場所・岡山県津山市院庄
母は、ほとんど歌をうたわない人だった。童謡も、民謡も、児童唱歌も、流行歌も。
その母が歌って聴かせたくれた曲が二つある。
青葉茂れる桜井の・・・「桜井の訣別」(楠木正成)
桜ほろ散る 院の庄・・・「忠義桜」(児島高徳)
どちらも天皇家の忠臣を歌っていて、学校教育が神国化していたのがうかがえる。
特に児島高徳は児島の人であり、津山での古事が曲となっていて、学校でも熱心に歌ったようだ。
児島高徳はいったい何をした人なのか?
それを説明するのは歌がいちばん。
忠義桜
桜ほろ散る院の庄 遠き昔を偲ぶれば
幹を削りて高徳が 書いた至誠の詩(うた)がたみ
君のみ心安らかれと 闇にまぎれてただ一人
刻む忠節筆の跡 めぐる懐古に涙湧く
「天勾践を空しうするなかれ 時に范蠡なきにしも非ず。」
風にさらされ雨に濡れ 文字はいつしか消えたけど
つきぬほまれの物語 永久(とわ)に輝く花のかげ
戦前から児島高徳は史実がなく、実在も疑われていた。
戦後忠臣は、過去のものとして拒否されたり、忘れ去られていった。
今では岡山県人でさえ、その名も見ることも、聞くことも稀になっている。
撮影日・2008年4月20日
母は、ほとんど歌をうたわない人だった。童謡も、民謡も、児童唱歌も、流行歌も。
その母が歌って聴かせたくれた曲が二つある。
青葉茂れる桜井の・・・「桜井の訣別」(楠木正成)
桜ほろ散る 院の庄・・・「忠義桜」(児島高徳)
どちらも天皇家の忠臣を歌っていて、学校教育が神国化していたのがうかがえる。
特に児島高徳は児島の人であり、津山での古事が曲となっていて、学校でも熱心に歌ったようだ。
児島高徳はいったい何をした人なのか?
それを説明するのは歌がいちばん。
忠義桜
桜ほろ散る院の庄 遠き昔を偲ぶれば
幹を削りて高徳が 書いた至誠の詩(うた)がたみ
君のみ心安らかれと 闇にまぎれてただ一人
刻む忠節筆の跡 めぐる懐古に涙湧く
「天勾践を空しうするなかれ 時に范蠡なきにしも非ず。」
風にさらされ雨に濡れ 文字はいつしか消えたけど
つきぬほまれの物語 永久(とわ)に輝く花のかげ
戦前から児島高徳は史実がなく、実在も疑われていた。
戦後忠臣は、過去のものとして拒否されたり、忘れ去られていった。
今では岡山県人でさえ、その名も見ることも、聞くことも稀になっている。
撮影日・2008年4月20日