しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

岡崎金次郎

2021年09月26日 | 銅像の人
場所・香川県小豆郡土庄町豊島 壇山岡崎公園


東京では豊島(としま)だが、
広島県に豊島(とよしま)があり、
香川県は豊島(てしま)と、手島(てしま)がある。間違いやすい。

岡山県宇野港から豊島(てしま)に定期航路がある。
今は隣の直島と共にアートの島として人気の島。

島の中央に檀山が聳えている。
その檀山山頂は公園で、銅像が立っている。





銅像に銘板がある、それを写す。

岡崎金次郎
明治13年豊島唐櫃に生まれ、明治26年東都に出て明治43年石材業及び建設業を興す。
関東大震災の復興並びに鉄道建設工事に活躍し、著名なる土木建設工事を完成せり。
晩年豊島の開発に着眼し私財を投じて、広大なる地域に桜を植樹され観光事業に寄与せられた。
また財団法人岡崎育英会を創設せられた。
茲に銅像を建立し翁の業績を永久に奉讃するものなり。
昭和37年4月
発起人 土庄町町長、議長、その他







檀山は標高340m、すそ野は広いので、二つある港のどちらから登っても、結構な運動量になる。
山頂の公園はほぼ360度のパノラマで、展望もすこぶるいい。










広いすそ野は棚田で、
段々畑の多い瀬戸内海の島々では、比較的珍しい風景を見ることができる。
棚田はよく守られ、青い海や島々の眺めが美しい。






撮影日・2011.9.28



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小松宮彰仁親王像

2021年09月26日 | 銅像の人
場所・東京都台東区 上野恩賜公園

第二次大戦の敗戦まで、大日本帝国の陸海軍は皇族を将官にして、軍をより神格化、絶対的なものとしていた。
それは終戦後の、東久邇宮稔彦王(陸軍大将)首相まで続いた。

赤十字社は人道支援団体でスイス人実業家アンリ・デュナンの提唱により創立されたが、日本赤十字社は皇族と軍との関係が強いのが特色だった。
軍との関係は戦後解消されたが、皇室との関係は今も強い。



小松宮彰仁親王(こまつのみやあきひとしんのう)は、
戊辰戦争、西南戦争で指揮を執った陸軍大将。
その後、日本赤十字社の総裁を務めた、
典型的な「戦前の皇族」の人といえる。







撮影日・2015.7.9


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本多平八郎忠勝

2021年09月26日 | 銅像の人
場所・愛知県岡崎市康生町 岡崎公園


徳川四天王として、家康が主役の小説・映画・ドラマに主要な脇役として登場する武将。
それ以上のことは知らないので、
岡崎市のwebより転記する。

.



本多平八郎忠勝公像
徳川四天王、徳川十六神将、徳川三傑の一人。

本多平八郎忠勝は、天文17年(1548年)、本多忠高の長男として、三河国額田郡蔵前(現在の愛知県岡崎市西蔵前町)で生まれました。
幼少のころから徳川家康に仕え、「蜻蛉切」という槍を使って戦に出たのですが、生涯57回にも及んだ戦いの中で、かすり傷一つ負わずに武功を挙げたので、
「家康に過ぎたるものが二つあり、唐の頭に本多平八」と呼ばれるほどの武将でした。
慶長14年に家督を息子の忠政に譲り隠居をし、慶長15年(1610)10月18日に桑名で亡くなりました。

(岡崎市観光協会)










撮影日・2014.10.10


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