懐かしい昭和の情景を追って

過去に撮影したネガをフィルムスキャナーで電子化しています。蒸気機関車、古い町並み、茅葺民家を投稿します。

岡山の茅葺民家写真展 -9 石垣のある風景 その3

2014年04月30日 | 岡山の茅葺民家写真展
撮影場所 岡山県東粟倉村

東粟倉村は岡山県の北東部で兵庫県の千種町に接している。
峠を越えれば兵庫県千種町だった。
これを結ぶ国道429号線は倉敷市に端を発して岡山県を斜めに横断して兵庫県に入る。
兵庫県では姫路と鳥取を結ぶ国道29線に当たるまで続いている。
私も興味本位でこの国道429号線がどう走っているのか忠実に走った事がある。

東粟倉村は中国山地の山麓に集落がある。平坦な地は少なく斜面に民家や棚田がある。
そんな地域なので石垣を積みコツコツと田や民家の建てられる平地を造ってきた。
ここも先人の努力と汗の石垣遺産の残る地域でもある。

この地域は自転車で登り下りは厳しい勾配である。車もかなり厳しい勾配である。
写真は後山地区で背後に雪を抱いた後山が見える。岡山県で一番高い山であるが高度は1300メートル余りでそう高くはない。
中国地方は大山を除いてそう高い山はない。
全国で1000メートルを超える山のない県を調べたら沖縄県と千葉県だけだった。
東京にも奥多摩の方は深い山が続き2000メートルを超える山があるのだ。

茅葺民家  兵庫県三木市の茅葺民家

2014年04月29日 | 茅葺き民家
兵庫県の茅葺民家は岡山県境から姫路を過ぎるまで茅葺民家に出合わない。
しかし、神戸に近づくにつれて残っているのだ。
都会に近づくのに茅葺民家が残るこの不思議である。
茅葺民家を支える文化があったのか葺き替えに必要な収入があったのか

神戸への通勤圏に茅葺民家が残っている。
三木市は戦国り時代の歴史の舞台でもあった。
織田軍と別所長治の三木合戦、織田軍は秀吉率いて竹中半兵衛、黒田官兵衛の軍師をもって戦った。三木市に戦いの途中に没した竹中半兵衛の墓がある。

この写真の民家は棟飾りのカラスオドシが13本もあった大きな民家であった。


日本茅葺紀行  NO,126 花盛り茅葺民家

2014年04月28日 | 日本茅葺紀行
撮影場所 青森県田舎館町

東北の春は花盛り何処の家の花壇にも水仙、チューリップ、芝桜が咲いている。
桜などの木々も華を添える。
東北の球根類は花が元気で大きい。
富山のチューリップの栽培をしている人に聞いたら富山は気温が高すぎてチューリップの栽培に適さないしと言った。
チューリップは北海道で育てるのが一番よいと言っていた。
チューリップの栽培のオランダの緯度を考えると納得である。
芝桜はどこでも育つが北海道の方が夏場の暑さで枯れる事が少ないという。
芝桜園の管理の難しいところは夏場の雑草の除草と暑さ対策である。

岡山の県北に行くとチューリップは猪に食われて植えられないそうだ。家の花壇まで入ってくるそうだ。東北北部は猪がいないがモグラがチューリップを食べてしまうそうだ。
水仙は毒があるので動物や昆虫が食べないので東北ではドンドン勢力を伸ばして野生化している。






蒸気機関車 姫路機関区C57三台

2014年04月27日 | 蒸気機関車
撮影場所 兵庫県姫路市 姫路機関区

姫路機関区でC57形蒸気機関車が給水や給炭をしていた。
蒸気機関車が播但線から消える前だった。
蒸気機関車や給水塔や給炭設備も撤去され蒸気機関車が存在していた痕跡も消される事であろうと思い撮影したように思う。
その後に明治以降の近代化に貢献した建物や設備が評価を受けるとは思いもよらなかった。
あの時代は古い物はスクラップにして設備の近代化をはかる事であった。
それを予測して近代化遺産を撮り続けた人は偉いと思う。
近代化遺産も機能しなくなったは物を撮っても嬉しくない。現役で運転なり機能している物を撮らない意味がない。凡人には先読みが出来る能力は難しい。
やれることは好きなテーマを何十年にもわたり撮影記録するしかない。
何十年か経過すれば撮影した物に価値が生まれる。

岡山の茅葺民家写真展 -8 石垣のある風景 その2

2014年04月26日 | 岡山の茅葺民家写真展
撮影場所 岡山県勝山町古々呂尾中

斜面に平地を確保するために石垣を組み土を入れて平地にしている。
こんな厳しいところでも人は住み続けた。
毎日斜面を登る煩わしもあるし地震や豪雨の災害に遭いやすい。
斜面に石垣を組み建てた家は地震で崩落したところが多い。
神戸や呉、東日本大震災でも地盤もろとも崩落し建物が倒壊した。
しかし、平野部ではないかというと液状化を起こし家の倒壊や傾く被害がでている。
自然災害の多い日本の地形で住むには耐震性を強化するしかない。
自然災害が少なく安全と思われる都市平野部も過密密集による脆弱性もある。
阪神大震災と鳥取西部地震は同じ規模の地震で直下型だが被害は格段に違う。
鳥取西部地震は死者は出ていない。人口密度の違いよる二次災害の少なさであろう。


茅葺民家 岡山県八束村の茅葺民家

2014年04月25日 | 茅葺き民家
八束村は蒜山高原の一角にある。ここに一軒茅葺民家があった。
造りは寄棟造りである。隣の川上村も寄棟造りである。
吉井川水系は入母屋が多いが旭川水系は寄棟である。岡山県は東部は関西の入母屋造りの影響を受けるが西に行くに従い寄棟に変化している。水系ひとつで茅葺民家の違いも変わる面白さがある。

八束の地名は全国各地にあるようだ。ボタンで有名な大根島も八束村だった。

この八束の名前から横溝正史は八つ墓村の小説の名前を思いついたといわれている。
戦時中に岡山県の真備町に疎開している時に岡山の事件や風習を調べ小説にしたといわれている。過去に三回映画化されている。

日本茅葺紀行  NO,125 岩手県洋野町の茅葺民家

2014年04月24日 | 日本茅葺紀行
この一帯の茅葺民家はほとんどが草棟です。
状態は悪いが辛うじて残っている。
廃屋に近い家も多いが人が住んでいる家に出合えば嬉しいものだ。
土地に住む人たちと会話がで昔ながらの道具や生活用品に出合えば最高である。
5月中旬八重桜やライラックが咲いていた。


懐かしい風景  行商

2014年04月23日 | 懐かしい物
撮影場所 宮崎県延岡 昭和43年7月に撮影

野菜などの行商に来ている女性とおしゃべりに夢中な若い女性三人組を撮影
リアカーがまだ運搬機に使われていた。
おしゃべりが進み商売にならない行商のおばちゃん、一服煙管で煙草を吸い始めた。
女性の髪形や服装、下履きに時代がでている。
形は古いながら乗用車を持っていた人もいる。ちゃんとした駐車場ももなく道路にはみ出し置いてある。
家の外壁は板壁である。新建材が出回っていない時代
街を歩いてこんな写真を沢山残しておけば時代の証言になったのに




岡山の茅葺民家写真展 -7 石垣のある風景 その1

2014年04月22日 | 岡山の茅葺民家写真展
撮影場所 岡山県久米町(現在は津山市)

今回から3回にわたり石垣のある風景
民家は斜面に建てる事が多い。平地を確保するため石垣で土留めにして土を入れ平地にした。
古墳時代から石を積み上げで石垣や基礎にしてきた。
重機の無かった時代に巨大な石を運び積み上げたものである。
延々と積み上げられた棚田の石垣を見ていると先人の苦労と努力の遺産に感じられる。
民家の石垣も村人が応援に来て積み上げたものだと思う。

石で土留めするのは石の重さで土の膨らみを防いでいるが垂直の荷重は土の保持力でもっている。しかし土の保持力は水を含むと極端に弱くなる。
大雨の時の山の斜面の土石流にように流れてしまう。
石垣の上に建つ民家も同じで土に水が浸みこまないように雨は早く排水をする。
浸みこんだ水は土の中に排水層を作り石垣の外に排水する。




茅葺民家 新潟県松之山町

2014年04月21日 | 茅葺き民家
新潟県松之山町は棚田の撮影で訪れる人も多い。
私はジョニーハイマスの「たんぼ」や佐野昌弘氏の茅葺民家の本で素晴らしい棚田や民家があるのを知った。写真家の人たちは四十年も前からこの松之山を撮り続けているのだ。
私が訪れた時は茅葺民家が辛うじて残っていたがその後五年位して再び訪れたら激減していた。この一帯はデジタルカメラになったのに合わせるように茅葺民家はき消えてしまった。

松之山町周辺の風景は豪雪地帯の日本の農村風景が色濃く残る。
茅葺民家も平坦地の民家ばかりを撮っていると面白くない。
風景は山あり谷あり田あり川ありの上下左右に風景が広がるところがいい。
松之山町の風景はまさにこれである。