撮れたて箕面ブログ

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Frida Kahloのメキシコの衝撃!

2020年11月27日 | 国際交流員から

冬が駆け足で近づいていますが、皆さん風邪などひいていませんか。メキシコ クエルナバカ市の国際交流員クラウディアです。前回のブログを読んでくれましたか?まだ、読んでないなら、是非読んでください。9月のブログはサボテンのことでした。

今月のブログでは、メキシコの現代絵画を代表し、民族芸術の第一人者としても数えられる画家について紹介したいです。メキシコが誇る画家Magdalena Carmen Frida Kahlo Calderón 「マグダレーナ カルメン フリーダ カーロ・イ カルデロン」です。彼女はFrida Kahlo 「フリーダ カーロ」と呼ばれていて、波瀾万丈の人生を送りました。

フリーダ カーロ
1907年7月6日~1957年7月13日

フリーダは6歳になった頃、ポリオにかかったので、右脚は短く細くなりました。* ポリオは非常に感染力が強く、神経を侵して永久的な筋力低下やまひを引き起こし、命に関わる病気です。

フリーダは3人姉妹の、次女でした。18歳のときに大変な交通事故に遭いました。フリーダが乗ったバスが路面電車と衝突しました。その結果、骨盤が折れ、背骨が3つの部分で折れ、さらに大腿骨も折れ、全体で11箇所骨折しました。この事件は彼女に精神的、心理的、身体的に大きな影響を与えました。

事故の後遺症を治すため、何度も手術が必要でした。フリーダのお父さんは、寝たまま絵画を描けるようにベッドにイーゼルを付けてくれました。フリーダは逆境に負けず、仰向けの状態で絵画を描きました!

フリーダは家族とともにメキシコシティの近郊のCoyoacán「コヨアカン」という町のCasa Azul「青い家」と呼ばれる家で一生を過ごしました。

Casa Azul「青い家」

1929年にフリーダはDiego Rivera「ディエゴ リベラ」と結婚しました。ディエゴ リベラはメキシコの壮大な壁画を描いている画家でした。ディエゴ リベラの一番の代表作はLa Conquista「アメリカの征服」と言われています。この壮大な壁画はメキシコ国立宮殿(公共施設)の階段の壁を覆っています。276㎡の壁で土着の文化や征服、近代文明などを描いています。

La Conquista「アメリカの征服」
ディエゴ リベラ作 壁画作成期間(1929年~1935年)

ディエゴ リベラはクエルナバカ市コルテス宮殿の壁画も作成しました!

フリーダはセルフポートレイト作家として知られています。彼女が描いた絵画はどれも、鮮やかな色の奥に、自身の苦難と現実を反映しています。

Henry Ford Hospital「ヘンリー フォード病院」、1932年

絵画だけではなく、フリーダがよく使っていた「足が欲しいなんて思わない、だって私は飛ぶための羽根を持っていますから」というフレーズも人気があります。また、「私はほとんどの時間を一人で過ごすし、自分のことはいちばん知っているから、自分を描くのです」と語っていました。 

フリーダはメキシコに大きな影響を与えたので、彼女の姿は色んな物で使われています。例えばメキシコの500ペソのお札(2500円ぐらい)にフリーダ カーロ と ディエゴ  リベラの顔が印刷されています!2006年にフリーダの絵画は競売され、5億ドル(520億円ぐらい)で落札されました。これはラテンアメリカで最高値です。

500ペソのお札「ディエゴ リベラ と フリーダ カーロ」


メキシコではフリーダ カーロ と ディエゴ リベラはキャラクターとして皆から愛されています。この絵は私の友だちの子どもが描いた物です。

 

今日では、メキシコシティでフリーダ カーロの美術館を訪れることができるので是非行ってみてください!Casa Azul「青い家」です!

<絵画を描いてみたい!

 

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