徒然地獄編集日記OVER DRIVE

起こることはすべて起こる。/ただし、かならずしも発生順に起こるとは限らない。(ダグラス・アダムス『ほとんど無害』)

悪が勝つ(再掲)

2011-04-12 03:30:50 | VIBE RHYME
「この危機感を、どうしてみんなはもっと世界的なレヴェルで感じないんだろう。地球的な環境がどうこうじゃなく、ぼくたちのミクロコスモス、つまり内面的な部分でのエントロピーがすごく増大してるんだってことをね。でも、エントロピーの増大は絶対阻止できないから。もしかしたら共産主義ってのは、そういう増大するエントロピーに対する最後の歯止めだったかもしれないよね」
--でも、その共産主義が、今、ある意味で敗北しつつある。
「うん、力の論理の方が正しいってことの証明だと思う。ぼくたちは、最終的に悪が勝つ、ヤクザが勝つってことを前提にこれから物事を考えていかなければならないところにまですでに追い込まれてる。にもかかわらず、なんかやっぱり最終的には正義が勝つんじゃないかという、曖昧な、全然根拠のない理想をぼんやり信じながら暮らしてるわけだよね。(中略)これだけの文化を作ってきた人間が滅びるときに、どういう形で滅びるべきかってことを、捨て鉢にならずに見せていかなきゃならない。たぶん今、若い世代の黒人たちは本能的にそういう闘いを続けているんだと思う」
--それがヒップホップ最大のメッセージ?
「うん。つまり、現実はもう動かしようがないとして、でも、現実がこうだからしょうがないじゃないかって降りるんじゃなく、その中でも素晴らしい何かを生み出していく、と」(1989年11月)
(近田春夫×萩原健太「ポップス・イン・ジャパン」新潮文庫より)

昔は良かったと言わないために

2011-04-12 02:16:48 | News
TL上であまりに2つのデモの様相が違っていたために高円寺を際立たせるように芝公園の動きを「形式的」と腐すようなイメージで書いている人がいたので念のために書いておく。
芝公園にしても高円寺にしても容易に批判はできる。あまり高円寺を批判したくはないのだけれども、今回の高円寺は数多くのミュージシャンやDJが参加したサウンドデモであり、イベント色が強いものであったからこそ劇的にハードルが下がり、「若者」が集まった。とにかく参加者を集めてニュースにするのが目的であったのだろうから、「若者」を中心に数多くの参加者が集まったのは確かに素晴らしいことだと思う。
しかしこれは現在だけの話ではない。20数年前だって、チェルノブイリでの事故を受けた、純粋で、若干ヒステリー気味の危機感から数多くの「若者」が数多く参加した集会が行われたのだ。決して彼らは昔ながらの運動家風情ではなく「普通の若者」たちだったと思うよ。
その時代にまったく何も成果がなかったようなことは言いたくない。ましてや安直な世代論なんかで語りたくない。

20数年前のかつての若者たちも、またその10年、20年前のオールドボーイたちも、時代を経て、「手段」を積み上げて昨日の日曜日がある。
若気の至りでいる間は何にも「声」にはならない。若気の至りの季節を、ある時期から「卒業」しがちな(させたがる)一部の日本人は、あまりにも月日の積み重ねを軽く見すぎている。声ってのは言い続けることだけに意味がある。
特にTwitter経由で反(脱)原発系サイトが楽天的に高円寺を持ち上げるのはまったく意味のないことで、大きな流れを阻害さえしかねない。それは特定の人たちにとっては組み易く、コントロールしやすいってことだぜ?