しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

ケンペル「江戸参府旅行日記」神奈川~品川~江戸

2021年09月20日 | 「江戸参府紀行」ケンペル&シーボルト
ケンペル「江戸参府旅行日記」  訳者・斎藤信  東洋文庫  昭和52年発行
第十一章  浜松から江戸までの旅
1691年(元禄4)3月



3月13日

この日はついに、6里先の将軍の居城地、江戸に入る日。
早朝宿を発った。

特筆すべきものは、
一・約150戸の新宿村。
二・川崎、300戸以上あり、渡し舟で渡った。



(東海道五十三次2・川崎宿)



三・六郷。魚を捕るたくさんの舟が用意してあった。
四・鈴ヶ森。小さな漁村で、貝類や海藻が採れる。潮干狩りや海苔を作っている。


五・品川という町は、日本橋から2里あるといわれている。
品川の手前には刑場があって、通り過ぎる旅行者はそれを目にして、むかつくような気持になる。
人間の首や手足を切った胴体が、やせた大きな犬が吠えて大口を開け、腐った人間の体を食いまわっていた。
ほかにも、たくさんの犬やカラスが腹いっぱい食べようと待っていた。




(品川)



品川は密集した家の立ち並ぶ曲がりくねった町筋から成り、右手には海、左手には寺院が見え隠れする。
小さな料亭に入った。一休みして元気をとりもどし、いよいよ江戸に第一歩をしるそうというのである。





(東海道五十三次1・品川宿)




この料亭から数百艘の船と江戸の町を見ることができた。
馬の手入れも十分にさせ1時間を費やした。

粗末な番所が江戸との境界だった。




(新橋)




馬を進めると、道はずっと整備され、幅も広く、人も大勢いたので江戸の町に入ってきているのがはっきりした。
一番始めに魚市場に行き当たった。
それから大きな通りや、幾つかの橋を渡った。




(銀座)






(東海道五十三次・日本橋)


(日本橋)




日本橋を過ぎると、信じがたい程の人の群れや、大名や役人の従者、着飾った婦人たちに出会った。
約100人の消防隊の行進にも行き合った。



(浅草)


呉服屋・食料品屋・仏具屋・本屋・七宝細工屋・薬屋などが家お前の軒先に商品を並べていた。





われわれの一行が通る時、他の町々で起こったような、戸口の前に立って見物しようとする者はほとんどいなかった。
これしきのことで好奇心を起こすことはないと、彼らは思っているのであろう。


午後1時、宿舎に着いた。二階に通された。到着は午後1時。
長崎からの全行程は、従って29日で終わったのである。



(東京タワーから見る東京)


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ケンペル「江戸参府旅行日記」小田原~藤沢~神奈川

2021年09月20日 | 「江戸参府紀行」ケンペル&シーボルト
ケンペル「江戸参府旅行日記」  訳者・斎藤信  東洋文庫  昭和52年発行
第十一章  浜松から江戸までの旅
1691年(元禄4)3月




3月12日

小田原を後にすると、すぐに酒匂川の岸に着いた。
平底の舟で渡った。




(東海道五十三次8・大磯宿)



大磯と言う小さな町を過ぎ、平塚村があり、馬入村と同じ名の流れがあった。



(東海道五十三次7・平塚宿)




川を渡って、村々を通った。
藤沢で昼食を取った。


(江の島)


(江の島)


遊行寺を通りすぎた。


(東海道五十三次6・藤沢宿)






藤沢から2里、戸塚という小さな町に来た。




(東海道五十三次5・戸塚宿)






また2里行くと、程ヶ谷という町があった。



(東海道五十三次4・保土ヶ谷宿)





日が暮れ、9時に神奈川に着き、ここで泊った。



(東海道五十三次3・神奈川宿)



(横浜)






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ケンペル「江戸参府旅行日記」三島~箱根・箱根関所~小田原

2021年09月20日 | 「江戸参府紀行」ケンペル&シーボルト
ケンペル「江戸参府旅行日記」  訳者・斎藤信  東洋文庫  昭和52年発行
第十一章  浜松から江戸までの旅
1691年(元禄4)3月



3月11日

日が昇ると駕籠に乗り込んだ。
今日は小田原の町まで八里の道を箱根の山を越える。

今日の旅程の半ばで昼食をとった。
湖は険しい山々に囲まれている。
ここにはハエも蚊もいないから、夏は静養していてもいいが、冬は非常に寒く体によくない。



(芦ノ湖と箱根の関所)




この村のはずれに将軍の番所があり、御関所と呼ばれている。
新居の関所と同様に、武器を持ったり婦人を連れたりする旅人を通さないのである。
ここは江戸にとって戦略上の要衝であるから、新居よりもはるかに重要な意義をもっている。
非常に狭い道の傍らにある関所の建物の前後には、柵と頑丈な門が作ってあり、
右手には険しい山が崖となり、左手は湖があって自然の要害をなしている。



(箱根の関所)



(箱根の関所)




関所では、
日本人はみな駕籠や馬から下り、かぶり物をぬいで、人も荷物も点検を受けたが、
それはただうわべだけ行われたに過ぎなかった。


(箱根の関所)



(東海道五十三次10・箱根宿)










小田原の市に着いた。
町の外側には門と番所があり、
町筋は清潔でまっすぐに延び、中央の通りは道幅が広い。
城には白壁造りの新しい三重の天守があって人目を引く。




(東海道五十三次9・小田原宿)



住民は小ぎれいな服装をし、礼儀正しい態度、特に婦人の優雅な身のこなしから、裕福で身分の高い人々がここに住んでいるのがわかった。
われわれは、ここから江戸の宿の主人に宛てて、到着を知らせるために手紙を出した。







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