ケンペルは日本に2年間滞在し、江戸参府旅行に2度参加した。
2度目の「江戸参府旅行日記」のうち、瀬戸内海旅行の部分のみ抜粋する。
・・・・・・・
ケンペル「江戸参府旅行日記」 訳者・斎藤信 東洋文庫 昭和52年発行
第十四章 第二回の江戸参府旅行 (下関~怒和~下津井~室津~大坂)
1692年(元禄5)3月
3月6日
下関の宿舎に着いた。
(下関市唐戸市場)
3月7日
日本人の考えでは、風と波が強すぎるという。
(下関市みもすそ川公園)
3月8日
早朝4時に、穏やかな海に月光を浴びて出港。
12時に上関の海峡を通過した。
(山口県周防大島)
2時には沖家室島の近くを通り、3時半ごろ油宇に向かった。
日没時怒和村に着いた。
(愛媛県中島諸島)
(愛媛県怒和島港)
3月9日
早朝出港、午後4時に御手洗に錨を下した。
(広島県大崎下島・御手洗港)
(広島県大崎下島・御手洗)
ヴィーナスの姉妹たち(娼婦のこと)を乗せて、船の間をあちこち回っている2艘の舟があった。
3月10日
夜明けと共に順風に帆を上げて、鼻繰の瀬戸を後ろに残し、来島の城が見えた。
(鼻栗の瀬戸、大三島大橋から左・大三島、右・伯方島)
(来島海峡大橋から、左・四国本土、右・来島)
さらに2里行くと右手に半里離れた立派な天守閣のある美しい城があり、今治城という。
(愛媛県今治城)
(広い燧灘・香川県伊吹島)
(広い燧灘・広島県走島)
(広い燧灘・広島県走島から正面に、岡山県白石島を見る)
(香川県与島)
日没前に、400戸余りの下津井という小さな町に着いた。
(備讃瀬戸、JR瀬戸大橋線からの車窓風景)
(倉敷市下津井)
3月11日
逆風が強く、じっとしていた。
(櫃石島から見る下津井港)
3月12日
順風が吹き始め、夜明けに航海を開始し、午後3時に室湾に錨を下した。
150艘の船で湾はいっぱいだった。
(兵庫県室津港)
3月13日
夜明けとともに出港したが、風は思わしくなかった。
網干ふきんで引き返し、午後3時室に着いた。
(兵庫県室津港)
3月14日
風が強く、仕方なく室の港にとどまった。
(兵庫県室津港)
3月15日
早朝出港し夕方大坂の港に着いた。
宿の主人が大坂から屋形船で迎えに来ていた。
(大阪)
2度目の「江戸参府旅行日記」のうち、瀬戸内海旅行の部分のみ抜粋する。
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ケンペル「江戸参府旅行日記」 訳者・斎藤信 東洋文庫 昭和52年発行
第十四章 第二回の江戸参府旅行 (下関~怒和~下津井~室津~大坂)
1692年(元禄5)3月
3月6日
下関の宿舎に着いた。
(下関市唐戸市場)
3月7日
日本人の考えでは、風と波が強すぎるという。
(下関市みもすそ川公園)
3月8日
早朝4時に、穏やかな海に月光を浴びて出港。
12時に上関の海峡を通過した。
(山口県周防大島)
2時には沖家室島の近くを通り、3時半ごろ油宇に向かった。
日没時怒和村に着いた。
(愛媛県中島諸島)
(愛媛県怒和島港)
3月9日
早朝出港、午後4時に御手洗に錨を下した。
(広島県大崎下島・御手洗港)
(広島県大崎下島・御手洗)
ヴィーナスの姉妹たち(娼婦のこと)を乗せて、船の間をあちこち回っている2艘の舟があった。
3月10日
夜明けと共に順風に帆を上げて、鼻繰の瀬戸を後ろに残し、来島の城が見えた。
(鼻栗の瀬戸、大三島大橋から左・大三島、右・伯方島)
(来島海峡大橋から、左・四国本土、右・来島)
さらに2里行くと右手に半里離れた立派な天守閣のある美しい城があり、今治城という。
(愛媛県今治城)
(広い燧灘・香川県伊吹島)
(広い燧灘・広島県走島)
(広い燧灘・広島県走島から正面に、岡山県白石島を見る)
(香川県与島)
日没前に、400戸余りの下津井という小さな町に着いた。
(備讃瀬戸、JR瀬戸大橋線からの車窓風景)
(倉敷市下津井)
3月11日
逆風が強く、じっとしていた。
(櫃石島から見る下津井港)
3月12日
順風が吹き始め、夜明けに航海を開始し、午後3時に室湾に錨を下した。
150艘の船で湾はいっぱいだった。
(兵庫県室津港)
3月13日
夜明けとともに出港したが、風は思わしくなかった。
網干ふきんで引き返し、午後3時室に着いた。
(兵庫県室津港)
3月14日
風が強く、仕方なく室の港にとどまった。
(兵庫県室津港)
3月15日
早朝出港し夕方大坂の港に着いた。
宿の主人が大坂から屋形船で迎えに来ていた。
(大阪)