徒然地獄編集日記OVER DRIVE

起こることはすべて起こる。/ただし、かならずしも発生順に起こるとは限らない。(ダグラス・アダムス『ほとんど無害』)

結果より内容か、内容より結果か/第1節 名古屋戦

2012-03-12 09:12:57 | SHIMIZU S-Pulse/清水エスパルス11~14
白崎「チームとしても前半からかなり良いプレーをしていたし、ただチャンスを決めきれなかったという問題だと思うので、やっていることは間違っていないと思いますし、自分もそこに力になれるように、1週間あるのでしっかり調整していきたいと思います」

河井「今日もみんな負けたという感じじゃなくて、しっかり戦えていたと思うし、このサッカーを続けていけば絶対に結果が出ると信じて、監督についていくだけなので。僕もしっかりそれに続いて、来週またしっかりアピールして、試合に出られるように良い準備をしたいです」
(以上、J's GOAL 3月10日付


ある意味完敗ならともかく、「内容はいいが…」という感想だけは書きたくなかったのだが結果的には思いっきりそんな「内容」になってしまった開幕名古屋戦
河井を中心にして縦へのスピード感に溢れていた前半と、枝村と交替で小野が入って遅攻が目立った後半ではゲーム構成は相当変わっていたのだが、概ねゲームを支配していたのは清水だった。勿論全体的にキレのない動きを見せていた名古屋がPKという実にラッキーな先制点を得たことで後ろに重心を移したことで「清水は攻めさせられた」という評価もできるわけだが、名古屋のプレーヤーのコメントを読む限り、それほど名古屋がゲームをコントロールし切れていなかったのは事実だろう(しかし闘莉王の相手へのリスペクトのなさは一体何なんだろう)。
ということで、内容は実にポジティブになれるものだったといえる。何しろ前半、ゲームの中心になっていた河井は今年のニューフェイスである。昨年は思ったような活躍ができなかった二年目のアンカー村松のボール奪取も素晴らしかった。取っても取られなくても不思議ではなかった問題のPKを取られてしまったものの、それ以外は安定したプレーを見せた吉田も、アクティブなプレーを連発したGK林も今年移籍加入したばかりのプレーヤーである。開幕直線に負傷や体調不良が続出してしまったチーム事情があったとはいえ、これだけ新加入で構成されたチームながら戦いぶりはかなり安定していた。
結果を出して欲しいと願っていただけに黒星スタートは残念で仕方がないのだけれども、やはりあの内容ならば今シーズンは期待せずにはいられない。
結果を求めつつ、どうしたって内容も捨て切れないというのは静岡人気質か。

と思っていたら、昨日はサテ組が大学生相手にちょっとあり得ないような大惨敗。何だかなァ…。

ちなみに一方の名古屋は戦術ダニルソン(もしくは戦術闘莉王)とでもいえるようなもので、ほとんど見るべきものはなかったのではないか。それでも結果を出すのがチャンピオンチームとは言えるのだが、あれでは結果が出なければ何も残らない。このゲームでも負傷者が出てしまったようだし、あのままでは、この先苦しくなる可能性は高いと思うのだが…。

ホーム開幕戦は今週土曜日、広島戦。
何とかして静岡に行きたい…。

アフシン「まずサッカーの話を始める前に、エスパルス、そしてエスパルスファミリーを代表して1年前に起こった震災についての話をしたいと思います。ここ1年間で日本人の強さ、そして良い国を再構築つまり復興してきたことを見てきました。日本に住む外国人として、日本のことを誇りに思っています」
J's GOAL 3月10日付

昨日は事実/3.11東京大行進、議事堂・官邸前抗議

2012-03-12 05:27:42 | News


昨日は3.11東京大行進に参加。
日曜日ということもあるのだろうけれども、昼頃に目が覚めると外はずいぶん静かなような気がした。

結局14時46分は東電本店前にたどり着く前に訪れてしまった。
だからと言って町は止まっているわけじゃない。普通に人々は電車に乗り、普通に歩き、新橋駅前では復興フェアなるイベントが開催されていた。その瞬間、黙祷を呼びかけていたのは街宣右翼のおじさんだけだったけれども、その呼びかけに応えた人はいたのだろうか。何もしなければ、何も気にかけずにいれば、そしてうっかり忘れてしまえば、14時46分はただの日曜日の昼下がりというだけで、時間はただ流れていってしまう。
東電前ではプチデモの@harusumikureさん(だよね?)がトラメガで抗議を続けていた。結局日比谷公園には行かずそのままデモ隊を待ち、先頭集団に合流。先頭はコールを主体にしたグループだったのだけれども、リズムをキープするドラムがいなかったせいか、ずいぶん性急なテンポでコールが続く。

ゴールの日比谷公園に着くと、そのままヒューマンチェーンに参加するために国会議事堂へ移動。
時折、雨粒が落ちてくる中、1万人を超える参加者が手をつなぎ、花とキャンドルを持ちながら国会議事堂を包囲した。
途中「充分人は足りている」というスタッフのアナウンスの一方で「本当は人が足りない」「デマが流れている」と叫ぶ人もいたのだが、あれは一体何だったのだろうか(おまえこそデマの張本人だろ、と思うのだが)。
そんな中、参加者に声をかけて回っていたたんぽぽ舎の原田さん@harada_hirofumiの存在は本当に安心感があったと思った(勿論すべてのスタッフの方々にも感謝)。

さらにヒューマンチェーンのあとは首相官邸前に移動。
早めに移動したので、官邸前の通行規制の近辺にいたのだが、ここが実に(相変らず)居心地が悪かった。儀式色の強い申し入れ、警備の機動隊に対して上等とばかりにモメる団体系参加者、あまりに理不尽な規制に憤る気持ちは分かるし、形式でしか通らない申し入れなのだから形式的であることも大事なのは分かるが、あの、いつもながらのダイレクト感のなさは如何ともしがたい。もうね、これなら本当に歩道でコールしていた方が余程マシなのである。
ダイレクトに「声を届ける」というのはそういうことでしかないんじゃないのか。

首相官邸前の抗議を終えて、経産省前のテントひろばに通りかかると、朴保さんがライブ中。ヒューマンチェーン帰りの人たちもそれなりに集まっていい感じになっているところで、関西弁のオヤジが突然怒り出した。「(歌の内容が)脱原発に関係ないやろ!」というのが彼の言い分なのだが、テントひろばの矛盾がこういう場面でも露呈してしまう。そもそも矛盾を抱えたままに継続しているテントひろばなのだから、こういう「まっとうな声」に対して粘り強く説明していくほかないのだがね。
ライブ中のシンガーに対して「歌」の内容について直接抗議するという「野暮」は別として。


Twitterのアケミbotから時々<昨日は事実、今日は存在、明日は希望>という「都市生活者の夜」の歌詞が流れてくるんだが、昨日は本当にそれを実感した。
オレ(たち)が2011年に継続してきたデモや抗議というのは、「事実」を積み上げるためにやっている行動なのであって、その事実を「ニュース」という。
しかし世間にはニュースにならないニュースが溢れていて、多くの事実は特定の連中の意図や計算に埋もれていく。それでも3.11国会議事堂包囲のヒューマンチェーン、首相官邸への“抗議”はニュースになった。
昨日は「事実」になったのだと思う。

ということで、一年後の3.11はさまざまな場面を見た。

9日の抗議と11日のデモで約一年間使ってボロボロになってしまった古いプラカードは捨てた。
今日からは新しいプラカードを用意する。「一周年」というのはそういう意味でもある。
萎えないために。

(追記)
<問題は、そのメッセージ性に、過剰反応する人々の「苦情」だが>
「脱原発の日のブログ」に、この夜のライブの“トラブル”について触れられていた。
しかし、いくら何でも「日本の風土によくある現代音楽知らず」とは…この言い草はないと思う。確かにあのオジさんも相当行儀が悪かったとはいえ、こんな説得で果たして本当に納得したのか。
あまりにもあっさりした「切り捨て方」に、ちと呆れるほかない。