徒然地獄編集日記OVER DRIVE

起こることはすべて起こる。/ただし、かならずしも発生順に起こるとは限らない。(ダグラス・アダムス『ほとんど無害』)

考えながら、それでも進む/3.19経産省前抗議

2012-03-20 17:29:59 | News


昨夜は経産省前抗議。
この夜は十代の子供たちまでマイクを持ちスピーチをしていたのだが、やはり平野君のスピーチは聞くものを呼び覚ます声のトーン、言葉の強さ、高揚感があり、もうちょっと、堂に入っているというか、本物の次元に行ったような気がした。名もなき人たちによる、リーダーなき行動に対して語弊はあるかもしれないけれども、さすがは「リーダー」である。
どんな時代にも、時代と場が育てる人物はいると思うのだが、彼はもはやそういう存在になっているのかもしれない。昨年の九電前での抗議で通りすがりのOLに「こわーい♪」と言われていた頃よりもさらに“成長”しているような気がする。

途中、右から考える脱原発ネットワークのデモ隊も合流して、抗議の声は一段と高まった(しかし、中心人物である針谷さんがこのところ繰り返している「3.11デモ」に対する見解とツイートは正直言って納得できるものではないけれども。まあこれは“内部”に向けてのパフォーマンスかもしれないが)。

しかし、ブログなのでぶっちゃけて書いてしまうが、抗議がこの形でこのまま続けばいずれは「集会」と変わらなくなってしまう可能性があると感じた。
煌々と明かりが灯り、時折職員の姿が窓から見えるとはいえ、物言わぬ建物に向かって吼え続けるのは実に我慢がいるものだ。それはそれでこちらの「本気」が試されているともいえるのだけれども、ルーチンになってしまう可能性は、やはりつきまとう。
この夜、職員が建物から出てきたときの抗議グループのテンションの違いを見ればそれは明らかだ。やはり、当事者を目の当たりにしたときこそ、テンションは上がる。
建物は象徴であり、確かに彼らは「そこ」にいるのだけれども、やはりオレ(たち)は建物に抗議しているのではなく、人間に抗議しているのだ。

さらにフラッシュモブ的な機動性を強めるか、正面玄関だけではなくすべての職員出入り口に抗議グループが待ち構えるぐらいのことをやった方がいいんじゃないかと思った。とはいえ、抗議の声がよりダイレクトに職員に向かったとき、警備の目がさらに強まる可能性は高いのだから、それはそれで悩ましいところではある。
ただ、抗議に並ぶ人たちは前回よりもさらに横に長く伸びていた。このまま季節が温暖になり、参加者が増えれば経産省を包囲だってできるんじゃないかと思わないこともない。

まあ、考えながら、悩みながら、そして我慢強く、それでも前に進んでいくしかないんだけれども。