播但線溝口駅の通勤、通学で蒸気機関車の普通列車を待つ乗客
溝口駅は伯備線にもある。間違わないように伯備線側は伯耆溝口と旧国名がつく。
寺前と姫路間は割と列車が多かった。通勤通学時間帯には一時間に4本はあった。
気動車の客車もあったがC11形、C57形蒸気機関車が牽引する客車がおおかった。
C57は和田山走る列車でC11は寺前までの折り返し運転だった。
播但線のSLが全廃になる前にすでにDE10やDD54に切り替わっていた。
姫路機関区の扇形機関庫に行ったらC11が20台は並んでいた。(すべて尻を向けて)
こんなに機関車がいたのかと改めて驚いた。
寺前にはターンテーブルがなかったのでC11は下り列車は後ろ向き運転、姫路への登り列車は前向きだった。寺前には給水タンクがあり停車時間に給水した。
現在、姫路、寺前間は平成10年に電化したそうだ。
この当時の溝口駅の電柱はコールタール含浸の木柱でコンクリート柱は使われていない。
現在はプラットホームは連絡用の跨線橋があるがこの当時は線路の通路を歩いて渡った。
線路横断は危険なため少なくなった。
乗客を見ると通勤に使う人も多い。
鉄道の写真となると機関車電車が走っているのが多いが駅と乗客の風景を見るとその時代の人々の暮らしがわかる。
この歳になると昭和の建物や風俗に興味がでてこんな駅の写真に興味がある。


溝口駅は伯備線にもある。間違わないように伯備線側は伯耆溝口と旧国名がつく。
寺前と姫路間は割と列車が多かった。通勤通学時間帯には一時間に4本はあった。
気動車の客車もあったがC11形、C57形蒸気機関車が牽引する客車がおおかった。
C57は和田山走る列車でC11は寺前までの折り返し運転だった。
播但線のSLが全廃になる前にすでにDE10やDD54に切り替わっていた。
姫路機関区の扇形機関庫に行ったらC11が20台は並んでいた。(すべて尻を向けて)
こんなに機関車がいたのかと改めて驚いた。
寺前にはターンテーブルがなかったのでC11は下り列車は後ろ向き運転、姫路への登り列車は前向きだった。寺前には給水タンクがあり停車時間に給水した。
現在、姫路、寺前間は平成10年に電化したそうだ。
この当時の溝口駅の電柱はコールタール含浸の木柱でコンクリート柱は使われていない。
現在はプラットホームは連絡用の跨線橋があるがこの当時は線路の通路を歩いて渡った。
線路横断は危険なため少なくなった。
乗客を見ると通勤に使う人も多い。
鉄道の写真となると機関車電車が走っているのが多いが駅と乗客の風景を見るとその時代の人々の暮らしがわかる。
この歳になると昭和の建物や風俗に興味がでてこんな駅の写真に興味がある。


