吉良吉影は静かに暮らしたい

植物の心のような人生を・・・・、そんな平穏な生活こそ、わたしの目標なのです。

スタンリー・キューブリック監督『2001年宇宙の旅』1968年/アメリカ・イギリス合作

2018-04-25 06:56:46 | 映画・ドラマを観て考えよう


※木星へと向かうディスカバリー号

 私は自動運転が嫌いです。今度クルマを買い替えるときはマニュアル車を選ぼうと思っている。
 しかし世間では猫も杓子も自動運転へと向かっている。この傾向は止まらないだろう。認知症の傾向があるドライバーが逆走したり事故を起こしたりするのを防止できるのは歓迎すべきなのだろうが、どうにもシックリこない。


※やっちゃえニッサン!手放し運転を披露する矢沢永吉

 車の買い替えを勧めるカーライフアドバイザーに向かって言ったことがある。
私『アクセルを踏んでも障害物があったら発進できない?危ないぢゃないか!
ア『いえいえ、安全ですって。
私『阪神大震災のような地震が起こって周囲がガレキだらけになったとき、バンパーで押しても脱出できるのが安全なクルマだろう?
ア『(しばらく調べて)アクセルを踏めば動くことは動くので、ゆっくり押して脱出することはできますよ。
私『ゾンビの群れに囲まれて体当たりで逃げなきゃ殺されるって時はどうするんだ(本当に言いました!)
ア『そんな状況、ありえませんって。
私『こいつだけはここで轢き殺さないとダメだって思った時は・・・。
ア『(真顔で)ゼッタイにしないでください!

 人間は主体的に動かなけりゃダメだ。機械の奴隷になってはいけない!・・・というのが私の主張ですが、今回はそれを体現した映画を紹介致します。

 スタンリー・キューブリック監督『2001年宇宙の旅』です!


※惑星直列が壮大な展開を予感させるオープニング

 すでに2001年は過ぎ去り、もはや続編で描かれた2010年さえ越えてしまったのですが、まだまだ人類は月や火星周辺でウロウロしていて、現実がSFの世界に追いつくには、いま少し時間が掛かりそうです。

 物語は・・・はるかな昔、人類は謎の黒い石板『モノリス』によって知恵を授けられ、道具を使うことを覚える。


※道具を手にすることでヒトは他の獣に勝るチカラを手に入れる

 動物の骨や石器から発達した道具はやがて人類を宇宙に到達させる宇宙船にまで発展し、人類の可能性は飛躍的に高まった。
 月に到達した人類は月面に巨大な人工物を発見する。それは、あの黒い石板(モノリス)だった。
 人類が月に到達したのを確認したモノリスは木星の方向に協力な電波を発信する。

 ここまでが原案となった小説、アーサー・C・クラークの『監視』のストーリーです。映画はさらにその先を描いていきます。


※月面で発見されたモノリス

 太陽の光を浴びたモノリスは強力な電波を木星に向けて発射し、人類はその電波の送信先を探して探索の旅に向かうことになる。
 宇宙船ディスカバリー号に乗り組んだ科学者たちは人工冬眠の技術で生命を維持しつつ木星へと向かうのだが、電子頭脳HAL9000の反乱によって次々と命を失っていく。


※HAL9000に操られると脱出ポッドも凶器になる

 そんな中、HAL9000と闘い、これに勝利したボーマン船長はモノリスと出会い、人類は次なる段階へと進化を遂げることを示唆して映画は終わるのですが、このラストには誰にとっても全くの予想外で『何じゃこりゃぁー?』とキツネにつままれたような気持ちで映画館を後にした人が殆どではなかったかと思います。かくいう私もそのひとりでした。
 今になってみると、これは人類に与えた道具(の発展型であるHAL9000)を使った、モノリスによるテストではなかったかと私は思うのです。


※人工知能HAL9000・・・マイクを切られるとカメラアイで唇を読んで乗員の会話を理解する狡猾さを見せる

 人類は道具を使うことで発展してきました。道具に動力が組み合わさると機械になります。
 機械による文明の発達によって人類はその領域を広げてきたのです。海へ、空へ、そして宇宙へと活動領域は広がる。私はこれを機械による適応放散(↓脚註参照)だと思っています。

 道具や機械は便利なものですが、現代では道具や機械に頼るあまり人間の能力が退化しているンぢゃないかと思います。例えばジャングルに住んで狩りを生業とするヒトたちの視力は4.0あります(これくらいになると昼間でも星が視えます)。現代人の視力はイイ人でせいぜい1.5から2.0といったところでしょう。着実に退化しています。

 退化ならまだしも、機械を使うのではなく『機械に使われている』そんなヒトも多くいるンぢゃないでしょうか?
 もはやスマホとAIの発達で、昔なら音楽を聴くのだって『この曲を聴こう』と思って掛けていたのが、今ぢゃあ『パーティーに相応しい曲を掛けて!』と頼めばAIが判断して勝手に掛けてくれる時代が到来しています。今のニンゲンは知力や主体性さえも失おうとしています。人類総認知症時代はもう目の前に来ているのです。


※スマホ認知症が広がり始めている

 さて、話を元に戻しましょう。
 月面でモノリスを発見した科学者たちは、これを分析するのかと思いきや『モノリスの前で記念写真を撮るのがせいぜい』というていたらくでした。モノリスの発信する電波を至近距離で浴び、科学者たちは地面に打ち倒されます。これが最初の警告でした。
 木星へ向かう探査機ディスカバリー号。これは全くの自動運転です。乗組員は操縦に携わらず、コンピューターであるHAL9000に全てを委ね、数名のクルー以外は冷凍睡眠状態で、ただ運ばれているだけです。

 最初の宇宙飛行士になったテストパイロットたちは宇宙船を自分で操縦することができないのでとても嫌がったそうです(サルやライカ犬の代わりでしかなかったからです)。このような状態でニンゲンの意思や知力、そして主体性は全く発揮されません。


※ディスカバリー号の中を進むボーマン船長

 宇宙船によってただ運ばれているだけのニンゲン、こんなものに存在価値はナイとモノリスは判断し、自らの与えた道具の発展型であるHAL9000を使って乗組員を抹殺していきます。冷凍睡眠している科学者たちはただの荷物です。これも存在価値ナシと判断され、HAL9000によって生命維持装置が次々と切られていきます。
 なぜ、ボーマン船長は人類の新しい段階へと進む切符を手にすることができたのか?


※HAL9000を停止させようとするボーマン船長

 それは人類に敵対するコンピューターHAL9000と闘って勝利したからです。


※ディスカバリー号は宇宙の深淵へと向かう

 ニーチェは人間の発達の3段階を次のように例えています。
 すなわち『人はまずラクダの時代を経なければならない。ラクダは重い荷物を背負って長い旅をする。修行と忍耐の時代である』と。続いて『砂漠を旅するラクダはある時獅子(ライオン)に変身する。獅子は砂漠に棲むドラゴンと闘わねばならない』と言うのです。そして『ドラゴンと闘ううちに獅子は突然赤子になる』と。


※気が付くとボーマン船長はホテルの一室のような部屋に迷い込む

 これは物語の構成や稽古で言うところの『序・破・急』または『即・離・遊』と呼ばれる状態を現わしています。

 例えば、稽古ごとであれば、最初は師匠に就いて、ひたすら学びます。師匠のやる通りコピーできるようになるまで地道な努力を繰り返すワケです。ある程度修行を積んだら、ある時『これはオカシいんぢゃないか?』と思うことが出てきます。優れた技術を身に付けた人間は、どうしても既存の権威とタタカう必要が出てくるのです。この闘争を続ける中で、ヒトは自分が実は些末なコトに囚われていたことに気づくというのです。
 その後は自由闊達な『技、神に入る』という境地に至り、それは無垢な赤子のような心境である、と。


※そこにモノリスがあった

 HAL9000と闘って勝利したボーマン船長がスターチャイルドに変身するラストは、こう考えるとスッキリ辻褄が合うのです。


※ベッドに横たわり、モノリスを指し示す年老いたボーマン船長

 これは私の考えた独自の解釈です。
 この映画を観たヒトがそれぞれ答を出さなければならない問いである、と私は思います。

 なお、続編の『2010年』では『プログラムに仕組まれた極秘命令によりHAL9000が誤作動した』との説明がされていましたが、スッキリした説明とはとても思えませんでした(続篇は監督も異なり、別の作品と考えた方がよさそうです)。


註)適応放散:生物の進化に見られる現象のひとつで、単一の祖先から多様な形質の子孫が出現することを指す。例えば哺乳類は皮膜による翼を発達させて空を飛び(コウモリ)、足を鰭に変化させて水中に適応し(イルカやアザラシ等)、多様な環境に適応している。