場所・岡山県倉敷市船穂 高瀬通し
訪問日・2006.5.6
船穂(ふなお)には軍神二人の碑と像がある。
日本海海戦の英雄「東郷平八郎軍師」像。又串公民館の前にある。
もう一人の軍神は、白神源次郎。
「陸軍歩兵一等喇叭手白神源次郎紀念碑」。
白神源次郎記念碑
白神源次郎は,日清戦争に従軍していました。
明治二十七年七月、朝鮮成歓の役、安城の渡しの激戦中、敵弾が胸部を貫きましたが、なお屈せず進軍ラッパを吹き鳴らし続けました。
その余韻が消えると、ラッパを口にしたままで命が絶えました。
享年二十七歳
当時の新聞・雑誌には源次郎の勇壮な戦死を讃えた記事が,盛んに報道されました。
当時の検定教科書にも登場しました。
軍歌には「姓は白神で名は源次郎」と歌われ、国内はもとより広く海外にも伝えられました。
白神源次郎の墓はこの近くの出生地、字堅盤谷の丘の墓地にあります。
船穂町教育委員会
浅口郡船穂町(2005年に倉敷市に合併した)は木口小平の存在を無視している。
いつまでも船穂町出身の偉人であるようだ。
(誰にもほんとのことはわからないし、また誰も今は関心もないので)
それでいいかも。
”姓は白神(しらがみ)名は源次郎”の碑に立つと、高梁川の悠久の流れが眼前だ。
訪問日・2006.5.6
船穂(ふなお)には軍神二人の碑と像がある。
日本海海戦の英雄「東郷平八郎軍師」像。又串公民館の前にある。
もう一人の軍神は、白神源次郎。
「陸軍歩兵一等喇叭手白神源次郎紀念碑」。
白神源次郎記念碑
白神源次郎は,日清戦争に従軍していました。
明治二十七年七月、朝鮮成歓の役、安城の渡しの激戦中、敵弾が胸部を貫きましたが、なお屈せず進軍ラッパを吹き鳴らし続けました。
その余韻が消えると、ラッパを口にしたままで命が絶えました。
享年二十七歳
当時の新聞・雑誌には源次郎の勇壮な戦死を讃えた記事が,盛んに報道されました。
当時の検定教科書にも登場しました。
軍歌には「姓は白神で名は源次郎」と歌われ、国内はもとより広く海外にも伝えられました。
白神源次郎の墓はこの近くの出生地、字堅盤谷の丘の墓地にあります。
船穂町教育委員会
浅口郡船穂町(2005年に倉敷市に合併した)は木口小平の存在を無視している。
いつまでも船穂町出身の偉人であるようだ。
(誰にもほんとのことはわからないし、また誰も今は関心もないので)
それでいいかも。
”姓は白神(しらがみ)名は源次郎”の碑に立つと、高梁川の悠久の流れが眼前だ。
吹奏されるラッパは、現代の陸上自衛隊らっぱ譜で一日の起床から消灯までの日課です。