丘陵を歩いたときに頂上付近に咲いていた。
ほとんどが蕾だったから咲いていた花がよけいに嬉しくて。
真っ赤なボケの花を何枚も撮ったそのあとだったからその姿は、とても清らな気がした。
淡路島の黒岩水仙郷も素敵だったけれど、泉佐野の水仙公園も素敵だったけれど、
少し寂しげな冬色した丘に咲く水仙は一輪でもがすがしく爽やかな存在感である。
陽がさす場所は暖かい、しかし水仙には少し冷たい空気と風が似合うような気がするが・・。
孫たちはお陰で落ち着いている。 高熱の孫を抱いているとき、紅い頬をしたその寝顔を見るとき、
愛ちゃんや次女の心配を思いながら、自分もまた三人の子供を育てる中で、そんな思いをした日が
どれほどあっただろうかと思った。
長女は幼稚園までは風邪を引きやすく、すぐに熱が出ては息も止まるかと思うような喘息製気管支炎、
ヒューヒューと苦しそうでしんどそうな寝顔の娘を見ながら息が止まったらどうしようと心配しながら
祈るような気持ちで朝を迎えた日が幾度あっただろうか。
高熱で入院になるかもと言われ、雨の中そんな長男を背負い長女を連れ不安と半泣きで帰った日。
思い出だせば忘れてしまういそうなほど、誰も入院したことはなかったが色々と大変なこと何度もあった。
三人目の次女だけは病院知らずで元気にすくすくと育ったのだけれど。
「よう三人も育てたなぁ」初めての子で不安だらけの娘が言う。
そんな大変だったとき、まるで見えたかのように田舎の母から電話がかかったことがあった。
「大変じゃね、何もしてやれんけど、そがな時はあんたもこうして大きゅうしてもろうたんじゃなぁと思いんさい、
そうやってあんたも母親になるんよ。 そう思うて子供の寝顔みてしっかりがんばりんさい」
穏やかなやさしい笑顔で(見えないけれどきっと)母はそう言ってくれた。
「子を持って知る親の恩ゆうじゃろ」 電話の母の声を聞きながら涙がぽろぽろ出た。
以来子供に手がかかり大変なとき、母にそう言われたことを思うと少し気持ちが楽になるから不思議だった。
”子を持って知る 親の恩” 今頃そう言うことはあまり聞かないような気がするけれど、
母はいつもこのように教訓めいたことをいつも話しながら育ててくれたけれど、とても有難かったなぁ。
時代は違うけれど愛ちゃんや娘もこれからもまだまだ何度も色んな思いをすることがあると思う。
そうしながら段々としっかりと強い母親になっていくのだなぁと思う。
母が近くにいてくれたらと何度か思ったけれど、今近くに息子夫婦が住んでいるし、娘とは同居、
遇然このようになった環境に、今はとても感謝である。
親たちが人さまのことへと向けた心や働きの分、今私はその恩恵を受けているのではないかと思う。
それは今までの自分の人生が、我が力でないことをどれだけ多く感じてきたか分からないから。
積善の家に余慶あり・・、決して自分の為ではなくささやかでも人さまに向ける心がお陰さまとして
子供たちや孫に繋がって行くんだろうなと思う。 私もまた出来るところでそんな自分でなければ・・と。
昔なら当たり前な親切も時として考慮される今の時代だけれど、今の若い人たちの子育ては
本当に大変だと思うだけに、近くに居て協力してやれることがあればと出来ることを有難く思う。
明日はもう弥生三月、春だ。 なんだか明るい華やかな足跡が聞こえてきそうな気がする。