懐かしい昭和の情景を追って

過去に撮影したネガをフィルムスキャナーで電子化しています。蒸気機関車、古い町並み、茅葺民家を投稿します。

2016年 茅葺写真展 出会った人々

2017年02月28日 | 2016茅葺写真展
茅葺民家の撮影を始めて当初は単純に民家だけを撮影しておこうと思った。
しかし、茅葺民家は人が住むためにあるのだと分り切った事に気付いた。
住む人も地域の人も入れて撮るように心掛けた。
また茅葺民家を維持管理、暮すためにどのような事をしているか地域の風景に茅葺が溶け込んでいるか26項目の関連項目をあげてみた。
出会った人々もその一つである。

鳥取県日南町で出会った女性は92歳になるという。大きな病気はしたことないという。
75歳までは男に混じり山仕事や建設現場で働いたという。
ひたすら真面目に一生懸命生きてきたと言葉の隅々から感じ取れる。
感謝の言葉がよくでてくる。こんな人が100歳まで生きるのかと思った。

日本の農村の女性は角の無い牛と形容されるほど泥だらけになりよく働いた。
この女性もそんな暮らしであったと考えられる。
畑の作物を見せてもらう、見なれない野菜にきいたら、しおでと言った。山菜で山のアスパラと言われているそうだ。
春先の地中からでた新芽を食べるそうだ。息子さんが山から採ってきたそうだ。
このあたりの家はどこもウドをうえている。株の周囲を木の板で囲みもみ殻を60センチ程いれてある。光に当てず白いウドを収獲するそうだ。
ウドはすぐに成長するが成長した新芽を天ぷらにするとおいしい。

茅葺民家 兵庫県篠山市の民家

2017年02月27日 | 茅葺き民家
茅葺民家を求めて東に進んでいく。
姫路から372号線どんどん進むと篠山盆地に入る。
標高が160メートルくらいの盆地である。
山間部に広い平野が広がる盆地
各地に盆地はあるがどうしてこんな盆地が出来地たのか興味が湧く。
流れ出す川が堰き止められて湖になり土石が流れ込み平坦な土地になったようだ。

かっては篠山には城が造られ松平家が城主になる防衛の要所であった。
以前は随分茅葺民家もあったが今の時代、維持が難しくなった。
数少なくなった丹波地方の民家をコツコツ撮影している。

同じ民家をなんで4回も5回も撮るのかと家内に聞かれる。
ガソリン代も高速代も時間もおしいではないかといわれているようだ。
年金暮らしで医療費介護費も人よりかかるそんな余裕はないのだ。
しかし、茅葺民家が残る間は撮っておこうと思う。

写真の民家は15年前に畦道を歩きながら自分でフィルムカメラで撮った。
車椅子では畦道は進めない。藁を積んであるのを見に行く。




日本茅葺紀行 NO,349 広島県東広島市の民家

2017年02月26日 | 日本茅葺紀行
今日は一日テレビデ―だった。
家に籠っいるのでテレビを見るかパソコンを見るかの日々である。
東京マラソンを最初から最後まで見る。
そのあとは録り溜めてビデオを見た。

家内は早朝から吉備路マラソンに出かける。
吉備路マラソンより六十路(むそじ)マラソンじゃないかと余計な事を云った。
公務員ランナー川内選手が招待できていたと言っていた。

東広島市の茅葺民家、教えてもらわないと分からない場所だ。
東広島市の茅葺民家も随分減ったと聞く。
残り少なくなったのをカメラを買い替える都度撮影させてもらっている。
この家の住人の方が優しくて写真撮りに訪れた者の話相手をしてくれる。
向こうもよく覚えているので何度も行きにくい。

ここを撮影して山陽本線沿いのお好み焼き屋でお好み焼きを持つ帰りで買ってくる。
結構繁盛していて人が多く車椅子では迷惑する。
広島へ来るとお好み焼きだなあ。

茅葺民家、土塀のある昔からの家だ。石垣、土塀も民家の要素だ。

私の昭和鉄道遺産 その21 朝の倉敷駅

2017年02月25日 | 私の昭和鉄道遺産
朝の倉敷駅では伯備線のホームで蒸気機機関車の牽引する客車が交換する風景が見えた。
そのシーンを撮るために何度か通った。
こんな客車もすっかり姿を消した。
蒸気機関車が客車や貨物を牽引するする姿は一日に何十回と見えたはずだが意外と撮影していない。一年だと4000回は駅に停車しているはずである。
写真は撮ろうとする意志が無いと撮れないものだ。
行動しようとする意志と継続して撮る粘りがないと撮れない。
これを撮っておけば将来時代の記録になると気付く事も必要だ。
さっと行動するフットワークの軽さが必要だ。それをやった人は定年後からでも素晴らしい作品を残す。ウジウジ行動もしないで日々を暮らしていたらすぐに10年は経過する。

世の中には20歳代から80歳まで目標を持ちやったすごい人もいる。

蒸気機関車の客車に乗り各駅に停車する光景を撮ったかいうとそんなことは全くやっていない。自分の住んでいる県の駅だけでも蒸気機関車に乗り撮っておかないといけなかったな。反省


2016年 茅葺写真展 棚田 その2

2017年02月24日 | 2016茅葺写真展
棚田は保存活動もありそれなりに残っている。
瀬戸内海の島々に点在していた段々畑は消滅している。
島の人口が多い時に半農半漁の生活で女性たちは狭い段々畑で野菜をつくった。
天水が頼りの野菜作りである。

瀬戸内海航路に乗り天まで耕された段々畑を目にした。
それは人々の生きるための努力の痕跡でもある。
しかし、その風景の重要性に気付かずカメラにも撮らなかった。
今ではほとんどの段々畑は雑草や木々に覆われて痕跡すら分からない。
昭和の残すべき風景のひとつであったと思う。

小さな棚田も耕作放棄され山に還っているいるものもある。

時代が少しづつ変化しているのに気づかず何十年もして気付く事がある。
時代がどんどん便利になり新しい物にばかり目が行くとそんな古い物には関心も無くなる。

私は昔のモノや消えていくものに関心がある。


撮影場所 兵庫県猪名川町




好きなおでんの具 蛸

2017年02月23日 | 日記
おでんは何でも好きである。中でも好きなのが蛸である。
蛸の刺身や煮つけは硬くて年寄りには苦手である。しかし、おでんにして大根などと長い時間煮ると柔らかくなり食べやすい。味も沁み食感と旨みがたまらない。
元気な頃はカニかごに魚ののアラや鳥の骨を入れ海に投げ込み捕りに行った。
フェリー代やガソリン代を考えると買った方が安かったかもしれない。
捕った時は一匹切っておでんの具にした。

ところでおでんの言葉は田楽におを付けた「おでんがく」からきているのか
田楽は里芋やこんにゃくに甘味噌を付けた味噌田楽がもとではないか
関西では今の醬油で味付けするおでんは関東炊き(かんとだき)と言っていた。
食べ物は伝搬元の名前が付くので関東風おでん 「かんとうだき」だったのか

茅葺民家 秋田県羽後町の民家

2017年02月23日 | 茅葺き民家
羽後町は東北でも広い平野に恵まれた地ではないので家の建つ場所は斜面を切り開いた土地を利用している。
少ない平地は田畑に利用して民家は斜面の利用となる。

全国各地、斜面に家の建っている所は都会、山間部を問わず多い。
日本のような狭い土地で多くの人口では住いにつかえる土地は厳しいものがある。

茅葺民家も斜面にある家は撮りにくい。
下から見上げると民家は迫力がなくなる。同じ高さか少し上から撮った方が家が生ききる。

下から見上げる民家は私の様に歩けない者には苦戦である。
斜面に建つ家は敷地も制限があり正面からも撮りにくい。
たまには裏の高い道路から俯瞰できる家もある。そんな時はラッキーである。







日本茅葺紀行 NO,348 兵庫県神戸市の民家

2017年02月22日 | 日本茅葺紀行
神戸市北区にこんな民家が残っているのだ。最近見つけた民家だ。

神戸市には何度も撮影に訪れた。この近くまで来たが見つけられなかった。

神戸市はいい思い出ばかりではない。、挨拶に行ったら2回すごく叱られてそれがトラウマになり家内が挨拶に行ってくれない。

神戸の市街地から近いので訪れる人も多いと思う。
茅葺民家の撮影も住人との折衝もありいつも人生勉強だなあと思う。

老後は家でパソコンや本を見て楽しんでいた方が楽である。
しかし、人間はどれだけ体験するかどんな人と付き合うかで値打ちが決まるように思う。
私は人との付き合いも下手で落第だ。
幅広い人脈を持っている人はすごい。
何でも挑戦して物にする人もすごぃと思う。

世の中には人は頭が切れて楽器の演奏、スポーツ万能の人もいる。しかし特技もなく特徴もない人も多い。平凡な人間は何十年と同じ事をコッコツ継続して時間の長さと経験の量で敬服させるしかない。

質より量で勝負だ。時間の長さで勝負する。

蒸気機関車 停車中

2017年02月21日 | 蒸気機関車
撮影場所 函館本線小沢駅

停車中の蒸気機関車の動きにカメラを向けた。
機関助手はスタートに向けて投炭をしている。
働いている機関助手は私と同年代であろう。

若い頃ボイラー2級の資格を取りに行った。投炭の実技があった。
炉の口を開けて均一に石炭を撒く実習だった。

その時は工場はエネルギーは石炭から重油に切り替えられていた。
投炭はその場で何度が訓練をさせてくれた。子供の砂遊びのような実習だった。

蒸気機関車の助手など重労働は私には勤まらないと思った。

蒸気機関車には蒸気タービン発電機を据えている。蒸気の出ているところに発電機がある。
前照灯や機関車内の照明に使われる。

歳をとっても反省ばかり死ぬまで悩み続けるのであろう。
あの時にあれをしておけばよかった。こうすればよかった。
病床の場面でも反省をつづる。

テレビからEXPO70の大阪万博の映像が流れる。日本が一番元気で夢のあった時期だった。
お前はあの時は何を考え暮らしていた。将来の夢やビジョンはあったのかなかったように思う。

蒸気機関車の写真もその頃だ。これからの時代がどう変わるのか何が栄え何が衰退消えるのかそんなことは余り考えなかった。日々変わっていった昭和の風景を記録やスクラップにしなかった事が悔まれる。そんな考えはしっかり文章にして書き出さないと目標にならない。



2016年 茅葺写真展 棚田 その1

2017年02月20日 | 2016茅葺写真展
撮影場所 大阪府能勢町


棚田は棚田百選が制定され棚田サミットなども行われ撮影する人も多い。
棚田の魅力は山の斜面に並んだ田の美しさ。中には扇状の棚田もある。
山間地の美しい日本の風景である。
それと共にそれを造り上げた先祖の苦しく勤勉な歴史でもある。

歴史的郷土遺産と自然環境の維持のために評価されるようになった。

20年、30年後もこんな風景が維持されるかは疑問である。
安価な外国の米との競争、生産性の低い棚田の米作り。


棚田に茅葺き民家のあるところは少なくなった。昭和の時代ならばあったが今は大阪府の能勢町くらいのものだ。