しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

神武天皇像

2021年03月10日 | 銅像の人
場所・岡山県笠岡市高島
建立・2020年10月



神武天皇の東征は、下記、吉備の高島に3年間滞在したとある。


日本書紀』

乙卯年(紀元前666年)

3月6日、吉備国に入り、行宮(高島宮)をつくった。高島宮には3年間滞在して、舟を備え兵糧を蓄えた。









昭和15年の皇紀2600年祭の頃、天皇が滞在した”吉備の高島”は国民論争となり、
備前の高島(岡山市)
備中の高島(笠岡市)
備後の高島(福山市)
が最終候補に残り、正統性を争った。

結果は笠岡市と福山市の高島が落選した。

笠岡市の高島にも帝国大学の先生方が何度も来て、掘削や出土品をしらべた。
しかし、考えてみれば
そもそも日本書紀の話自体が物語であるに、偉い帝大の先生は何を調べ、なんでもって岡山市の高島と定めたのだろう。
不思議なことだ。


昭和16年、文部省国定教科書。
「日本ヨイ国、キヨイ国。世界ニ一ツノ神ノ国」
「日本ヨイ国、強イ国。世界ニカガヤクエライ国」

「日本は神の国である」そのことを、懐疑的に思うものは非国民。
神話を国史として学校で学ぶことに、何の疑問も持てない言えない国だった・・・という時代があった。
それが、ほんの70余年前の日本の現実だった。






神武天皇像の肩には八咫烏(やたがらす)。
この像は島おこしを目的に去年、島民有志が高島神社に建立したもの。発泡スチロールの像。







笠岡諸島の高島は、たいへん風光明媚な島で海から山に遊歩道がつづき、
2時間程度で島を周回できる。

GW頃は島がツツジで覆われる。





撮影日・2020年11月30日



コメント (1)
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