徒然地獄編集日記OVER DRIVE

起こることはすべて起こる。/ただし、かならずしも発生順に起こるとは限らない。(ダグラス・アダムス『ほとんど無害』)

「身体を張って対話する」ということ/2.20経産省前抗議

2012-02-21 23:38:17 | News


昨日は夕方から経産省の保安院で行われたストレステストに対する意見聴取会(第9回)の抗議行動に参加。
この日も寒風が吹き抜ける中、数十人の一般市民が参加した。オレは17時頃に現場に着いたのだけれども、気がつけば周囲に仕事終わり(らしき)の方々が多く集まっていた。

同日には柏崎刈羽村で東京電力による住民説明会も行われた。反対意見が多い中、それでも「体を張って地域と対話し、安全に安全を重ね再稼働してもらいたい」という、地元住民による再稼動賛成の意見も出されたという。
「安全に安全を重ねる」とは一体どういうことなのか。
一方経産省内の保安院では<電力各社に昨年末までに提出するよう求めた2次評価(炉心損傷に至った場合に炉内の蒸気を外部に放出する「ベント」を行う際、放射性物質を除去する設備を設置することなど)の報告書が全く提出されていないことを明らかにした>という。
抗議に集まっている人々は、それなりに「身体を張って対話し」ていると思うのだが、それに対して電力会社は「安全に安全を重ねる」気はないのか。これではまったくお話にならない。

20時を過ぎた頃、傍聴人の報告スピーチを受けて別館に移動した。
しかし保安院の前の方がテンションが上がるのは何故なんだろう(個人的には)。

終了直前に集団から離れた。日比谷公園で聴いた最後のコールは、まるでゴール裏のチャントのように、煌々と明かりが灯り続ける霞ヶ関に大きく響いていた。
あれが聴こえないわけがない。あの声が届かないわけがない、と思った。

のちの時代のひとびとに/「ブレヒト詩集」

2012-02-21 15:37:50 | Books
のちの時代のひとびとに


そうなのだ、ぼくの生きている時代は暗い。
無邪気なことばは間が抜ける。皺をよせぬひたいは
感受性欠乏のしるし。笑える者は
おそろしい事態を
まだ聞いていない者だけだ。

なんという時代――この時代にあっては、
庭がどうの、など言ってるのは、ほとんど犯罪に類する。
なぜなら、それは無数の非行について沈黙している!
平穏に道を歩みゆく者は
苦境にある友人たちと
すでに無縁の存在ではなかろうか?

たしかに、どうやらまだぼくは喰えている。
でも、嘘じゃない、それはただの偶然だ。ぼくのしごとは
どれひとつ、ぼくに飽食をゆるすようなものじゃない。
なんとかなってるなら偶然だ。(運がなくなれば
おしまいだ。)
ひとはいう、飲んで喰え、喰えりゃあ結構だ、と。
だがどうして飲み喰いできるか、もしぼくの
喰うものは、飢えてるひとから掠めたもので
飲む水は、かわいたひとの手の届かぬものだとしたら?
そのくせぼくは喰い、ぼくは飲む。

賢明でありたい、と思わぬこともない。
むかしの本には書いてある、賢明な生きかたが。
たとえば、世俗の争いをはなれて短い生を
平穏に送ること
権力と縁を結ばぬこと
悪には善でむくいること
欲望はみたそうと思わず忘れること
が、賢明なのだとか。
どれひとつ、ぼくにはできぬ。
そうなのだ、ぼくの生きている時代は暗い。


ぼくが都市へ来たのは混乱の時代
飢餓の季節。
ぼくがひとびとに加わったのは暴動の時代、
ぼくは叛逆した、かれらとともに。
こうしてぼくの時がながれた
ぼくにあたえられた時、地上の時。

戦闘のあいまに食事し
ひとごろしにまじって眠った。
愛を育てもしたが、それに専念する余裕もなく、
自然を見ればいらだった。
こうしてぼくの時がながれた。
ぼくにあたえられた時、地上の時。

ぼくの時代、行くてはいずこも沼だった。
ことばのためにぼくは屋どもにつけ狙われた。
無力なぼくだった。しかし支配者どもには
ぼくがいるのが少しは目ざわりだったろう。
こうしてぼくの時がながれた。
ぼくにあたえられた時、地上の時。

ぼくらのちからは乏しかった。目的地はまだまだ遠かった。
でもはっきり見えていた、たとえぼく自身は
行き着けそうもないとしても。
こうしてぼくの時がながれた
ぼくに与えられた時、地上の時。


きみたち、ぼくらが沈没し去る潮流から
いつかうかびあがってくるきみたち、
思え
ぼくらの弱さを言うときに
この時代の暗さをも、
きみらの逃れえた暗さをも。
事実ぼくらは、靴よりもしばしば土地をはきかえて
絶望的に、階級間の戦いをくぐっていったのだ、
不正のみ行われ、反抗が影を没していたときに。

とはいえ、無論ぼくらは知っている。
憎悪は、下劣に対する憎悪すら
顔をゆがめることを、
憤怒は、不正に対する憤怒すら
声をきたなくすることを。ああ、ぼくたちは
友愛の地を準備しようとしたぼくたち自身は
友愛にのみ生きることは不可能だった。
だかきみたち、いつの日かついに
ひととひととがみな手をさしのべあうときに
思え、ぼくたちを
ひろいこころで。(1938)
(野村修・訳「ブレヒト詩集」飯塚書店1971)