場所・岡山県新見市 JR新見駅前
新見の駅前にずいぶん立派な銅像が建っている。
たまがき
(Wikipedia)
たまかき(生没年不詳)は、京都東寺領の新見庄(岡山県新見市)の荘官、惣追捕使の福本刑部丞の妹とされる。
たまがきは、寛正3年(1462年)、東寺から直務代官として、新見に着任した東寺の僧・祐清(ゆうせい)の身辺の世話をしていたらしい。
祐清は、寛正4年(1463年)7月、年貢未納の名主・豊岡を追放したことを機に、隣接する相国寺領に住む豊岡の親族によって斬殺される。
東寺に向けて祐清の遺品を求めた手紙が「たまかき書状」で、中世農村女性の自筆書状として全国的に珍しい史料といえる。
なお、この書状がたまがき自身がしたためた物であるか否か、また、たまがきが遺品を譲り受けることが叶ったのか、たまがきの年齢、祐清との関係などは伝わっていない。
撮影日・2014年9月2日
新見の駅前にずいぶん立派な銅像が建っている。
たまがき
(Wikipedia)
たまかき(生没年不詳)は、京都東寺領の新見庄(岡山県新見市)の荘官、惣追捕使の福本刑部丞の妹とされる。
たまがきは、寛正3年(1462年)、東寺から直務代官として、新見に着任した東寺の僧・祐清(ゆうせい)の身辺の世話をしていたらしい。
祐清は、寛正4年(1463年)7月、年貢未納の名主・豊岡を追放したことを機に、隣接する相国寺領に住む豊岡の親族によって斬殺される。
東寺に向けて祐清の遺品を求めた手紙が「たまかき書状」で、中世農村女性の自筆書状として全国的に珍しい史料といえる。
なお、この書状がたまがき自身がしたためた物であるか否か、また、たまがきが遺品を譲り受けることが叶ったのか、たまがきの年齢、祐清との関係などは伝わっていない。
撮影日・2014年9月2日