さて。
元陣屋の町制施行120年記念展示会は鉄道の話へと変わります。
長年、留萌本線の終着駅として多くの乗客を見守り続けた増毛駅。
それが廃止されたのは、今から4年前のこと。
もう少しで100年の節目を迎えたのに…。
まあ、民営となった組織に、乗客も伸び悩んだ路線の100年目など関係ありませんから。
あくまでも乗らなきゃ終わるってこと。
ワタクシがまだ高校生の頃。
3年間留萌まで列車を利用しましたが、当時の記憶で残っているものと言えば、舎熊と礼受の駅が木造のいい建物だったなと。
たぶん全国どこにでもあった形だったのでしょう。
いや、道内だけなのかな。沼田町の恵比島駅に残るものがそれに似ているような…。
NHKの朝ドラ“すずらん”の舞台になった駅。
そのロケで復元されたもの。
増毛も舎熊までの鉄路を残し、駅舎も復元させられたら…。
廃線直後はそう思ったけど、今はもう箸別の鉄橋も外され、鉄路の残りも僅かになりました。
もちろんそれぞれの駅の名残りもありません。
思い出に浸りたいマチなのに。
まあ、そう思ってるのはワタクシだけかも知れませんな。
損得勘定の出来ない金食い虫な発想だから。
ただ残せばいいとは思わない。
このマチの魅力作りに大きな力となってくれるハズなんだけど…。
ま、もう忘れたことにしたのでした。
思い出すまい。
もう一つのパネルは郵便のことをまとめたものでした。駅逓と呼ばれた場所がその始まりですかね。
ここらになると…、すんませんです。ザァーって流し読みとまでも行かず、ただ撮っただけ。
後から何が書いていたのかをまた読まねばならぬ状態のワタクシです。
町内には今も4つの局が営業しています。増毛に別苅、舎熊、雄冬。
もっと深いところに何かありそうだったのにね。
港湾建設は留萌と増毛での対立したことも。
鉄路、そして港湾。
隣同士の難しい関係。
どうプラスになりマイナスになったのか。
その時代に生きた人たちの記録から何かを学び、チョーの字が付いてしまった過疎地を考えましょうか。
そうそう、忘れることは出来ないニシンの話。
千石場所とも呼ばれた時代があったことなど、どれほどの人が知っているのでしょう。
その名残りが大事にされ続けたワケでも無し。
ずっと伝えることも無かったんだもの。
ここ数年、石狩湾で育つニシンが豊漁であると報じられています。
残念ながら、ここの前浜では大漁になることは稀ですがね。
産卵したニシンの群れで白濁する波打ち際。
今年は雄冬の浜で見ることが出来たのだとか。
歴史は繰り返すって言いますからね。
生き物相手のことだけど、ドォーンと大きな波を受けてみたいです。