懐かしい昭和の情景を追って

過去に撮影したネガをフィルムスキャナーで電子化しています。蒸気機関車、古い町並み、茅葺民家を投稿します。

翁草

2013年04月30日 | 日記
撮影場所  岡山県津山市(旧阿波村)

阿波(あば)温泉の植えてある翁草が咲いているとテレビで放送していたので行楽がてら出かける。昨年ここで綿毛のような種をもらって帰って播いたが二本しか芽が出なかった。
種は飛んでどこでも生えるようだが人が植えるとうまく芽が出ない。土は余り掛けないようにと言われたのだが、その発芽した二本を大事に育てている。
私には野山の天然の翁草を見に行くのは難しい。

行く途中に茅葺民家も撮りながら一輪草がJR因美線のに法面に咲いていたので撮影する。
岡山県も北部に行くとコゴミが採れるので川べりを探す、一週間遅かった感じだが丸く巻いている物をビニール袋に一杯採って帰り天ぷらとお浸しにして食べる。
春の山菜は私には一番のご馳走だ。丁度ウドを五本180円で売っていたので天ぷらと酢の物で食べる。


因美線の法面に咲いていた一輪草


翁草



川岸に生えていたコゴミ














懐かしい物 木槌

2013年04月29日 | 懐かしい物
撮影場所 岡山県勝山町古々尾(現在は真庭市)

茅葺民家の軒先に木槌を置いてあった。これも昭和の風景と思い撮影した。
これは打ち出の小槌と違い横を使って叩くので「横槌」といわれている。藁の繊維を柔らかくするのに使った。輪切りの木を台にしていたのであろうか

「この木槌で叩けば打ち出の小槌のように小判がでてくるのとちがいますか」といったら
「これで叩いても屁しかでません」と返事が返ってきた。
これには私が一本とられた。

きょうは昭和の日だそうだ。
平成になって四半世紀、早いものだ。
昭和レトロと昭和を懐かしむ風潮がある。
私も昭和の高度成長期以前の建物や道具なども機会があれば撮り残している。

岡山県には岡山文庫というのがあり250項目以上、岡山県の歴史や民俗や観光地を紹介している。これは他府県から移り住んだ者や何かをテーマに写真を撮るものには参考になる。
「岡山の民具」に昔から使われた農業林業漁業の民具を写真と解説をしてくれてある。
著者は岡山の民家など100冊を発行した鶴藤鹿忠氏、昭和20年台から民俗学の研究をされていたので貴重が写真が残っている。
私も寝る前に岡山の民家、岡山の街道、岡山の民具を眺めていると心が落ち着くのだ。




日本茅葺紀行 その49 呉市の民家

2013年04月28日 | 日本茅葺紀行
撮影場所 広島県呉市

広島市の東部エリアに茅葺民家があるのを広島府中市で茅葺民家を撮っている人の写真展を見て初めて知った。
誰しも茅葺民家は北部の中国山地沿いにあると思うが南部の広島市に近いところに茅葺民家が多く存在する。神戸の北区に茅葺民家が存在するのと同じかもしれない。
茅葺民家を維持するには身近に茅葺職人がいる事と葺き替えの費用をまかなえる事であろう。近くに公務員なり会社員なりのしっかりした収入のある人でないと費用の捻出ができない。
今の時代に茅葺を維持するにはコストが掛かりすぎる。10年を経過すると茅は加速度的に痛みだす。日本のような高温多雨の国では茅はせいぜい持っても15年に何百万も掛かるのは金の掛かる建物である。
呉市の市街地から7kmほど行った山間田園地帯に茅葺民家があった。
正面から見ると小屋も茅で昔ながらの民家だ。
民家の裏が気に入った農作業に人が歩く田舎道と生垣に生活感を感じる。


蒸気機関車 オハユ

2013年04月27日 | 蒸気機関車
撮影場所 肥薩線

撮影場所は定かでない客車と郵便列車が一緒になったオハユである。
一両の半分が客車で半分が郵便物を収納する。
郵便物の扉は施錠されていて廊下になっている。
乗客が少ないので荷物と郵便と人を運ぶ
こんな列車もいまとなっては貴重だ。その当時は目にしたのであろうが消える蒸気機関車は気になったが貨車や客車には関心が向かわなかった。
通学の高校生が出たり入ったりしている。
国鉄が民営化するときに郵便輸送はトラックにほとんど切り替えられた。

消えてなくなる物であれば蒸気機関車も駅名も客車、貨車ももっと撮影しておくべきだった。これは偶然撮ったものだろう。時代の先読みなどなかなかできないものだ。

茅葺民家  島根県大東町の民家

2013年04月26日 | 茅葺き民家
撮影場所 島根県大東町(現在は雲南市)

大東町に鯉幟の揚がっていた家があったので正面、裏から撮影させてもらった。
私は裏の山に登り撮影するのが好きである。
裏の山の小高いところから撮影すると集落の状況がわかる。
正面からだとその家だけしか撮影できない。
出来る事なら色々な角度から撮影したい。
しかし、今は歩けないのでこんな撮影は出来なく随分惜しい思いがしている。
この時も長靴を履きマムシに噛まれないように急な斜面を登った。
蛇のいる草むらを搔き分けていくところには家内は撮影に行ってくれない。
島根県の出雲地方の民家だけあって少し棟に反りが入っている。








古い町並み 瓦屋根

2013年04月25日 | 古い町並み
撮影場所  岡山県倉敷市下津井

日本瓦葺きの屋根が少なくなった。保存地域だけになってしまった。
先日の読売新聞に瓦の製造は最盛期の二割に落ち込んだという記事が載っていた。
これはセメント瓦も含めての事で日本瓦に至っては製造は限られているであろう。

瓦屋根がここまで落ち込んだのは阪神淡路大震災での被害であろう。
住宅メーカーはここぞとばかりに在来工法の欠点と瓦屋根の脆弱さを宣伝に利用した。
阪神淡路大震災は直下型地震で浅い部分で起きたので揺れの強さ加速度(単位ガル)も1000ガルにも達した。瓦葺に限らず鉄筋コンクリート施設も随分被害を受けた。
新築間もないマンションも住めなくなった家も多い。トタン屋根やスレートの民家も倒壊している。
加速度が1000ガルに耐える建造物は少ない。
原子力発電所は特に強固に作られているがそれでも600ガルに耐えるよう設計されている。コンビナートなどの工場でも250ガル程度である。
阪神淡路大震災の場合は瓦屋根に古い民家が多く倒壊するのが眼についた。
住宅メーカーの住宅も造成地が崩落して倒壊したのもあったがこんなのは全く口にしない。

昨年、古い町並み写真展をやった時に掲示の写真はどこで撮影したのかと聞いて来た人がいる。瓦屋根の写真を撮っているので瓦屋根のあるところを教えてほしいという。
83歳になるが健康そのものどんな高いところへでも登れるという。
歩くこともできない私は恥ずかしい限りである。
83歳になっても何かにチャレンジするのが健康で生きがいになっているのか
しかし、瓦屋根を撮影テーマにするには30年遅かったように思う。
私も瓦屋根をテーマに撮影したわけでもないので偉そうなことは言えないが
83歳の男性も瓦屋根ばかり何百ケ所も撮影していい作品を作るかもしれない。
何歳になっても何か夢中になれる対象物を探す事であろう。

日本茅葺紀行 その48 千葉県君津市

2013年04月24日 | 日本茅葺紀行
撮影場所 千葉県君津市 2008.3撮影

関東へはどうも車で行くのはいやだった。
車が多いし道路は入り乱れているし、それでも関東一円に一度はいかなくてはと出かけた。
15年前に千葉県には電車で行きレンタカーを借りて茅葺民家を探した事があった。
その頃はところどころにあった。しかし土砂降りの雨でいい写真がない。
今回は房総半島を一周した。千葉県の外房は自然がたっぷりである。
家々の周りを屋敷林が覆っている。
北陸や東北の屋敷林は杉などの針葉樹が多いが千葉県は照葉樹が多い。
生垣で囲った家が多い。槙囲いの美しい集落も見た。
あれは日本の残したい風景のひとつだと思った。
しかし、茅葺民家は少なかった。10年来るのが遅かった。
千葉県は瓦葺も寄棟が多い。茅葺も寄棟でがんぶり瓦を棟仕舞に使っている。
あとは観光に切り替え房総半島を一周した。


蒸気機関車 香月線

2013年04月23日 | 蒸気機関車
撮影場所  福岡県 香月線

香月線は筑豊本線中間駅から分岐して香月まで3.5kmの短い路線です。
3.5kmに駅が四駅と書いてある。
一時一番短い路線であった時期があった。
炭鉱からの石炭運送のために敷設されたが相次ぐ閉山で1985年(昭和60年)4月に廃線となる。
蒸気機関車が走っていた頃で赤字路線は国鉄の経営を圧迫していた。なかでも石炭運搬の赤字路線は廃線になるのは目に見えていた。
しかし、炭鉱を結ぶ路線の枝線には撮影にいっていない。
どうしても列車本数の多い筑豊本線の撮影にいってしまう。
私には枝線を回るだけの時間がなかった。
中間駅から一キロ歩いたところで香月線の蒸気機関車を撮影した。
8620形蒸気機関車の引く普通車だった。客車には冷房はなく窓を開けて走っている。
ほのかに石炭の匂いが車内にも入ってきたであろう。
客車の鉄板はリベットで留めてある。溶接でなかったのだ。

北九州では閉山で廃線になった路線は多い。
室木線、宮田線、添田線、上山田線、勝田線、幸袋線、漆生線があった。、


茅葺民家 牛のいる風景

2013年04月22日 | 茅葺き民家
撮影場所 岡山県津山市

茅葺民家が見える家に牛を飼っていた。
牛を飼っている家は瓦葺の民家である。
牛を天気が良いので外に出していた。お邪魔して撮影させてもらう。
かっては牛を何頭か飼い子牛を生産して売りに出す農家が多かったが最近は子牛の価格も下がり高齢化で世話をする事ができなくなりやめるところも多くなった。
肉牛を生産するところも大型経営するところが多くなり零細農家は廃業するところが増えた。
農家で牛を飼う生活は中国地方の風景であったが様変わりしている。
煙草の栽培も時代とともに激減した。
時代とともに農村風景も変化していくのだ。
その変化を残すのはカメラやビデオの映像しかない。

脚立を借りて茅葺民家が入るように高い位置から撮影した。
撮影している時に世間話をしていたら息子が嫁を病気で亡くし不憫でならないと奥さんが話した。茅葺民家を撮影のために訪れ世間話をするうち家庭の事情まで垣間見てしまう。



懐かしい物 木の半鐘

2013年04月21日 | 懐かしい物
撮影場所 鳥取県智頭町

智頭町の因美線那岐駅近くにあった木の半鐘
三点支持の木の半鐘であった。隣は防災用の倉庫か
雪の降る日にポツンと立っている木の半鐘を見ると余計寂しさを感じる。
沢山あった茅葺民家も姿を消しこの木の半鐘も姿も消した。
昭和の遺物が次々と姿を消して行く。
今も残っている昭和の遺物はなんであろうか
集落も衰退し戦前派、戦中派の昭和生まれの人も姿も消していくのであろうか。