<日本は、原爆体験という基盤のうえに立って、世界の非武装・非核の唱導者となることで、過去の失敗を(あるいは犯罪を、あるいは悪行を、あるいは罪を)一部なりとも償うことができる、という考えがしだいに平和運動の中核をなす教義となった。しかし、「懺悔」の語法で表現されるこのような考え方は、占領が始まる前からすでにあったのである。八月二七日、『朝日新聞』は、内閣情報局総長が外国による占領にいかに対応すべきかの心構えについて国民に指示を出したことを報じる社説で、こう提言した。戦争は相対的なものであり、深刻なる反省をしなければならないのは常に、勝者ではなく敗者である。これは必要であり、望ましいことだ。「われら一億はみな等しく「懺悔」三昧の生活に」入らなければならない。もしかしたら、今後の世界人道のため核兵器使用禁止において指導的役割を果たすことで、日本人は「戦争の敗者」転じて「平和の勝者」になりうるかもしれない。>
<八月一五日に辞職した鈴木貫太郎首相は、同じ日の夕刻のラジオ放送で、「今回戦争における最大欠陥であった科学技術」について語った。退任する文部大臣も同日付けの声明で、戦争中の学徒の苦労をねぎらい、これからは日本の「科学力と精神力」を最高の水準に押しあげることが責務である、と激励した。三日後に就任した新文部大臣、前田多門のもとでの戦後教育は「基礎科学に力注ぐ」と新聞の見出しが報じた。そして八月二〇日の「科学立国へ」と見出しを掲げた『朝日新聞』は「われらは敵の科学に破れた。この事実は広島市に投下された一個の原子爆弾によって証明される」と断じ、「科学」とは、組織の各部、社会のあらゆるレベルにおける「理性」と「合理性」を含めた、きわめて広い意味で理解しなければならない、とわざわざ指摘した。(中略)
「敗戦の責任」にたいするこの実用主義的こだわりが、基本的に保守的で自己本位なものであることは疑いを容れない。しかし、これはつづれ織りの織り糸の一本であった。一本が緩めば織物全体が、この場合は日本帝国という織物が、ぐずぐずとほどけてしまう。国民を犠牲にした張本人はもはや鬼畜米英ではなく、本質的に後進的で、非理性的で、抑圧的な制度的構造のなかで動いてきた無責任な指導者たちになった。>
<八月二八日、アメリカ軍先発隊の第一陣が厚木航空基地に到着した日、公的論議の中心は「懺悔」であった。日本人記者たちに「敗戦の原因」を問われた東久邇首相は、注意深く説明した――それには、多くの規制や統制、軍部や政府当局の誤り、それに、たとえば闇市などに見られるような国民道徳の低下など、多くの原因があった。そして、前日の情報局の声明に使われたことばを借用して、こう断言した。「軍官民、国民全体が徹底的に反省し懺悔しなければならぬと思う。一億総懺悔をすることがわが国再建の第一歩であり、国内団結の第一歩と信ずる」。
それまでの二週間、軍部と文民官僚が一丸となって好ましくない証拠文書の廃棄作業に忙しかったのだから、まさにその瞬間において、この「責任」の均一化、集団化の議論はある種ねじれた真実であった。誰も責任をとりたがらず、誰も自分に責任があると言わなかった。この数年後、政治学者の丸山真男が、政府の「総懺悔」キャンペーンを、緊急場面に遭遇したイカが危険から逃れようと噴きだす墨の煙幕に喩えた。個人の責任を真剣にとらえ、厳しく自己批判していた個人や団体も多少はいたが、公式版の総懺悔は、基本的に、まるでイカの墨のようにどこへともなく霧散してしまった。>
(以上 ジョン・ダワー/三浦陽一・高杉忠明・田代泰子・訳「敗北を抱きしめて 第二次大戦後の日本人(下)」岩波書店)
<八月一五日に辞職した鈴木貫太郎首相は、同じ日の夕刻のラジオ放送で、「今回戦争における最大欠陥であった科学技術」について語った。退任する文部大臣も同日付けの声明で、戦争中の学徒の苦労をねぎらい、これからは日本の「科学力と精神力」を最高の水準に押しあげることが責務である、と激励した。三日後に就任した新文部大臣、前田多門のもとでの戦後教育は「基礎科学に力注ぐ」と新聞の見出しが報じた。そして八月二〇日の「科学立国へ」と見出しを掲げた『朝日新聞』は「われらは敵の科学に破れた。この事実は広島市に投下された一個の原子爆弾によって証明される」と断じ、「科学」とは、組織の各部、社会のあらゆるレベルにおける「理性」と「合理性」を含めた、きわめて広い意味で理解しなければならない、とわざわざ指摘した。(中略)
「敗戦の責任」にたいするこの実用主義的こだわりが、基本的に保守的で自己本位なものであることは疑いを容れない。しかし、これはつづれ織りの織り糸の一本であった。一本が緩めば織物全体が、この場合は日本帝国という織物が、ぐずぐずとほどけてしまう。国民を犠牲にした張本人はもはや鬼畜米英ではなく、本質的に後進的で、非理性的で、抑圧的な制度的構造のなかで動いてきた無責任な指導者たちになった。>
<八月二八日、アメリカ軍先発隊の第一陣が厚木航空基地に到着した日、公的論議の中心は「懺悔」であった。日本人記者たちに「敗戦の原因」を問われた東久邇首相は、注意深く説明した――それには、多くの規制や統制、軍部や政府当局の誤り、それに、たとえば闇市などに見られるような国民道徳の低下など、多くの原因があった。そして、前日の情報局の声明に使われたことばを借用して、こう断言した。「軍官民、国民全体が徹底的に反省し懺悔しなければならぬと思う。一億総懺悔をすることがわが国再建の第一歩であり、国内団結の第一歩と信ずる」。
それまでの二週間、軍部と文民官僚が一丸となって好ましくない証拠文書の廃棄作業に忙しかったのだから、まさにその瞬間において、この「責任」の均一化、集団化の議論はある種ねじれた真実であった。誰も責任をとりたがらず、誰も自分に責任があると言わなかった。この数年後、政治学者の丸山真男が、政府の「総懺悔」キャンペーンを、緊急場面に遭遇したイカが危険から逃れようと噴きだす墨の煙幕に喩えた。個人の責任を真剣にとらえ、厳しく自己批判していた個人や団体も多少はいたが、公式版の総懺悔は、基本的に、まるでイカの墨のようにどこへともなく霧散してしまった。>
(以上 ジョン・ダワー/三浦陽一・高杉忠明・田代泰子・訳「敗北を抱きしめて 第二次大戦後の日本人(下)」岩波書店)