場所・神奈川県小田原市城内 報徳二宮神社
二宮金次郎さんの像は、笠岡市内だけでも20数体あるが
二宮尊徳さんの像となれば、探しても・・・無いだろう。
金次郎さんの像は戦前、すべての小学校にあり、
尊徳さんは実際に活動した、神奈川県や北関東に像や碑が建っているのだろう。
碑文を転記する。
二宮尊徳翁(1787~1856)
江戸時代後期の農政家・思想家。
通称金次郎。尊徳は武士の名乗り。
幼少期の逸話が一般に知られているが、後に
「報徳仕法」と呼ばれる独自の方法と理念で、
小田原藩や日光神領などを含む、多くの諸家
所領の復興に尽くした。直接・間接的に指導
した農村は六百余りにものぼる。
ついでに金次郎さん。
二宮金次郎像
これと同じ像は全国約一千体制作されたが戦時中
すべて供出に遭い
現在残っているのは この一体だけである
尊徳さんは酒匂川近くに生まれ、後年には神となり
小田原城中に「報徳神社」に祀られている。
撮影日・2015.7.8
二宮金次郎さんの像は、笠岡市内だけでも20数体あるが
二宮尊徳さんの像となれば、探しても・・・無いだろう。
金次郎さんの像は戦前、すべての小学校にあり、
尊徳さんは実際に活動した、神奈川県や北関東に像や碑が建っているのだろう。
碑文を転記する。
二宮尊徳翁(1787~1856)
江戸時代後期の農政家・思想家。
通称金次郎。尊徳は武士の名乗り。
幼少期の逸話が一般に知られているが、後に
「報徳仕法」と呼ばれる独自の方法と理念で、
小田原藩や日光神領などを含む、多くの諸家
所領の復興に尽くした。直接・間接的に指導
した農村は六百余りにものぼる。
ついでに金次郎さん。
二宮金次郎像
これと同じ像は全国約一千体制作されたが戦時中
すべて供出に遭い
現在残っているのは この一体だけである
尊徳さんは酒匂川近くに生まれ、後年には神となり
小田原城中に「報徳神社」に祀られている。
撮影日・2015.7.8