なかにし礼さんの書いた詩を讀む。
若き友たちよ!
君は戦場に行ってはならない。なぜなら君は戦争にむいてないからだ。
世界史上類例のない69年間も平和がつづいた理想の国に生まれたんだもの。
平和しか知らないんだ。平和の申し子なんだ。
「平和の申し子たちへ 泣きながら抵抗を始めよう」というもの。
2014年に憲法解釈を変え、集団的自衛権の行使を容認したアベ君に対して発表したのだとか。
当時は大きな反響を呼んだと記事には書いてあるんだけどね。それから5年余り。
なかにしさんの思いと受け止めるワタクシどもの思い。
いや、思いと言うのは持ち得ている人が使えるのであって、何も考えない人の思いって何なんだろう、そこも問題なのかな。
多くの国民の平和への思い。それがあるからこそ多少なりとも理解してもらえると思っていたのだそう。でもここ数年は絶望状態だと。
森友、加計問題辺りから政権が汚れきってしまったもの。
官僚はおろか、警察まで抑えて、マスコミもそれを止められず。民主主義の崩壊…、と言うより破綻していると。一連の問題を許している野党もおかしい。存在感すら無い。確かになぁ、未だ野党同士の好き嫌いで揉めてんだから。
同感だけどね、行動しているのかと問われれば、自分もただの傍観者だから。
憲法9条は、いかに国際紛争に首を突っ込まず、70年以上も外交努力をやって来たのかと言う証拠。
平和ボケって呼ぶ人もいるようだけど、武器を持って戦うことだけが勇気じゃ無いから。そんなのは誰かの命の犠牲にしか成り得ない、手っ取り早く片付けようとする自己満足かな。
しかし政府は「由らしむべし知らしむべからず」の姿勢で肝心なことは国民に知らせない。
ワタクシたちはどうしたらいいのでしょうね。国民主権のイミッテものをもっと考えなきゃ。記事の最後でまた熱い気持ちが伝わりました。
SNSで「いいね!」のボタンを押して、自分で考えたような気持ちになってるだけじゃ良く無い。どんな自由を与えられても、自分がしっかりしなかったら意味が無い。自由を活用出来ないってこと。
自由の意味は、自分で考えるのでは無く、自分を考えること。
自由の尊さが分かったら、一歩も譲れない世界なんだと思うようになる。
与党の憲法改正草案で基本的人権をいじって、それを認めろと言うような議論は深刻さに欠けるとも…。
さて、自分は何を感じるんだろう。
新聞の拾い読み。同じ映像の繰り返しなテレビやネットにウンザリしているところで、じっくり読むことが出来ましたから。やっぱりもっと本を読まなきゃダメなんだな。
やるべきことが見えて来たように思います。