で800塔撮影したという。ネットを見ても給水塔を撮りブログにしている人もいる。
水道局は山腹に給水塔を造り使用量増加時の圧力低下を防いだり断水時のバッファー機能のため給水塔を持っていた。
今は圧力調整もコントロールしているし。停電時は非常用電源も持っているので給水塔を作らないそうだ。電源の不安定な国は必要だが定期点検をしないといけないし建設費がかかるのでなくす方向だそうだ。団地などの屋上に設置されていたが鳩など鳥の死骸が入り水が臭いと問題になった事もある。

物があればそれに興味がある人が必ずいる。水門や団地、鉄塔や水路に興味のある人がいる。
ブラタモリのタモリさんなどは水路、地形、遺跡なんでも来いである。
魚の事はさかなくん、自分も何か一つはテーマをもちたいものだ。

蒸気機関車の時代には機関区には給水塔が必ずあった。
蒸気機関車がなくなれば無用の長物になる。蒸気機関車の名残りに撮ったようにおもう。これから何かの名残りがでてくるであろう。時代とともに必要のないものがでてくる。
そんな遺物を遺産と呼び変える人もいる。