しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

外苑の大楠公

2021年03月21日 | 銅像の人
場所・東京都千代田区皇居外苑

高校の修学旅行で初めて東京に行った。
二重橋前で記念写真を撮ったのは覚えているが、大楠公の銅像はまったく記憶にない。





「広瀬中佐の銅像」 もりたなるお著 新人物往来社 2002年発行

紀元は二千六百年

宮彦は去年の春に東京府立青梅農林学校を卒業して、平井尋常高等学校に代用教員として勤めた。
代用教員一年目の宮彦は担任の学級はなかった。
六年生が卒業を控えての修学旅行が2月10日と決定し、宮彦は付き添いをするのである。

「東京へ着いたらいちばん先にいくのはやっぱり宮城の二重橋なのかね」
「二重橋で宮城を遥拝することは修学旅行の原則になっているそうです。
宮城遥拝のあとは宮城前にある楠木正成の銅像を見ます」
「それからどこを回るの」
「万世橋の広瀬中佐の銅像です。
広瀬中佐の銅像の次は上野にいって西郷隆盛の銅像を見ます」
「銅像めぐりだね。西郷さんの銅像の次は誰の銅像を見るんだね」
「西郷隆盛の銅像の近くで弁当を食べて、それから動物園にいきます。
動物園を見て回ったら、帰ることになっています」

朝食を食べ終えたらラジオが”紀元二千六百年”の歌を放送した。
〽金鵄(きんし)輝く 日本の
栄ある光 身にうけて
いまこそ祝へ この朝(あした) 紀元は二千六百年
ああ一億の 胸はなる
〽歓喜あふるる この土を
しつかと我等 ふみしめて
はるかに仰ぐ 大御言(おおみこと) 紀元は二千六百年
ああ肇国(ちょうこく)の 雲青し

宮彦は持ちものをもう一度点検して外へ出た。
農林学校の時の制服で戦闘帽を被った。
ゲートル巻に編み上げ靴という足ごしらえである。
外はまだ暗い。










楠木正成騎馬像

皇居を守る忠義の士
建立・1900年(明治33年)

後醍醐天皇の鎌倉幕府倒幕に参加した武士。
湊川の戦いで足利尊氏に敗れ果てた。
明治以降は「大楠公」と呼ばれ、忠臣の鏡とされた。
勇ましい姿のこの騎馬像は、別子銅山を開いた住友家が開抗200年記念で企画し、
宮内庁へ献納した。

「日本の銅像完全名鑑」 廣済堂出版 2013年発行




上の写真2枚に写る人たちは、中国語の人が半数以上だった。



撮影日・2018年3月9日



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