<POP・EYE>。やはり、今でもとてもクールでいい雑誌名だと思う。
「POPEYE」がオヤジ雑誌として復活するのだという。
その名も「POPEYE OilyBoy(ポパイ・オイリーボーイ)」。コンセプチュアルな誌名は魅力的だけれども、正直なところオレは「POPEYE」やHDPのような雑誌には(一部連載以外は)縁も、興味もなかった男だった。だからこそ、そういう雑誌が今の時代にどんなコンセプトを打ち出してくるのか、非常に興味深い。世代的に「平凡パンチ」に対する「団塊パンチ」はいまいちピンと来なかったのだけれども、あの「POPEYE」がどう<(自称)成長>するのか、これはたぶん感じるところが大きいだろうと思うのだ。
「POPEYE」というと思い出す書籍が二冊ある。赤田祐一の「ポパイの時代 ある雑誌の奇妙な航海」(太田出版)と、同時期に読んだ西村繁男の「さらば、わが青春の『少年ジャンプ』」(幻冬舎)。ともに雑誌黄金時代を謳歌した両誌の物語。しかし、どちらかというと、物語の主役である伝説の編集者である木滑良久氏や石川次郎氏よりも、松山猛さんや北山耕平さん、ジャンプで言えば当然西村繁男氏ではなく、編集部から排除され、その後『アストロ球団』などの原作者として雄々しく復活する遠崎史朗さんに強いシンパシーを感じた。特に北山さんの批判は辛辣だ。これを克服しなきゃ<大人の>「POPEYE」もできないと思うんだけどな。
その時代、リアルタイムで読んでいたわけではないけれども、批判者、異分子である彼らが編集部と道を分かつことで、80年代以降、オレが興味を持てない「POPEYE」が出来上がっていったわけだ。
まあ成長した「POPEYE」っていうのは、今まで「ブルータス」や「ターザン」だったと思っていたんだが……ひとまず12月が愉しみ。
「POPEYE」がオヤジ雑誌として復活するのだという。
その名も「POPEYE OilyBoy(ポパイ・オイリーボーイ)」。コンセプチュアルな誌名は魅力的だけれども、正直なところオレは「POPEYE」やHDPのような雑誌には(一部連載以外は)縁も、興味もなかった男だった。だからこそ、そういう雑誌が今の時代にどんなコンセプトを打ち出してくるのか、非常に興味深い。世代的に「平凡パンチ」に対する「団塊パンチ」はいまいちピンと来なかったのだけれども、あの「POPEYE」がどう<(自称)成長>するのか、これはたぶん感じるところが大きいだろうと思うのだ。
「POPEYE」というと思い出す書籍が二冊ある。赤田祐一の「ポパイの時代 ある雑誌の奇妙な航海」(太田出版)と、同時期に読んだ西村繁男の「さらば、わが青春の『少年ジャンプ』」(幻冬舎)。ともに雑誌黄金時代を謳歌した両誌の物語。しかし、どちらかというと、物語の主役である伝説の編集者である木滑良久氏や石川次郎氏よりも、松山猛さんや北山耕平さん、ジャンプで言えば当然西村繁男氏ではなく、編集部から排除され、その後『アストロ球団』などの原作者として雄々しく復活する遠崎史朗さんに強いシンパシーを感じた。特に北山さんの批判は辛辣だ。これを克服しなきゃ<大人の>「POPEYE」もできないと思うんだけどな。
その時代、リアルタイムで読んでいたわけではないけれども、批判者、異分子である彼らが編集部と道を分かつことで、80年代以降、オレが興味を持てない「POPEYE」が出来上がっていったわけだ。
まあ成長した「POPEYE」っていうのは、今まで「ブルータス」や「ターザン」だったと思っていたんだが……ひとまず12月が愉しみ。