徒然地獄編集日記OVER DRIVE

起こることはすべて起こる。/ただし、かならずしも発生順に起こるとは限らない。(ダグラス・アダムス『ほとんど無害』)

“遊び”と“インテリジェンス”

2012-04-08 23:54:21 | News
土曜日。寝ずに表参道へ。
予定されたリリース日から大幅に遅れている「ニッポンの歌(仮)」(音楽出版社)の巻頭インタビューで、きたやまおさむさん取材(の立会い)。現在、絶賛編集中の同書のリスト/ランキングではフォーク・クルセダーズと加藤和彦の存在の大きさが改めて見直されている(編集スタッフ内で)。ということで、きたやまさんにご登場を願った。

きたやまさんがパーソナリティーを務め、この春まで3年に渡ってNHKで放送されていた「レクチャー&ミュージック」はそれなりに聴いていたので御大の話しぶりというのはイメージ通りだったのだけれども、ご本人を目の前にするとさすがに説得力が違うわなというインタビュー内容になった。
きっちりとコピーライティングされたような、御大の名言の数々…は、これからオレがまとめる原稿を読んでいただくとして、震災・原発事故に言及した点があったので備忘録として書いておく。

きたやまさんは言う。
表現者のスタンスとして
「フォークルには“遊び”と“インテリジェンス”があった」と。
震災にせよ、原発事故にせよ
「ミュージシャンがそのスタンスすら表明しないのはインテリジェンスがないからではないか」と。

もう、それだけで深く頷いてしまうのである。
まあ、これはミュージシャンに限らないのだけれども。
改めて、あえて触れない、表明しないってのは、今を生きていないと同じことだと思った。
どんな人間でも、表現者であろうとするなら尚更のことだろう。

アケミは「オレたちはハーメルンの笛吹き男みたいなものかもしれない」と言った。
やはり、ミュージシャンであるならば、かくあるべきと思うのである。