BOB DYLAN / SLOW TRAIN COMING
6月10日、マスル・ショールズ・リズム・セクションの鍵盤奏者、バリー・ベケットさんが亡くなられました。享年66歳。がんだったそうです。サザン・ソウルの聖地マスル・ショールズを支えた名職人です。
マスル・ショールズはアラバマ州にある小さな町です。そこにリック・ホールという白人が経営する小さなスタジオがありました。その名をフェイム・スタジオ。この南部の片田舎から発信されるサウンドを求め、アトランティックやチェスなどのレーベルが次々にアーティストを送り込んだのです。パーシー・スレッジ、ウィルソン・ピケット、アレサ・フランクリン、エタ・ジェイムス、ローラ・リーなどなど。数々のアーティストがここで名作を録音し、フェイム自体からもキャンディ・ステイトンというスターが生まれました。そしてバックを務めるスタジオ・ミュージシャンとしては、黒人チームのフェイム・ギャングと呼ばれた人達も有名ですが、それ以上に名を馳せたのが、マスル・ショールズ・リズム・セクションとして知られる白人チーム。イレギュラーでかのデュアン・オールマンもちょくちょく顔を出していたようですが、中核となったのが、ロジャー・ホーキンス(ds)、ジミー・ジョンソン(g)、デイヴィッド・フッド(b)、そしてバリー・ベケット(kbd)という面々。
この4人のリズム・セクションこそ南部サウンドの代名詞といっても過言ではありません。そして白人だけにカントリー的というかスワンプ的でもあり、そこにソウル・シンガーのディープな歌声が乗るという、ソウルとカントリーの、もしくは黒人音楽と白人音楽の融合という側面もあったりするのです。重心が低いながら、どこか開放感の感じられる彼らのサウンドからは、人種に関係なくただただ良い音楽を求め邂逅し合っていた当時のスタジオが放つ熱気が感じられます。
そしてこの4人が独立し、69年に設立したのがマスル・ショールズ・サウンド・スタジオ。70年代はロック/ポップ・フィールドのアーティストが本物のリズムに憧れ、このマスル・ショールズのサウンドを求めるケースが目立ちました。例えばポール・サイモン、ボズ・スキャッグス、ロッド・スチュアート、ボブ・シーガー、トラフィック、そしてボブ・ディラン。バリー・ベケットはキーボード奏者としてだけではなく、プロデューサーとしての仕事もこなしていましたが、ジェリー・ウェクスラーと共にプロデュースを務めたディランの79年作「SLOW TRAIN COMING」(上写真)は、そんな彼のプロデュース・ワークを代表する作品ですね。さらに共演こそ確認されてないものの、ローリング・ストーンズもわざわざマスル・ショールズ・サウンド・スタジオを訪れ、「STICKY FINGERS」の一部をここで録音しています。
そんなサザン・ソウルの聖地、マスル・ショールズ・サウンド・スタジオも05年頃に閉鎖されるという噂を聞きましたが、その後、そのスタジオや建物がどうなったかは、よく知りません…。
さて、マスル・ショールズが関わった作品として数々の名盤が知られていますが、先に挙げたアーティストを含め、その全てにバリー・ベケットが参加している訳ではありません。でも多くの作品で彼の名を見つけることが出きます。以下、そのほんの一部です。
TELL MAMA: THE COMPLETE MUSCLE SHOALS SESSIONS
チェスからフェイム詣でしたエタ・ジェイムス。彼女の代表作の一つ「TELL MAMA」(68年作)にボーナス・トラックを加えた、嬉しいマスル・ショールズ・セッションのコンプリート盤。
WILSON PICKETT / HEY JUDE
ウィルソン・ピケットの69年作。アトランティック勢の中でも、南部録音が最も良く似合う男。その野性的な咆哮が強烈なフェイム録音。
ARETHA FRANKLIN / THIS GIRL'S IN LOVE WITH YOU
アレサの全盛期と言えば、アトランティック移籍後の60年代後半。この頃のアレサと言えばマスル・ショールズな訳です!! しかし彼女の出世作にして代表曲「I NEVER LOVED A MAN」こそフェイム録音ですが、その他となるとミュージシャンはかの地の人達を使っているとは言え、マスル・ショールズ録音自体は意外と少なかったり。バリー・ベケットが参加したこの70年作もマスル・ショールズ勢がバックを務めているものの録音はニューヨーク及びマイアミだそう。
BOBBY WOMACK / UNDERSTANDING
ボビー・ウーマックの72年作。これも傑作。この人もマスル・ショールズと相性の良かったシンガーの一人。ウーマック流の洗練されたセンスが南部フィーリングと極上に溶け合います。
TRAFIC / ON THE ROAD
スティーヴィー・ウィンウッド率いるトラフィック、73年のライヴ盤。前作「SHOOT OUT AT THE FANTASY FACTORY」にロジャー・ホーキンス、デイヴィッド・フッドと共にバリー・ベケットも参加した流れで、ステージでもこの3人ががっつりサポート。と言うよりこの時はトラフィックの正式メンバーだったのか? スティーヴィーの南部指向が伺えます。
ROD STEWART / ATLANTIC CROSSING
ロッド・スチュワートのマスル・ショールズ録音を含む75年の傑作。バックにはマスル・ショールズ・リズム・セクションの他、MG’S、ジェシ・エド・デイヴス、デヴィッド・リンドレー、などが参加した鬼アルバム。
AARON NEVILLE / BELIEVE
そして近年のバリー・ベケットはナッシュビルでプロデューサー業をこなしていたそうですが、その辺の詳細は良く知りません…。意外なところではこのアーロン・ネヴィルの03年作をプロデュースしています。
バリー・ベケットさん、安らかに。
6月10日、マスル・ショールズ・リズム・セクションの鍵盤奏者、バリー・ベケットさんが亡くなられました。享年66歳。がんだったそうです。サザン・ソウルの聖地マスル・ショールズを支えた名職人です。
マスル・ショールズはアラバマ州にある小さな町です。そこにリック・ホールという白人が経営する小さなスタジオがありました。その名をフェイム・スタジオ。この南部の片田舎から発信されるサウンドを求め、アトランティックやチェスなどのレーベルが次々にアーティストを送り込んだのです。パーシー・スレッジ、ウィルソン・ピケット、アレサ・フランクリン、エタ・ジェイムス、ローラ・リーなどなど。数々のアーティストがここで名作を録音し、フェイム自体からもキャンディ・ステイトンというスターが生まれました。そしてバックを務めるスタジオ・ミュージシャンとしては、黒人チームのフェイム・ギャングと呼ばれた人達も有名ですが、それ以上に名を馳せたのが、マスル・ショールズ・リズム・セクションとして知られる白人チーム。イレギュラーでかのデュアン・オールマンもちょくちょく顔を出していたようですが、中核となったのが、ロジャー・ホーキンス(ds)、ジミー・ジョンソン(g)、デイヴィッド・フッド(b)、そしてバリー・ベケット(kbd)という面々。
この4人のリズム・セクションこそ南部サウンドの代名詞といっても過言ではありません。そして白人だけにカントリー的というかスワンプ的でもあり、そこにソウル・シンガーのディープな歌声が乗るという、ソウルとカントリーの、もしくは黒人音楽と白人音楽の融合という側面もあったりするのです。重心が低いながら、どこか開放感の感じられる彼らのサウンドからは、人種に関係なくただただ良い音楽を求め邂逅し合っていた当時のスタジオが放つ熱気が感じられます。
そしてこの4人が独立し、69年に設立したのがマスル・ショールズ・サウンド・スタジオ。70年代はロック/ポップ・フィールドのアーティストが本物のリズムに憧れ、このマスル・ショールズのサウンドを求めるケースが目立ちました。例えばポール・サイモン、ボズ・スキャッグス、ロッド・スチュアート、ボブ・シーガー、トラフィック、そしてボブ・ディラン。バリー・ベケットはキーボード奏者としてだけではなく、プロデューサーとしての仕事もこなしていましたが、ジェリー・ウェクスラーと共にプロデュースを務めたディランの79年作「SLOW TRAIN COMING」(上写真)は、そんな彼のプロデュース・ワークを代表する作品ですね。さらに共演こそ確認されてないものの、ローリング・ストーンズもわざわざマスル・ショールズ・サウンド・スタジオを訪れ、「STICKY FINGERS」の一部をここで録音しています。
そんなサザン・ソウルの聖地、マスル・ショールズ・サウンド・スタジオも05年頃に閉鎖されるという噂を聞きましたが、その後、そのスタジオや建物がどうなったかは、よく知りません…。
さて、マスル・ショールズが関わった作品として数々の名盤が知られていますが、先に挙げたアーティストを含め、その全てにバリー・ベケットが参加している訳ではありません。でも多くの作品で彼の名を見つけることが出きます。以下、そのほんの一部です。
TELL MAMA: THE COMPLETE MUSCLE SHOALS SESSIONS
チェスからフェイム詣でしたエタ・ジェイムス。彼女の代表作の一つ「TELL MAMA」(68年作)にボーナス・トラックを加えた、嬉しいマスル・ショールズ・セッションのコンプリート盤。
WILSON PICKETT / HEY JUDE
ウィルソン・ピケットの69年作。アトランティック勢の中でも、南部録音が最も良く似合う男。その野性的な咆哮が強烈なフェイム録音。
ARETHA FRANKLIN / THIS GIRL'S IN LOVE WITH YOU
アレサの全盛期と言えば、アトランティック移籍後の60年代後半。この頃のアレサと言えばマスル・ショールズな訳です!! しかし彼女の出世作にして代表曲「I NEVER LOVED A MAN」こそフェイム録音ですが、その他となるとミュージシャンはかの地の人達を使っているとは言え、マスル・ショールズ録音自体は意外と少なかったり。バリー・ベケットが参加したこの70年作もマスル・ショールズ勢がバックを務めているものの録音はニューヨーク及びマイアミだそう。
BOBBY WOMACK / UNDERSTANDING
ボビー・ウーマックの72年作。これも傑作。この人もマスル・ショールズと相性の良かったシンガーの一人。ウーマック流の洗練されたセンスが南部フィーリングと極上に溶け合います。
TRAFIC / ON THE ROAD
スティーヴィー・ウィンウッド率いるトラフィック、73年のライヴ盤。前作「SHOOT OUT AT THE FANTASY FACTORY」にロジャー・ホーキンス、デイヴィッド・フッドと共にバリー・ベケットも参加した流れで、ステージでもこの3人ががっつりサポート。と言うよりこの時はトラフィックの正式メンバーだったのか? スティーヴィーの南部指向が伺えます。
ROD STEWART / ATLANTIC CROSSING
ロッド・スチュワートのマスル・ショールズ録音を含む75年の傑作。バックにはマスル・ショールズ・リズム・セクションの他、MG’S、ジェシ・エド・デイヴス、デヴィッド・リンドレー、などが参加した鬼アルバム。
AARON NEVILLE / BELIEVE
そして近年のバリー・ベケットはナッシュビルでプロデューサー業をこなしていたそうですが、その辺の詳細は良く知りません…。意外なところではこのアーロン・ネヴィルの03年作をプロデュースしています。
バリー・ベケットさん、安らかに。