ものごころがついた時から、父は葡萄の季節の恒例のように「葡萄酒」を造っていた。
父の造る葡萄酒は子供も飲むことがあった。
お祭りや行事の時、祝いの日に飲んでいた。
甘酒を飲む感じで、アルコール分が少なかった。
酒好きの祖父は、焼酎と共に、父の葡萄酒も毎日のように飲んでいた。
時代が高度経済成長期になり、安全な飲食や、納税(当時とごさん10.5.3と呼ばれていた)が求められる時代となり、
それが茂平の農家にもおしよせた。
茂平名産の珍菓・干しイチジクは保健所から禁止され、
葡萄農家は税法違反で捕まった。
・・・
(父の話)
葡萄酒で捕まる
(密造していた葡萄酒が・・・・密造の意識は無いが・・・)長ぅおぃといたら醗酵してき、アルコール度が高おなってくる。
そしたら罰金くうた。3000円じゃったけぃのう?!
作ったのは隠しとったんじゃじゃけぃど、じいちゃんが飲むけぃ出しとったら。
来たら探すんじゃけいのう、台所を。
飲んだやつを見られてのう、罰金くうた。
(田舎で葡萄酒を調べると)ぼっこうでるんじゃ。
ウチがやられる、はるおさん方がやられる。
ぶどう作りょうる人は、なんぼうかこしらえる。
2000・10・8
「台所に敗戦はなかった」 魚柄仁之助 青弓社 2015年発行
つくりませう!葡萄酒
「家の光」1932年 (昭和7年)9月号(産業組合中央会)
96ページにこのような記事が掲載されておりました。
葡萄酒と果実酒、桑実酒、水飴が同列に並べられており、その横にははっきりと「自家製法」と書かれてますね。
ご指導くださるのは東京府立園芸学校の西清蔵先生ですから、これはどう見ても果実やその加工・醸造など の専門家でありましょう。
当時の家庭での自家醸造を知る手がかりとなる資料だと思いますので全文掲載します。
天然葡萄酒混成葡萄酒、人工葡萄酒という分類を見ますと、日本で「葡萄酒」と言われている飲み物がどのような作り方をされたものだったのかが見えてきますね。
作り方に関する記述を見ましても、かなり専門的に書かれています。
収穫時は「成熟したものを晴天続きの午後に収穫すれば、糖分は多い」というアドバイスをしていますね。
発酵してもアルコ ール度数は五パーセントくらいにしかならなかったと思われます。
これは今日でも同じで、自家でビールやワインを醸造するときにも麦や葡萄を仕込んだところに砂糖を加えて糖度を高くなるように調整します。
また葡萄酒を仕込む「発酵桶」のガス抜き方法や葡萄の皮が浮いてこないようにするための注意点なども、 「ご家庭の」レベルを超えております。
婦人向けに作られた生活雑誌で自家醸造方法をここまで詳しく述べたものは見たことがありません。
今日の日本の常識でとらえますと「密造を勧めているのではないかっ!」でありましょうが、ところが1932年においてはこの葡萄酒造り、合法であったと考えられるんですね。
敗戦からちょうど一年たった1946年 (昭和21年)の雑誌「主婦と生活」 八月号に掲載されていた「調味料の新工夫」の一コマですが、
ここに甘味料としてこの葡萄酒の作り方が掲載されていました。
こちらはいたって原始的で大雑把なものであります。
イラストのような広口の甕で造りますと発生したガスで栓が吹っ飛ぶことはないでしょうが、ショウジョウバエがワンサカになりましょうね。
「冷たい場所におきます」とありますが、何日くらいかの記述がありません。
ただ、「持味の甘味がでてきます」ということなので、たぶん仕込んでから 二、三日ではないでしょうか。
七日から十日も置きますと発酵が進んで持ち味の甘さがなくなってしまいます。
ここに書いてあるように二、三日で「漉して瓶に」取る・・・・・のはいいんですが、この段階ではまだ発酵してますから、 きっちりフタをしたら栓が吹っ飛ぶでしょうね。