スカパーで浦和戦。
まるで前節セレッソ戦をプレイバックするような展開で、文字通り、元紀とトシの両ウイングに「蓋をする」形で清水のパスワークを低い位置でいなしながら、ロングボールでカウンターを繰り出してくる戦いで、結果的にほぼ完全にゲームをコントロールされてしまった。
前節があまりにも「劇的」だっただけに、ホームとはいえ浦和が「清水のストロングポイントを消す」という堅い(ネガティブな)ゲームプランを選択する可能性も予想されただけに、もう少し何とかならなかったのかという思いは強い。
前半戦10節をハイプレスと両ウイングの活躍でかなり順調に戦ってきただけに、中盤戦では研究・対策されてくることも充分に考えられた。セレッソ戦、浦和戦はまさにそんなゲームになってしまったわけだ。
仙台が名古屋に爆勝してしまったので、首位との勝ち点差はまたもや開いてしまったが、まあ、まだシーズンは半ばにも達していないので(上位をキープしている限り)順位で一喜一憂しても仕方がない。まずは今後も続くであろう清水シフトに対して、いかに突破口を見出していくか。アフシンの腕の見せ所ではある。まあ、こんなときにエダがいたらなァ…とは思ったのだが。
しかし、改めて埼スタの「芝の重さ」は気になった。ゲーム前に水を撒いたそうだけれども、あのボールの走らなさ加減は間違いなく「浦和仕様」で、「アウエイ」なのだろう。それほどスピード感を感じさせない浦和のカウンターもあの芝の重さがあってこそなのだろうと思う。高速ピッチの日本平を見慣れているだけに久々にアウエイを感じさせた。
ということで話は変わる。
変わらないかもしれないが。
ゲーム後の記者会見でアフシンは浦和の(ネガティブな)戦い方に噛み付いた。
アフシン「浦和のようなプレーをして勝つよりも、清水のような戦い方をして負ける方がいいと思っている。我々のスタイルそのものがポジティブな要素だと思う。(中略)10人になっても我々はコンビネーションでチャンスを作れていたし、ビジョンも戦術も正しいものだと思う。今日は結果が出なかったが、次に出せればいい」(J's GOAL 5月19日付)
この意見にはまったく異存はない。なぜならアフシンはオレたちのリーダーなのだから。
サッカーというのは価値観の戦いでもある。
そういう意味でアフシンの発言は当然なのであって、そんなものはクライフ翁の言葉を持ち出すまでもなく、古今東西どこでも熱く語られてきたテーマでもある(まあ、さすがにクライフ流に「美しく戦っていた」とまでは思わないけれども…)。
ましてや清水には、良くも悪くも愚直なまでに「フェア」を尊ぶ土壌がある。それは保守的もいえるもので、それこそなかなかタイトルが取れなかった要因とも…いえなくもない。しかし、これは<とにかく何をしたって勝てばいい>という文化(マリーシア←死語?)とは対極にあるもので、オレたちが、天敵でもあったかつての鹿島や磐田のサッカー観を忌み嫌うというのもそういうことである。
そんな土地のクラブチームで指導者をしているアフシンがそう語ったって当たり前だし、それは正しいと思うのだ。
しかし、ペトロヴィッチが、今日のゲームのそれを「正しいサッカー観」だと言うのならば、<負け犬の遠吠え>と言わんばかりの反論はするべきではないんじゃないか。
ペトロヴィッチ「私は清水は素晴らしいチームで、ゴトビ監督も素晴らしいと思っているが、負けたあとで少し感情的になっていたのではないかと思う。我々は相手のやりたいサッカーにはまりたくないと思っていた。清水がやられたら嫌だと思うことをやるのがサッカーだと思う。相手のやりたいサッカーにはまれば負けるし、負けてしまえばそのあと何を言っても負けは負けだと思う」(J's GOAL 5月19日付)
そもそも彼の言う<やられたら嫌だと思うことをやるのがサッカー=ネガティブなサッカー>は、ペトロヴィッチがかつて広島で作り上げ、メッセージしてきたサッカー観にまったく反していると言えないか。
そして彼自身も理想に燃える指導者として広島時代にアフシンのような<遠吠え>を繰り返してきたはずではないか。
まあ、アフシンもここまで言い切ってしまったら後には引けないわけだ。
もちろん負けは負けで認めるべきだと思うが、理想に燃えるリーダーはそれでいいと思うのである。
もちろんオレは断固支持する。
今日出せなかった結果は、来週土曜日の次節マリノス戦で出す。
まるで前節セレッソ戦をプレイバックするような展開で、文字通り、元紀とトシの両ウイングに「蓋をする」形で清水のパスワークを低い位置でいなしながら、ロングボールでカウンターを繰り出してくる戦いで、結果的にほぼ完全にゲームをコントロールされてしまった。
前節があまりにも「劇的」だっただけに、ホームとはいえ浦和が「清水のストロングポイントを消す」という堅い(ネガティブな)ゲームプランを選択する可能性も予想されただけに、もう少し何とかならなかったのかという思いは強い。
前半戦10節をハイプレスと両ウイングの活躍でかなり順調に戦ってきただけに、中盤戦では研究・対策されてくることも充分に考えられた。セレッソ戦、浦和戦はまさにそんなゲームになってしまったわけだ。
仙台が名古屋に爆勝してしまったので、首位との勝ち点差はまたもや開いてしまったが、まあ、まだシーズンは半ばにも達していないので(上位をキープしている限り)順位で一喜一憂しても仕方がない。まずは今後も続くであろう清水シフトに対して、いかに突破口を見出していくか。アフシンの腕の見せ所ではある。まあ、こんなときにエダがいたらなァ…とは思ったのだが。
しかし、改めて埼スタの「芝の重さ」は気になった。ゲーム前に水を撒いたそうだけれども、あのボールの走らなさ加減は間違いなく「浦和仕様」で、「アウエイ」なのだろう。それほどスピード感を感じさせない浦和のカウンターもあの芝の重さがあってこそなのだろうと思う。高速ピッチの日本平を見慣れているだけに久々にアウエイを感じさせた。
ということで話は変わる。
変わらないかもしれないが。
ゲーム後の記者会見でアフシンは浦和の(ネガティブな)戦い方に噛み付いた。
アフシン「浦和のようなプレーをして勝つよりも、清水のような戦い方をして負ける方がいいと思っている。我々のスタイルそのものがポジティブな要素だと思う。(中略)10人になっても我々はコンビネーションでチャンスを作れていたし、ビジョンも戦術も正しいものだと思う。今日は結果が出なかったが、次に出せればいい」(J's GOAL 5月19日付)
この意見にはまったく異存はない。なぜならアフシンはオレたちのリーダーなのだから。
サッカーというのは価値観の戦いでもある。
そういう意味でアフシンの発言は当然なのであって、そんなものはクライフ翁の言葉を持ち出すまでもなく、古今東西どこでも熱く語られてきたテーマでもある(まあ、さすがにクライフ流に「美しく戦っていた」とまでは思わないけれども…)。
ましてや清水には、良くも悪くも愚直なまでに「フェア」を尊ぶ土壌がある。それは保守的もいえるもので、それこそなかなかタイトルが取れなかった要因とも…いえなくもない。しかし、これは<とにかく何をしたって勝てばいい>という文化(マリーシア←死語?)とは対極にあるもので、オレたちが、天敵でもあったかつての鹿島や磐田のサッカー観を忌み嫌うというのもそういうことである。
そんな土地のクラブチームで指導者をしているアフシンがそう語ったって当たり前だし、それは正しいと思うのだ。
しかし、ペトロヴィッチが、今日のゲームのそれを「正しいサッカー観」だと言うのならば、<負け犬の遠吠え>と言わんばかりの反論はするべきではないんじゃないか。
ペトロヴィッチ「私は清水は素晴らしいチームで、ゴトビ監督も素晴らしいと思っているが、負けたあとで少し感情的になっていたのではないかと思う。我々は相手のやりたいサッカーにはまりたくないと思っていた。清水がやられたら嫌だと思うことをやるのがサッカーだと思う。相手のやりたいサッカーにはまれば負けるし、負けてしまえばそのあと何を言っても負けは負けだと思う」(J's GOAL 5月19日付)
そもそも彼の言う<やられたら嫌だと思うことをやるのがサッカー=ネガティブなサッカー>は、ペトロヴィッチがかつて広島で作り上げ、メッセージしてきたサッカー観にまったく反していると言えないか。
そして彼自身も理想に燃える指導者として広島時代にアフシンのような<遠吠え>を繰り返してきたはずではないか。
まあ、アフシンもここまで言い切ってしまったら後には引けないわけだ。
もちろん負けは負けで認めるべきだと思うが、理想に燃えるリーダーはそれでいいと思うのである。
もちろんオレは断固支持する。
今日出せなかった結果は、来週土曜日の次節マリノス戦で出す。