懐かしい昭和の情景を追って

過去に撮影したネガをフィルムスキャナーで電子化しています。蒸気機関車、古い町並み、茅葺民家を投稿します。

茅葺き民家  野焼き

2018年04月30日 | 茅葺き民家
撮影場所   岡山県旧灘崎町

倉敷市に隣接している灘崎町
茅葺き民家の隣の畑で野焼きをしていた。
昔は農作業のゴミも家庭のゴミも野焼きしていた。

家庭用ゴミは180リットルのドラム缶の下を切り空気の取り入口にして棚を入れて燃やしていた。ドラム缶も鉄製は耐久性がなくステンレスのドラム缶が手に入れば長年使えた。ダイオキシンの問題や公害の意識向上で家庭でも農家でも燃やさなくなった。
秋稲の収獲が終ると根株やコンバインで切った藁を燃やしていた。

もみ殻を蒸し焼きにしてもみ殻燻炭を作る時は煙が漂う。
もみ殻燻炭はいまだにどこの農家でもやっている。

野焼きの炭の中を歩いたらまだ熱く火傷したことがあった。
男の子はやる事がガサツで危険予知ができていない。

日本茅葺紀行 NO,444 兵庫県神戸市北区淡河

2018年04月29日 | 日本茅葺紀行
淡河と書いて「おうご」と読む。大沢と書いて「おおぞう」と読む。
私の住む岡山もそうだが関西圏の発音の仕方である。
関東の言葉は随分歯切れよく聞こえる。
田舎には田舎の秀才より都会のアホと言う言葉がある。

都会の住む者はアホでも田舎の秀才より気の利いた事をいう意味らしい。

神戸市の北区に行くと茅葺き民家も残っていて懐かしい風景が残っている。
こんな情景はいつまでも残らないと思い何度も通って撮影した。
まだ山陽自動車道が開通していなくて早朝に起きて一般道を走らせた。
昭和、平成の時代に確かに生きた証を残したかった。
映像に何時何処へ行ったが残せば自分の見たもの思考が残る。

戦争カメラマンの一之瀬泰造はカンボジアで命を落とした。
カメラは銃弾が貫通しフィルムは感光していた。
その後、両親がカンボジアで遺骨とカメラを受け取った。
母親はフィルムメーカーに協力してもらい感光したフィルムに何が写っているかを再生してもらう。猫や子供が写っていた。
母親は写真の現像を学び息子の写真を編集し写真集を作った。
NHKのドキュメントで放映された。一ノ瀬泰造の母親も凄いが写真の持つ力は凄いと思った。


私の昭和鉄道遺産 その70 倶知安の二つ目96

2018年04月28日 | 私の昭和鉄道遺産
倶知安機関区の9600型蒸気機関車
ヘッドライトが二つ付いているだけで愛好者がいた。
機関車の機種やプレートNOで愛好者はいた。追っかけをやっていたのもいた。

今ならばAKB48の誰さんとか欅坂46の誰さんとかに熱中するのと変わらないと思う。

何かに興味を持ち追いかけるのは楽しいしやる気と活力の元だ。
私が若い頃は昭和の風景がいくらでも残っていたと思うがフィルムに限りがあるため撮る物を制約していた。昭和を撮ると言った目標をもっていればもっと撮出来ていたと思う。

大谷投手の高校一年生で書いた目標ノートがマスコミで話題になっている。
9つの目標をさらに具体的行動目標各9つ 全部で81項目を意識して努力している。
これを書かせた監督も偉いと思うし発想が誰にでも役に立つ。

凡人もボケーと人生を暮らすのではなく、仕事、趣味、子育て、スキルアップ資格取得、蓄財投資、健康維持、自家建設などの目標と具体的な行動を決めて生きてこなかったらいけなかった。


懐かしい物 石垣のある民家

2018年04月27日 | 懐かしい物

さつえい場所京都府旧美山町

石垣のある家を拾ってみた。
石垣を積み上げ土留めとして家を建てる平地を確保している。
上り下りは斜面の通路を歩かないといけない。
車の通れる道がないことには車で上までいくのは厳しい。
若い頃は苦もなく登る事が出来ても高齢化すると問題がでる。

山の斜面を切り開いでたきた団地がある。家は斜面に階段状に作られている
家は階段を登った上にあり駐車場は下を掘りコンクリートで補強して作っている。
車椅子生活になると階段や段差のある家は厳しい。


撮影場所 広島県旧大和町




茅葺き民家  兵庫県猪名川町の民家

2018年04月26日 | 茅葺き民家
猪名川町も山間の町
谷間の川ぞいに平野があり水田や民家が並んでいる。
平野は古くから住む人が占有している。
後に生まれた者や次男三男は山際や斜面を棚田にして水田や民家を建てた。
大阪府能勢町の長谷の棚田の頂部から山越えの細い道を降りると猪名川町に至る。
車一台の道のためおすすめは出来ない。

写真の集落の民家も棚田地域だ。厳しい土地に民家が建っている。同じ苗字が多いので何代にわたり住んでいるのか。
車社会なので道は付いているが車の対向が出来ない道もある。
車を止めるとろもない。
健康な人は下の邪魔にならないところに車を置き歩くほうがゆっくり撮れる。

広島県熊野町の集落内も狭いがここも狭い。
土地の少ない日本では厳しい土地で代々暮らしてきた。各地を訪れるのは自分の目で見て体験する事である。田舎の暮らしも厳しいが東京のような過密の場所も直下型地震があると厳しい土地になる。
各地で火災が発生すると防ぎようがなく逃げ場を失う。








日本茅葺紀行 NO,443 京都府旧美山町の民家

2018年04月25日 | 日本茅葺紀行
茅葺き民家の屋根を見れば苔の生え具合で表か裏側かがわかる。
裏に小高い斜面があり許可を取り登らせてもらう。

屋根の裏側は影になりコケが生え易い。
全面か苔の屋根は緑色で風情があるが持ち主は茅が痛みたまらない。
苔が生えるのは茅が腐り苔の栄養になっているのだ。
表側は雨が降っても晴れれば光と風で乾燥されるので分解が遅れる。

苔は乾燥に強く雨が長く降らなくても生きている。胞子で子孫を残し絶える事は無い.
屋根の苔も雨が続けば美しい緑色になるる。
写真の屋根の苔は晴れが続いた乾燥気味の苔だ。

日本の神社仏閣や日本庭園の美しさのひとつは苔の美しさである。
苔の成長は遅く一年で数ミリであろう。苔むした風景になるには何十年も掛かる。
外国人ならば苔はゴミで剥がして水洗いして除去してしまうであろう。

苔は落ち葉の分解掃除屋と炭酸ガスを吸収して酸素をだす空気の浄化も担っている。

蒸気機関車  伯備線豪渓

2018年04月23日 | 蒸気機関車
時間があれば伯備線の豪渓に蒸気機関車の撮影に来ていた。
今の様に車を持っているわけでもなくバスと鉄道を乗り継いで来ていた。その当時免許も車も持っていた者はいたが私は先物取引で貯めていた金はスカラカンになくなっていた。免許取りも断念し虚しい人生を送っていた。
長い人生のうちに何度かな苦い思いをした。順風満帆な人生なんかあり得ない。

こんな苦い苦労も人生のうちだ。
写真を見る都度自分の失敗や愚かさを思い出すのだ。

庭の花

2018年04月22日 | 日記
もっこうバラが咲いているか垣根に添わせるわけでもなく毎年健気に咲く。

鉢植えのセッコク(石斛)が咲く20年前に一株もらったのが咲いている。
日向土に常盤シノブと一緒に植えている。日本のデンドロビュームだ。
乾燥に強く枯れる事もない。
蘭はもともと乾燥に強く石斛は岩場に生えている。
一度は山に自生しているのを見て見たかった。


懐かしい物 牛飼いの風景

2018年04月22日 | 懐かしい物
撮影場所 島根県安来市広瀬町

茅葺き民家で牛を飼っている。
雌牛に子供を産ませる生産農家だ。
高齢化で草刈や小屋の掃除などでキツイ労働だ。
大規模な生産農家もでてきている。

乳牛農家はおからやジュースの搾りかすを工場廃棄物としてもらい受け餌にしている。
田舎では近くに工場もなく草に頼るしかない。
和牛は人気があり生産しても需要あると思う。

和牛はオーストラリアなどの外国でも委託育牛されている。

茅葺き民家 モノクロ 兵庫県猪名川町の民家

2018年04月21日 | 茅葺き民家
先日 3月18日に神戸ジャンクションから高槻ジャンクションまで新名神高速道路が全通し走る機会があった。これが開通して兵庫県猪名川町や大阪府能勢町がぐっと近くなった。

三田市や川西市で高速を降りて茅葺き民家を撮りに行っていたが一時間は掛かっていた。
猪名川町や能勢町は茅葺民家も随分少なくなったがデジカメで撮れる貴重な場所だ。

今の時代は茅葺きが残っているだけでもありがたい。

私は茅葺き民家は屋根くらいの高さの場所から撮るのが好きだ。
屋根の構造も分かり易いし茅の痛みもよくわかる。
下からばかりだと平凡だし少し高いところからだとバックの家々風景も分かる。
今は歩けずこんな撮り方は出来なくなった。

門かぶりの松のある家だった。