徒然地獄編集日記OVER DRIVE

起こることはすべて起こる。/ただし、かならずしも発生順に起こるとは限らない。(ダグラス・アダムス『ほとんど無害』)

開幕

2012-03-10 09:22:03 | SHIMIZU S-Pulse/清水エスパルス11~14


と、朝っぱらから怒りモードはこれぐらいにして、今日はいよいよJ1開幕。
スカパーの車内吊りのポスターがあったので撮ってみたら大事なところ(エスパルス)が吊り革で隠れてしまった…。

今日は仕事しながらスカパーで開幕します。

名古屋グランパスVS清水エスパルス
解説:三浦淳寛 
実況:八塚浩
会場:豊田スタジアム
14:50KO
BS245/Ch.605/Ch.308

この国のエリート

2012-03-10 07:37:22 | News
この日、たまたま観た朝のワイドショーに、母と弟を福島に残し東京で働く牧場経営者が登場していた。「風評被害」をテーマに、彼は「東電を責めるのではなく…」と前置きをして自らの仕事への情熱を語っていた。
彼の情熱と信念は別として(事実彼は国際ジェラートコンテストに入賞するという実績を持つ人物である)、一体何を言っているのかさっぱりわからなかった。感動的なレポートを演出しながら、怒りしか沸いてこないというのはどういうことだろう。ディレクターはこんな中途半端な内容で視聴者が感動するとでも思っているのか。
風評の実体と責任の所在を曖昧にしたままの、このレポートで唯一理解できるのは、このレポートに登場した、立派に仕事を続ける人物は、結果的に東電と経産省にとって都合のいい福島県民であるということでしかない。

この国のメディアでは相変わらず批判と怒りはネガティブな感情でしかないらしい。
しかも単にネガがポジを浮かび上がらせるためだけの演出道具でしかないのならば、このメディアの「伝える力」には何の深化もない。無論、伝える力には「(視聴者を)育てる力」も含まれているはずだ。

去年、3月11日から何週間もBBCやCNN、NHK以外はほとんど観なかった記憶が蘇ってきた。
2012年になっても、やはりテレビは強力な広告マシンであり続ける。「テレビの外」では怒りや論争が渦巻いているってのに、いつまで彼らは都合のいい無意識と無関心を逆手にとって頬かむりをし続けるのか。
オレは明日、もう一度日本のテレビに絶望するだろう。

官僚は勿論、テレビマンやマスコミも一部のエリートで構成される。
この国のエリートは、一体何のためのエリートなのだ。

まあ勿論当然素晴らしい仕事をしている「エリート」さんたちもいるわけで、「一部は除く」と書くべきなんだろうが。

お茶を出せ/3.9経産省前抗議

2012-03-10 07:37:22 | News


オレが到着した頃は20、30人程度だったと思うのだけれども、20時を過ぎた時点で、100人を超える人たちが経産省前の抗議に参加した。もう雪になるんじゃないかというような猛烈な寒さの中で、である。
この夜も次々とスピーチのマイクを持つ人が現れた。
男性は概ね最初からキレ気味が多いのだけれども、女性の場合は始めは穏やかに、諭すように、または泣きを交えながら語るのだけれども、最終的にはブチ切れというのがこのところのパターンになっている。
それでいいのである。
オレたちは怒っているんだから。
オレたちは<学級委員>に手を挙げただけの人間に好き放題させるほどお人好しではないわけだ。

東電の西沢社長が「値上げは権利」と言い放ったように、オレたちには大臣と経産省に原発と再稼動を止めさせる権利がある。
「人として」と彼らに求め、責める人もいるわけだが、「子供を守る」のも「未来を守る」のも「原発を止める」のも「再稼動を止める」のも、言うまでもなく彼らの「仕事(の一部)」である。
そして彼らは誰にお願いされ、頼まれたわけでもなく、自分からその「仕事」を選んだのだ。
厳しい寒さの中で叫ばれるスピーチに耳を傾けるもの、当然彼らがしなければならない「仕事」なのだ。

やはり彼らは参加者に「温かいお茶」を出すべきだろう。

それは確認しておきたい。