懐かしい昭和の情景を追って

過去に撮影したネガをフィルムスキャナーで電子化しています。蒸気機関車、古い町並み、茅葺民家を投稿します。

日本茅葺紀行 NO,461 入口に樹のある家

2018年07月31日 | 日本茅葺紀行
撮影場所 秋田県羽後町

片中門造りの民家
入口の脇に樹を植えている。
家の裏側にも屋敷林のように杉の木があったが切ってしまって風景が一変している。
葉が落ちたり掃除が煩わしいのか影になり雰囲気も暗くなるので切ったのか。
昔の暮らしだと屋敷林の落ち葉は風呂や竈の焚き付けにつかわれていたが今は焼却処分である。

いつ行っても黒い軽四を駐車しているので右側の木で車を隠した。
奥さんの愛車なのか
この辺りだととどこまで買い物にいくのだろう。
店やましてやスーパーは見かけない。
子供の学校や買い物、働く場なども聞いておくべきだった。
以前来た時は筵にゼンマイを干していた。
どんな山菜を採るのか山菜のある場所などもきくべきだ。
田舎暮らしの一年の楽しみも聞いておくべきだ。

自分は歩けないので山菜取りや魚釣りなど出来ないかのでこんな話は諦めて聞く事もしなかった。
歩けなくても人と話は出来る。



台風の功罪

2018年07月30日 | 日記
台風の功罪

台風12号は本州を横断して西日本豪雨の被災地を再度襲うではと懸念されたが大きな被害は出なかった。雨量も30mm以下で風の被害も無かった。
伊豆や東海から三重、神戸あたりまで雨風の被害もあったが岡山は被害もなかったと思う。

なぜ被害が少なかったか考えてみる。12号はまだ南九州で停滞して海水も高いので豪雨になっている。

1.今回の台風は逆走台風で海上を逆走したのはあったが陸上を700kmも横断したのは知らない。陸上を走行したので海水の水蒸気エネルギーが供給されなかったので雨量も抑えられた。
2.夏場の台風は迷走しスピードが遅く何日も雨が続くが今回は35km/hの速度で三時間で通過したので降水も少なかった。
3.台風は低気圧や前線、水蒸気団を引き連れてくるが今回は太平洋の真ん中でできて量も少なかったのでは。台風7号は東南アジアの雨季の雨雲を引き連れて来たので通過後に西日本豪雨を発生させた。数年前に東北に初めて台風が上陸した時も台風通後も線状降水帯が掛かり続け岩手で大きな災害になった。

台風は被害の巨大さからマイナスイメージばかりだが物にはマイナス面もあればプラス面もある。
どんなプラス面があるか
1.台風は海水を真水に変える魔法使い 今回の雨で関東地方は渇水から救われたのでは。山の木々も雨が降り生き返ったし野菜の栽培も天水で生き生きしている。この雨水を東南アジアからタンカーで買えば大変な金 台風の通過に合わせ地域に雨を散布してくれる。河川水の洪水で川底の掃除や岩や石の洗浄 海に栄養の供給
2.台風は海水温度や空気を攪拌して気温を均一化する役目もある。大波で海水の攪拌し酸素の供給と温度を下げる。

蒸気機関車 民家もある風景

2018年07月30日 | 蒸気機関車
撮影場所 岡山県 伯備線井倉付近

蒸気機関車の写真を見ながらバックの民家を見るのが面白い。
漆喰の倉が見える。瓦は石州瓦のようだ。石の階段があるが上に祠でもあるのか
その当時は蒸気機関車しか興味がなくその時代の建物や構造物、風景を残そうとは思わなかった。鉄道だけでなく集落の風景も入る撮り方が必要だった。
写真を撮る時はその時代を意識して将来消えてなくなるであろう風景を積極的に織り込む必要があった。どんな風景が消えてなくなるか想定するのが時代を生きる事であり未来を予測する事でもあったのか。

40年、50年経過すると暮らしも世の中も大きく違ってきた。
豊な暮らしになり皆が車を持ち近代的な民家に住めるようになった。
これから先は分からないじり貧になりそうな気がする。
じり貧になっても車を手放しパソコンやオール電化を止める生活には戻らないだろう。

懐かしい物 縁側

2018年07月29日 | 懐かしい物
昔の農家には縁側がほとんどの家にあった。
近所の人が来たら茶飲み話をする場所でもある。近所の人が御裾分けを置いていく場所でもあった。
時にはシイタケや切干大根を干したりする場所でもある。
夏場は縁側に座り夕涼み。蚊取線香を置き蚊がくるのを防いだ。
木を燃やした上に刈って来たヨモギを乗せ蒸し焼きにすると煙を嫌がり蚊が一時寄り付かない。蚊は煙を嫌がる。

縁側の他に長椅子を持ってきて夕涼みをした。路地で車も少なかったし狭い道だった。
クーラーも無かったので外で21時くらいまで時間を潰した。
テレビが普及してこん機会は少なくなった。
そんな時には面白いオジサンがいて子供にお化けの話を聞かせる。
狸に騙されて野壺に入ってた話、墓場や学校に出る幽霊の話。
災害の発生場所に現れるよ幽霊や子を残し死んだ若い母親の幽霊。
時にはエッチな話好きなオジサン
語り部のような昔話をするバアサンんもいた。

私なども孫に聞かせる話を持っていないものだ。
へんな事を聞かせると親におこられそうだ。
せめて介護施設にいる爺さん婆さんを笑わせるネタでも仕入れてこよう。



山本作兵衛氏に学ぶ定年後の生き方

2018年07月28日 | 日記
昭和49年撮影 福岡県田川市 辛うじてボタ山が残っていた

山本作兵衛氏(炭鉱画)に学ぶ定年後の生き方

山本作兵衛(1892年(明治25年)-1984年(昭和59年)92歳没)福岡県飯塚市生まれ
7歳から父や兄と一緒に炭坑に入る。尋常小学を卒業して50年間 炭鉱夫をする。
65歳頃から子供や孫のために消えていく炭鉱の生活や人情を残したいと絵筆をもつ。
絵画585点と日記や雑記帳36点が日本で初めて世界記憶遺産に登録される。2011年5月 当初は炭鉱跡を世界遺産に登録しようとしたがノミネートされずその資料にあった山本作兵衛の絵がユネスコの担当者の眼にとまり記憶遺産登録を推され登録となった。
世界記憶遺産はアンネの日記やグリム童話の原稿、ベートーベンの第9の楽譜の原本が登録されている。日本であれば鳥獣戯画や源氏物語絵巻の国宝級を差し置いて初めて選ばれたのが素晴らしい。
NHKではクローズアップ現代、NHK特集 日曜美術館でも放送され世の中にすごい人がいるものだと思った。
定年後に何か子供や孫に伝承しようと始めたもの。当初は文章で残そうとおもっていたが奥さんに反対される。炭鉱で働く人の中には家庭の事情や犯罪者、朝鮮人もいた。
露骨に書かれたくない人も大勢いる。絵にして炭鉱の暗部を露骨に出さないほうがよいのではと奥さんにアドバイスされる。
私は福岡県田川市の石炭歴史博物館で山本作兵衛の作品展を6年前に見に行った。
田川市に行くのは40年ぶりだった。ポタ山も消え薄汚い炭鉱の風景はなくなっていた。
作兵衛の絵は坑道内の作業の他にロープやワイヤーの結束方法や滑車の使い方、作業マニュアルになりそうな絵まであった。これは実際坑内で働いた人でないと描けない絵もあった。
ショッキングな絵は坑内では女性も働いている上半身は裸で下は腰巻だけで中には乳飲み子を背負って働く姿もあった。山口県の石炭博物館で女性が上半身裸で下は腰巻だけの写真を見た事があった。
作兵衛の日記も展示してあった。雑記帳には難しい漢字がノート一冊に書き込まれていた。尋常小学校しか出ていないので常に勉強して知識を身に付けていたのが伺える。人間は学歴や家柄や職業や役職ではない。人生は気迫であろう、自分がどう生きて来て何を考えやってきたかを問われているように思う。

山本作兵衛に定年後の生き方について凄みを見せられた。
黄金の定年後と言いながら散歩と家庭菜園で日が暮れて一日が終る。75歳過ぎたら外へも行くのも面倒でどんどん歳をとる人が多い。定年前は夢を語ったが実行する人は割とすくない。その反面テーマを持ち長年探求している人の話は面白いし話題も多い。
ネットや本に書いてある誰でも知っている話は面白くない。


茅葺き民家  オヤジでも夢中になるもの

2018年07月26日 | 茅葺き民家
撮影場所 島根県旧大東町

茅葺き民家の全景を撮るため民家の裏山に登らせてもらう。
夏場は山路や畦道は長靴を履きマムシに噛まれない注意している。

ある温泉で夜露天風呂に行く道か照明も少なく暗くマムシに噛まれた客がいた。
幸い血清を打ち命を落とす事は無かったが後遺症でその後も治療に通っている。
職場に子供の頃にマムシに噛まれた人がいたが他人は言われてみないと分らないが噛まれた足はに違和感があると言っていた。

こんな茅葺き民家を探し歩いていた頃は楽しかった。
男は凝り性で物を集めたりテーマを持ち全国を歩きまわる熱中人が多い。
中には家族もほったらかし金銭に糸目をつけずの人もいる。

老人になっても夢中になるものを持っている人は生き生きしているし話題も豊富だ。
自分の体験を話すので聞く方も刺激を受ける。

何かに熱中するのは人間には必要である。四無と言われた興味もない感動もない行動もない関心もない。そんな人間よりは随分ましたが度が過ぎると結婚生活の必要がないのではと離婚を妻から迫られる事もある。

私も家内から結婚せずに独身でいた方がよかったのではと言われた事がある。
何のために熱中するのか男の考えが理解できなかったのであろう。
男のロマン 女の不満である。
しかし金は小遣いと配当金を積み立て旅費に使ったので貯金まで下して使う事はなかった。

定年後6回写真展をした家内はすべて手伝ってくれた。
家内はその写真を見て何十年先の事を考えて行動していたのが分かったと私には言わず息子に言ったようだ。


ダム放水の人身災害をどう防ぐ

2018年07月25日 | 日記

ダムの放流での人身災害は過去にも何度も悲劇がある。
キャンプや川遊びアユ釣りで犠牲になっている。
いつも事前通報をしたかサイレンで警告したかという問題になる。
これからも本格的な台風シーズン何処でも洪水の可能性はある。


今回の西日本豪雨では岡山県高梁川水系では真備町を中心に60人が水死する大惨事となった。
この要因になったひとつがダムの放流である。
しかし、ダムの放流に責任を持たせるのは酷である。
降水量が430mmもあった。ダムは空でも150mm降れば満水になる。
空のダムが三つないと吸収できない降水量である。
ダムの決壊による被害を考え流入量以上に放流する。
ダムのあるのは上流部、流域には枝のような支流がありダムの流域面積よりはるかに広い降水量と放水量で流域は越流や土手の決壊で水没した。3000m3/S以上ながれていたと思う。

雨は全域に250mmから430mm降っていた。

私は7月5日の降りはじめから7日のやむまで国土交通省の川の防災情報を見ていた。
雨雲のレーダーや時間降水量と積算雨量が見える。各地方、県別、市町村別のアメダスポイントで見える。各河川の水位も確認できる。越流すると赤色標示される。

もうひとつは岡山県のホームページの企業局高梁川水系の水情報を見ていた。
しかし、7月5日から7日のダムの水位 流入量 放水量の情報は一切更新されなかった。
これは甚大な被害が予想されるので情報を隠蔽したとしか思えない。
何のためのダム情報なのかと思う.土日は更新しないが平日だったのにお役所仕事のいい加減さを感じる。人の命がかかわっているのに
昭和47年7月豪雨でダムの放流で死者や家屋の流失があり裁判沙汰になった。県民に余計な情報は流さない体質かと思う。

高梁川水系のダムは新成羽ダム以外は満水であった。新成羽ダムが一番大きい。これも5日には70mm降ったので満水になったと思う。ダムが治水の役目ははたせなかった。


7月5日は九州から中国地方 京都滋賀に線状降水帯が出来た。
7月6日には豊後水道から愛媛、広島、岡山から近畿 岐阜にかけて線状降水帯が掛かりづけた。これから7日に掛けての降水が愛媛 広島 岡山の三県の被害を大きくした。

6日からダムの放流が始まった。高梁川に沿い国道180号線が走っている。国道が高梁川の越流で何か所も濁流に襲われた。総社市日羽で通行止めにするためバリケード設置に向かった14名があっとゆうまに腰まで濁流に襲われガードレールにしがみついたりでしたが二名が流され行方不明になった。その後6時間してバックウオーターで小田川の水位が危険水位まで上昇した。国道180号線を車で走行していて流される車がいなかったのは幸いだった。これは危険を予知して回避行動したのだろう。

6日から7日に携帯や地域の消防からサイレンや避難指示の放送があった。
私は0時には寝ていた。うるさく30分おきに携帯が鳴った。
7日の1時に小田川決壊のメールが入った。
夜中の大雨の中、避難する人は少なかったとおもう。
夜間の災害は被害を大きくする。日中ならば迅速に行動するのだろう。
小田川の危険水位の情報を流さなかったと問題になった。
小田川決壊のメールは入ったが水没し始めるまで行動しなかった人が多い。
夜中寝られないので携帯の電源を切ったという人もいた。
倉敷市は洪水のハザードマップを市民に配布している。真備町も堤防が決壊すると4m水没するとある。

災害情報は全員に伝えるのは難しい本人がどれくらい危機意識を持つかできまる。
今の時代、河川水量とダムの放水で各ポイントの河川水量と被害の出そうな場所をテレビなどで公表できないか 県は放流で責任をとるのが嫌で公表しないであろう

高梁川水系の水位をずって見ていた。しかし水位は危険なレベルでなかった。
安心していたら国道180号線や周辺の集落が数多く冠水している。
倉敷市酒津が決壊すると倉敷中が水没する。ここも土手から越流があり流木で土手の道路は通行止めとなった。危機一髪であった。
河川水位は市町村の中心地で洪水の起きない河川の広いところや土手の高い位置についていると思う。水位だけを鵜呑みにするのは危険。
危険度の高いところに監視カメラと共に水位計も付けるべきだ。
水位計はレーザーや超音波の安いのがある。

国道や河川にライブカメラを設置してあるところがある。
監視カメラの設置は多いが河川や道路の防災用の監視カメラを増やせないものか
河川水位や道路の冠水状況を見ると身の危険を感じて行動を起こすか
250mm降れば避難と思っている。降水量が多いとダムの治水の役目はなく放流量が増水の原因になるのを心得ておく。

日本茅葺紀行 NO,460 田舎の農家

2018年07月24日 | 日本茅葺紀行
撮影場所 兵庫県旧吉川街

吉川町は神戸市北区に隣接して今なお茅葺き民家が残る地域だ。
猛暑の時も撮影に行った。
車で走るだけではなく山路 坂道も歩かないといけない。
シャツや上着がびっしょり濡れる。公園などがあれば頭から水をかぶり上半身を洗ったり拭いたりしないとたまらない。
岡山県の阿波村で民家のないところでは川があったので素っ裸で淵に身体を沈め20分はいったら冷え冷えになった。民家のあるところでは水も冷たくなしいし生活排水も入る。
山間部の撮影の楽しみだが次から素っ裸はやめ短パンを忘れず持っていくことにした。

茅葺き民家の家はほとんどが田や畑を持っている。
完全にサラリーマンになれば茅葺き民家は積水ハウスに替えるのであろう。
茅葺き民家は農家といってもいい。
敷地も最低でも100坪はある広い家は一反はある。
生垣に庭木のある風景は日本の農村の民家だ。
自分ではこんな民家は持てないので写真で民家コレクションで撮り集めている。



老人の記事のタイトルはなぜ悲観的なのか

2018年07月23日 | 日記
老人を扱ったテレビ、ネット新聞の記事は悲観的なタイトルの物が多い。
楽観的なものでは反響がなく見てくれないからか
悲観的なタイトルに人間は興味をもつのかと思う。

どんなタイトルがあるか
1.下流老人
2.孤独死
3.絶望老人
4.漂流老人

こんな記事は誰が読むのか下流老人の人は新聞もとらないしパソコンもなくネットもしないので読まない。上流老人は下流老人の事など関心もない自分が努力しなかったからおちぶれるのだと同情もしない。読むのは中流層か、年金ももらいそれなりの蓄えもっている層であろうかな。こんな悲観的な記事を見て自分の暮らしは安心だと優越感に浸るのである。
心に余裕のある人が読むのだ。

あなたも一歩間違えると下流老人になると書かれたら読んでみようと思う。
不安心理にさせて読ませる詐欺に限りなく近いものもある。
そりゃあどんな時代でも10パーセントくらいの落ちこぼれの人はいる。
それを老人すべてか下流老人になると言った書き方は止めてほしい。

資産の大半は老人層が持っている。30代の暮らしより裕福だ。我々はあと生きても10年か15年の命に何を怖がる事があろうか。

一方こんな記事を書いても妬まれ読んでくれないだろう。
1.国民の一割しか知らない老人の驚くべき資産力
2.老人は年金より多い副収入の暮らし (配当、家賃収入 駐車場収入)
3.老後は株式の運用で年金より多く稼ぐ人
4.老後は株配当金と優待券で贅沢に暮す人

私の昭和鉄道遺産 その77 佐土原C56型

2018年07月23日 | 私の昭和鉄道遺産
撮影場所 宮崎県 日豊線佐土原駅構内

C56型の135号機が停車している。
妻線で運行され仕事が終われば宮崎機関区に帰る。

写真には昭和の風景が残っている。
民家は日本瓦の家が多い。腕木式の信号機が見える。
電柱も木製で通信用の電線が張られている。
これはハエタタキと呼ばれていた。形がハエタタキのように見えるからだ。
あれから通信ケーブルになり光ファイバーになった。
時代の進歩の速さに驚かされる。

人生を生きるのは時代の変化を感じないといけないが歳をとってみると漠然と時代に流されたと思う。信号機が電球からLEDに変わったとか公衆電話が撤去されたとか時代時代の変化をメモしていかないといけない。
歳をとると何で一年が早く過ぎるのかの説明があった。行動も制約され感動や発見や驚きが少なくなってきたからだそうだ。歳をとると必要なのは今日感動したこと新しく発見したことに多く巡り合う事か