捕獲したり、摘み取ったりの、遊びを兼ねた「おやつ」や「食材」は数多くあった。
山でマツタケを探すのも、海でアサリを掘るのも、食べものというよりは”遊び”の面が強かった。
スリルがある遊びで、おやつにもなる、とえば「ハチの巣」を落とすこと。
落とした巣から蜂の子を取り出して口に入れる。
噛まずに飲み込む。
栄養があると子どもたちも知っいた。
生物学者だった昭和天皇も食べていたそうだ。(下記↓の「日本の風土食探訪」)
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蜂の巣を軒下から地上に落とすのはスリルがあった。
男の子3~5人での遊び。
たいていの場合、まんの悪い人が1人蜂に刺される、というキョーテイ遊び。
長い竹の棒を2本ほど用意し、それを、ハチの巣が軒から落ちるまでつつく。
まわりはハチが数匹飛んでいる。
そして子どもめがけて刺しに飛んでくる。
このスリル感がなんともいえない。
軒から落ちた巣は、しばらくの間、ハチがまわりを飛んでいるが、そのうちあきらめていなくなる。
そこで、初めて落とした巣を手にして、ハチの子をみんなでわけて飲み込む。
腹の足しにもならぬおやつだったが、滋養があるというのでその気になっていた。
まん悪く、ハチに刺された子は、自分のションベンをかけていた。
それが効果があるとは思ってなかったが、それしか方法はなく、言い伝えの治療だった。
何もしなくても、そのうち、痛みや腫れは引いて、いつか自然に治癒する、そのこともみんな知っていた。
だから「ハチに刺されて医者に行った」という話は一度も聞いたことがない。
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「鴨方町史民俗編」 鴨方町 昭和60年発行
ハチの子
間食とはいえないが、ハチの子やハミを食べる。
ハチの子はハチの幼虫のことで、ドンブーといっている。
ハミはマムシのことである。ハチの巣からハチの子を抜き取り、そのまま飲む。
栄養があり、薬になる という。
イチジクの木を割ると、なかにいる虫は、虫薬になるといって焦がして子供に食べさせた。
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「日本の風土食探訪」 市川健夫 白水社 2003年発行
昆虫食の王様、蜂の子
若干の毒虫を除いてほとんどの昆虫は食べられるが、現在日本においては昆虫食は一般的には敬遠されている。
ところが、先入観をもたずに客観的にものをみてこられた昭和天皇は、蜂の子を召し上がっておられた。
第二次大戦後間もない昭和22年10月、天皇が長野県内を巡幸された。
その際、長野市内のホテルで蜂の子の甘露煮を召し上がられたが、以降も時折り御愛用になられたという。
蜂の子の本場は信州伊那地方と岐阜県東濃地方である。
ミツバチ・クマバチ・スズメバチなどの幼虫も食べられるが、
本場の伊那地方でとられている蜂の子は、クロスズメバチで、一般的には地蜂とカスガレ・スガルと呼ばれている。
地蜂と呼ぶのはクロスズメバチが土手や棚田の法面など比較的地盤の軟らかいところに巣をつくるからである。
夏から秋にかけてが、地蜂どりの季節である。
捕獲に当たっては二メートルほどの棒の先に蛙の肉をつけておくと、地蜂が見つけて巣に運んでいく。
巣穴を探し出したら、煙硝火薬を穴の入口で焚いて、蜂の活動を抑制し、巣を取り出す。
蜂の子の 加工業者は巣に入っている幼虫を一匹ずつ取り出す。
これに醤油・砂糖・酢・味醂などを加えて甘露 煮にする。
蜂の子の採取は容易でないので、きわめて貴重な食品になっている。
そこで200グラムの缶詰が 小売値で2.500円という高値で売られている。
蜂の子の本場である伊那地方では、かつて資源が豊かであったが、乱獲により減少している。
したって原料になる蜂の子は地元産が少なく、栃木・茨城・福島・山形・静岡などの諸県から移入している。
特に栃木県は蜂の子の大集散地で、仲買人が農家と契約して蜂の子を集荷し、これを二次加工して伊那市や東濃の中津川市・瑞浪市などへ出荷している。