懐かしい昭和の情景を追って

過去に撮影したネガをフィルムスキャナーで電子化しています。蒸気機関車、古い町並み、茅葺民家を投稿します。

日本茅葺紀行 その38 島根県六日市町

2013年02月28日 | 日本茅葺紀行
撮影場所 島根県六日市町 2002.5.30

六日市町は島根県の西南部、山口県に近い。
遠いが高速のインターがあるので日帰りできる範囲である。
この時の目的は茅葺民家を探すことと観光を兼ねていた。
茅葺民家も余り残っていないので観光をいれないと時間が余る。

茅葺民家の撮影の前にレストランで飼っているツキノワグマを見に行く。
レストランに飼っている二頭のクマのうち一頭がジュースをやると缶のプルを爪でひっかけて開けて仰向けに寝てごっくんごっくん飲むのである。あるテレビで放送していたので見に行った。
見に来るお客のほとんどの人がジュースを檻の上から投げ込むので空き缶だらけ
客寄せで熊を置いたが古ぼけたレストランには客はいない。
ジュースの売り上げで生計がなりたっているように思った。
あんなにジュースを飲んで糖尿病にならないのかと思った。
熊は日本酒も好きだ、しかし一気飲みはせずぺろぺろなめていた。

茅葺民家は教えてもらった。島根県の外れを探すのは我々のところからだと効率が悪すぎる。放浪の旅でもしていれば探す事もできようがまだ現役で仕事をしていたので致し方ない。
小屋も茅の民家だった。農家の人の暮らしがある民家に出合うとうれしい。
これから国重文の道面家を訪れた。

茅葺民家を探すのに山道を走っていたら寒冷紗を掛けてあったので何を栽培しているのか聞いたらわさびという。茎と葉を使う「畑わさび」だった。ふりかけやわさび漬けに使うのだそうだ。沢わさびのように茎が肥大化しないそうだ。
わさびは厭地現象を起こすので沢に植えていつも水で流すと肥大化するそうだ。

ここから津和野へ抜ける道が整備されていたので一時間でたどり着く          

古い町並み  岡山県玉野市八浜

2013年02月27日 | 古い町並み
撮影場所 岡山県玉野市八浜

玉野市八浜は味わいのある町である。板張りの家やナマコ壁、格子に本瓦、時代の変化がないまま生きている。
何度に分けて八浜を投稿します。
何の手を加えず昔のままの集落であえばうれしい。
町並みの評価で一番は手を加えていない建物が残されているか、古い町並みで人々の生活が残っているかであろう。

町並みは手を加えてリニューアルし観光客を呼ぶ町並みにするか潰され新しい現代の建物に建て替えるのいずれである。
維持が出来なくなったら壊すので自然であろう。
保存すべきだとかうるさいは第三者の他人である。金は出さずに口はだす。この財政難に行政が保存せよという。
壊されなくなる前に撮影するか、甘んじてリニューアルされた町並みを撮影しかない。
私はリニューアルされた町並みは撮影しない。あと何年生きられるか分からない。
後世に必要とされない映像を残してもゴミを残すだけである。
本人は苦労して撮影しても家族はそんなもの残されても荷物が溜まるだけ(家族は評価しないと思った方がよい)、一年くらいは置いてくれるが三周忌にはゴミとして処分されるだろうと思っている。
NHKスペシャルの「漂流老人」を見て人間死んだら何もかも思いでまでもゴミとして処分されるのだ。
身体の動かない私も同じ境遇になるのだろうと思い番組を見ていた。

デジカメ時代こそ写真も断捨離が必要かもしれない。









茅葺民家 兵庫県今田町の民家

2013年02月26日 | 茅葺き民家
撮影場所 兵庫県今田町(現在は篠山市)

今田町から昔の旧国名では丹波に入るのであろうか
丹波篠山と呼ばれていた地域である。
旧播州の姫路のエリアには茅葺民家はほとんど無かった。
国道372号線で篠山に近づいてくるに従い茅葺民家が見られた。
茅葺が似合いそうな風景になってくる。国道372号線から脇の道に入り茅葺民家をさがした。
行き止まりになっている集落も多かったがそんな集落にひっそりと茅葺民家があった。
この写真の家は四斗谷という集落にあった。
角屋造りの民家である。摂津、丹波地方にある。
おばあちゃんがいたので話をしながら民家と一緒に撮らせてもらった。









SL写真展 ご案内

2013年02月26日 | 蒸気機関車
懐かしの蒸気機関車写真展案内

昭和の蒸気機関車の写真展を下記内容で開催します。

「開催日」 :平成25年3月11日(月)から3月17日(日)
初日は展示のため12時から 最終日は片付けのため16時まで
通常は9時から17時まで開いています。

「会場」 : 中国電力岡山支店 エネルギアプラザ(県庁の西側)

「開催者」  mihoshi55  倉敷市在住


「内容」  国鉄の蒸気機関車写真 モノクロ65枚

蒸気機関車の写真については当ブログ「懐かしい昭和の情景を追って」 で検索いただき参照下さい。
中国電力のイベント予定はホームページで確認ください。二月末に出る予定です。
近くの方で鉄道や蒸気機関車に興味にある方は是非お越しください。

当、蒸気機関車は昭和43年から49年に撮影したものです。
蒸気機関車は昭和50年末に全廃しました。
廃止に伴い大きなSLブームが起きました。
私もそのブームに乗った俄かファンの一人でした。

その当時、国鉄は多額の債務をかかえ日本の一番の難題でした。その後、国鉄は民営化され土地の売却や合理化が行われました。それにより消えたのは蒸気機関車だけでなく客車や貨車、路線も姿を消しました。
蒸気機関車は現在でも根強い人気がありJR各社や他鉄道会社で復活していて沿道には大変な数のカメラマンが押し掛ける状態が続いています。

今回の写真展は定年後、茅葺民家、古い町並みについで三回目の写真展です。
過去に撮影した写真をフィルムスキャナーでデジタル化し終わったものからアルバム作りと写真展を兼ねて実施しています。

懐かしの蒸気機関車 写真展案内

2013年02月25日 | 蒸気機関車
懐かしの蒸気機関車写真展案内

昭和の蒸気機関車の写真展を下記内容で開催します。

「開催日」 :平成25年3月11日(月)から3月17日(日)
初日は展示のため12時から 最終日は片付けのため16時まで
通常は9時から17時まで開いています。

「会場」 : 中国電力岡山支店 エネルギアプラザ(県庁の西側)

「開催者」  mihoshi55  倉敷市在住


「内容」  国鉄の蒸気機関車写真 モノクロ65枚

蒸気機関車の写真については当ブログ「懐かしい昭和の情景を追って」 で検索いただき参照下さい。
中国電力のイベント予定はホームページで確認ください。二月末に出る予定です。
鉄道や蒸気機関車に興味にある方は是非お越しください。

当、蒸気機関車は昭和43年から49年に撮影したものです。
蒸気機関車は昭和50年末に全廃しました。
廃止に伴い大きなSLブームが起きました。
私もそのブームに乗った俄かファンの一人でした。

その当時、国鉄は多額の債務をかかえ日本の一番の難題でした。その後、国鉄は民営化され土地の売却や合理化が行われました。それにより消えたのは蒸気機関車だけでなく客車や貨車、路線も姿を消しました。
蒸気機関車は現在でも根強い人気がありJR各社や他鉄道会社で復活していて沿道には大変な数のカメラマンが押し掛ける状態が続いています。

今回の写真展は定年後、茅葺民家、古い町並みについで三回目の写真展です。
過去に撮影した写真をフィルムスキャナーでデジタル化し終わったものからアルバム作りと写真展を兼ねて実施しています。

日本茅葺紀行 その37  広島県河内町の民家

2013年02月24日 | 日本茅葺紀行
撮影場所 広島県河内町(現在は東広島市) 2005.11.13

河内町で撮影のため訪れた民家のご主人が河内町にも茅葺民家があるのを教えてくれた。
何軒か教えてくれたが茅葺として残っていたのはこの一軒だけだった。
この付近には観光地もなく我々のところから訪れる事は少ない。
この家は山陽線の駅の近くにあるが線路までに民家もあり鉄道と茅葺民家を一緒には撮影することは難しい。
民家の入り口まで石垣でスロープを造ってある。コンクリートのスロープでないのがよい。
造りは寄棟で棟仕舞は箱棟で広島県でよく見る形状であろうか。
裏には柿の木が植えてある。茅葺には柿の木でよく似合う。





町から消えた商店

2013年02月23日 | 懐かしい物
撮影場所 岡山県倉敷市

町から昔からの商店が消えていった。
その背景には大型スーパーや大型ホームセンターの進出やコンビニ、食べ物のチーン店がどこの町にもできたことであう。従来の店は経営できず閉めるところが多くなった。
煙草屋もまた喫煙者の減少や自動販売機設置で姿を消した。

そんな昔ながらの店屋ばかり追い続けても面白いとおもう。今となっては時すでに遅しの感がある。平成になってすぐには残っていたかもしれないが平成も25年目に入った。
個人商店を撮るにも条件のかなうものに限定したほうがよいと思う。
都会に行けばそれなりに個人商店も残っていると思うがなんでもやみくもに撮るのではなく「なつかしさ」「古さ」をキーワードに残して店に限定したほうがよいと思う。
条件としては
1.昭和40年以前の建物である事
2.日本瓦の民家で新建材を使っていない。
3.ホーロー挽きの看板など昭和の匂いの残る店構えである事
こんな店屋に出合えば撮影したいものだ。

店屋と言えば「看板建築」というのがある。関東大震災の後に登場した二階建て店舗兼住宅で前面を平面にしてモルタルや銅板で装飾した店屋である。
擬洋風化された建物で建築家 藤森昭信氏(路上観察会)が命名したといわれている。
看板建築をネットで検索したら沢山の写真が出てくる。
こればかり追いかけてブログやホームページに発信している人が大勢いるのであろう。
以前、NHKの「美の壺」でも看板建築の放送があり私も録画して繰り返し見た思いでがある。




茅葺民家 雪の日の散歩

2013年02月22日 | 茅葺き民家
撮影場所  岡山県加茂町(現在は津山市)

雪が降る中、傘をさして茅葺民家を撮影していたら女性が傘をさして歩いて来た。
女性にこの雪の中、「なにをされているのですか」と聞いてみた。
「散歩」との答え、冬は雪が降り運動不足になるので毎日一時間歩いているそうだ。
雪掻きをしても運動不足になるのであろうか
田舎でも冬場はやる仕事がないのだと思った。
藁を使って縄や筵を編むわけでもなく、大量に漬物や味噌も作るわけでもない。
物は手造りすることもなく店に行けばなんでもそろっている時代である。
田舎の暮らしも都会の暮らしのように楽になっている。
雪で農作業はやることもないしパートなどで仕事にでないと日中は女性でもやる事がないのかと思った。

そんな散歩と茅葺民家を撮らせてもらった。





蒸気機関車  青森C61形蒸気機関車

2013年02月21日 | 蒸気機関車
撮影場所 青森市奥羽線操作場

奥羽線で電化前まで走っていたC61形蒸気機関車。奥羽線の全電化は昭和46年、 C61形蒸気機関車は昭和22年から昭和24年に掛けて33両が製作された。 戦後余剰になった貨物用のD51形蒸気機関車の罐を使い、特急、急行用の蒸気機関車を製作した。私は特急や急行を牽引した華やかな活躍の場は見ていない。
C6118号機は奥羽線が電化後、日豊線で普通車、貨物列車を牽引して昭和50年に除籍される。現在は直方市で静態保存されている。 現在C6120が復元運行されているが大型蒸気機関車だけに迫力満点のようだ。 蒸気機関車を見たことも乗った事もない世代が多くなっている。維持費は掛かるが蒸気機関車が見られるのは嬉しい事だ。


日本茅葺紀行 その36 山梨県忍野村

2013年02月20日 | 日本茅葺紀行
撮影場所 山梨県忍野村 2005.11.5

忍野村は忍野八海があり富士山の観光地である。
忍野八海に近いところに何軒も茅葺民家がある。観光用の茅葺民家もあるが個人の住居の茅葺民家も何軒もあった。
養蚕が盛んな地域だったので妻側は兜造りが多い。西日本ではほとんど目にしない兜造りを初めて見て感動した。妻側の形が兜に似ているのでこの名が付いたそうだ。
大型の茅葺民家のため屋根も大きい。こんな民家を21世紀まで個人が守り続けた事に敬服する。
撮影のついでに忍野八海を見学する。富士山の伏流水とも中山湖とつながり浸透されているとも言われている。一年を通して冷たい湧き水である。
その伏流水は小川になり流れる程に量が多い。
富士登山する人は年間膨大な数の人である。この人たちの排泄物は以前は垂れ流しにされていた。これも当然、伏流水になって長い年月かけて下に流れ下るのだろうと思いながら水を飲んだ。これは上水道でも致し方ない京都の排水を大阪の人が飲まなくてはならない。

私も旅行をすると名水には立ち寄るようにしている。阿蘇の白水や柿田川、羊蹄山、火山の礫層を通したり河川砂利層を通したところに湧水は多い。大量に流れる湧水群は神秘的でもある。