昭和44年を最後に、父母は「米作り」を止めた。
農家であるが、
米を買って食べるようになった。
その大きな背景に、
①米の過剰や政府の減反政策(昭和47年開始)。
②作業の機械化(田植え・稲刈り)で設備投資が必要。
茂平は果物が盛んだが、稲作は自給用で小規模だった。
稲作を止めた田んぼは、イチゴやイチジクに転換した。
昭和50年代、茂平のイチゴは全盛期を迎えた。
(父の話)
昔からいちごは植えていた。が路地ものであった。
ハウスで栽培してから金になりだした。
今でも茂平のイチゴ栽培は多いが一時ほどではない。
作るのに手間がかかりすぎる。
よそでも栽培が増えた。
茂平のが甘い、うまいといっても見た目が同じなら安い方を買う。
のが原因だろう。
2000年05月28日
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いちごは、農協がすすめた。
パイプ、ビニール農協が金をはろうてくれる。
こんだぁ、毎年金が農協にはいる。農協が取り替えてそれで払おてくれた。
今は、一時に比べ半分くらいになった。(茂平のいちごは)
手間がかかる。骨が折れる。
昔ほどじゃあねぃが(良い農薬が出来たので)、ダニがくる、うどん粉がくる。病気がくる。
いちじくのほうがらくじゃ、ダニだけじゃけい。
ハウスでも、イチジクのハウスのほうがよい。。ボニにだす。
2000・12・17
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12月からだして4月くれいまでだしょうた。
春がすんで、こんどは苗をつくるようになる。
根から芽がつるがでたのを、切って植える。
ええめから、ええめから苺をだしたほうがえかった。
古いのはうがしょうた。残ぇても実はなるけど。
秋に植えて、せいから正月に出すようにする。
ハウスにストーブや電気をつけえて。
温度調節
花をええようにして、花をまびぃてやる。
ハウスによって季節を分けょうた。みないっしょに手入れができんけぃのう。
早ぅ花をさかせるんと、遅うさかせるんとに分けて。思うように(実がなる時期を)しょうた。
2001・2・11
「岡山の作物文化誌」 臼井英治 岡山文庫 平成18年発行
イチゴ
江戸末期、長崎に伝えられた。
「福羽」が明治32年生まれ以後、70年間作り続けられる。