懐かしい昭和の情景を追って

過去に撮影したネガをフィルムスキャナーで電子化しています。蒸気機関車、古い町並み、茅葺民家を投稿します。

晩秋の棚田

2019年12月14日 | 農作業
撮影場所 新潟県上越市 旧大島村
新潟県の上越、中越には棚田が広がる。
紅葉の頃に棚田には水が張られている。秋の内に代掻きをしているのだ。
豪雪地帯で雪が5月まで残る。雪の重みで田圃が固くなるので秋の間に来年の用意をしておく。 
棚田地域には早朝からカメラマンがカメラを構える。人が草木を踏み歩いたり煙草の吸殻があるので人の来る人気の場所は分かる。

日本の三大棚田地域だ。新潟、岡山、大分が三大棚田の地域だ。
棚田も石のある地域と石のない地域では棚田の造りが違う。
石などどこでもあると思うが硬い石のない地域は沢山ある。
新潟の棚田地域も硬い石が無い。千葉県や能登半島も硬い石がない。
これは堆積岩が隆起した地域である。
棚田を造るのに石垣を積まないので、曲線的で何層にも階段的になった棚田は美しい。
岡山の棚田は斜面に石垣を積み、そこへ排水の小石を入れ客土をして一枚の田圃を造り親子代々増やしてきた。

新潟などは土が硬く崩れないので階段状に削り棚田にしたと思われる。


棚田の集落

2013年07月22日 | 農作業
撮影場所 岡山県建部町(現在は岡山市)

吉備高原の棚田地域、山の頂上部に広がる。この台地の上に高い山はほとんどない。
河川や池のないところで米を作っている。
天水まかせである。異常渇水の時は米が作れなかった。
こんな厳しい条件のところでも作物を作り生活してきた。
生活するのに欠かせないのが水であるが三軒ばかりの集落の共同井戸があった。
50メートルほどの岩山の下に岩盤を掘り下げた共同井戸はあった。
岩山から滲み出す水を井戸に風呂や料理に使っている。
井戸にはポンプがあって水道をひねれば圧力低下をキャッチしてポンプが起動するようになっていた。
50メートルほどの岩山にも沢山の水を含水しているものだ。

こんな集落がいつまで存続するだろうかとここに住む人を撮影させてもらった。
このご夫婦は長年、田と畑を守り子供を育てて生きてきた。親も同居していて世話もしてきたことであろう。自然を相手に災害の危険性もある山間部での暮らし、幾多の苦難を逞しく生きてきたのであろう。奥さんも都会暮らしには分からない苦労を背負って生きてきたとおもう。

今後どう変化していくがのか引き続き撮影していこうと思ったが自分の身体が悪くなり他人の心配するより自分の心配しなくてならずその後、行っていない。






棚田 岡山県久米南町

2011年11月07日 | 農作業
撮影 岡山県旧久米南町北庄

岡山県は新潟県についで棚田が多い。
岡山県と広島県は山の上が平らな土地が多く、広島県は賀茂高原、岡山県は吉備高原と呼ばれ水田が盛んである。
しかし、同じようにできた地形でも岡山と広島では大きく違う。広島は平らな高原が続くのに 岡山県には大きな川が三本流れていてその川の流れているところは浸食され谷間になっている。その谷間の傾斜地が棚田として耕作されている。この谷間が交通や地域の交流に弊害になったと思われる。

江戸中期には西日本では耕作地に占める人口が飽和に達したといわれいる。
米の生産量を増やすために海岸や原野の新田開発と山間部では石垣を積み土を運び棚田を増やしていった。
庶民の住むところは律令制に始まり厳しく制限された。山で生まれた者は一生住む場所も職業の自由は許されなかった。
厳しい環境の中で人々は長年くらしてきた。

棚田地帯で耕運機の刃を交換していたので話掛けて撮影させてもらった。
棚田には石ころや岩盤が出ていて刃が痛むので交換しているのだそうだ。棚田はいくら持っていてもこれを担保に金を貸してくれない。棚田はは傾斜地で崩れている過程の土地としての評価でしかない。