12月3日(金) のち
いちじ
冬の嵐だ。強風と大雨。夜中の真っ暗な外は、風と雨の音がひどい。そんな中、5時、少し前、軽いエンジン音。新聞の配達だ。こんな嵐の中、大変だなと思いつつ、まだ30分ほどは、布団の中。
布団から出て、朝食の準備。6時過ぎには、母が便所に起きてくる。布団のチェックだ。今日は、珍しく、シーツは濡れていない。月に一度あるかないかのことだ。しかし、母は今日から、ショートステイだ。こう云うことは、昨日か、一昨日であってくれればよかったのにと思いながら、着替えの用意をする。今日から、ショートステイだから、その間に、シーツや、布団カバーを洗濯しておくよ、と云い、布団を片付ける。
外の風雨は、収まらない。まだ当分続きそうだ。そんなに急いで、洗濯をする必要はない。母が出かけたら、座布団カバーや、座イスのカバーも洗濯したい。一度で、済まないから、ゆっくりやろう。外仕事もできそうにないし。母の食事を準備して、部屋に運ぶ。犬の散歩は、後回しにしようと、ゆっくり起きてきた連れ合いも、鶏の世話だけは欠かせず、ひどい雨だと言いながら、朝食を取る。私は、3杯目か、4杯目かのコーヒーを飲みながら、ゆっくりと、新聞を読む。最近は、母が在宅中は、朝ゆっくりと新聞を読むことはできなくなっているから、珍しいことだ。
私は、食事作りは、この20数年、ずっと続けているが、他の家事は、ほとんど、と云うか、全くと云うほどやってこなかった。移住するまでは、食事作りもほとんどせず、連れ合い任せだった。(たまに、魚を下ろしたり、料理は嫌いでなかったが) そんな私が、この一年近く、母の世話をせざるを得なくなり、洗濯をするようになった。食事を作りながらの洗濯で、最初のころは、慣れてはいなかったので、水を大量に、垂れ流したし、二層式の洗濯機なので、30分も次の作業に移らず、洗濯機を遊ばせておいたりは、たびたびだった。
けれど、半年もすると、動きのパターンが、身についてくる。そうなると、自慢をするが、うまいものである。そつなく、短時間に、やれてしまうのだ。さらに、時間に余裕ができてくる。この数か月前ほどからは、連れ合いから、洗濯と云う家事を、奪い取った。起床と同時に、洗濯機に水をためる。ふろの残り湯があればそれを使う。まず、我々の衣類の洗濯だ。炊飯器をセットし、食事の支度と、同時進行。そして、半ば済んだ頃に、母が起きてきて、くだんの世話である。そんなことを済ませて、8時過ぎには、外に出て行く。
やってみると、家事とは、面白いものだと思えるようになった。しかし、夕方、帰ってきた連れ合いに、「洗濯ものがそのままだよ!」といわれることが、たびたびだ。自分自身の生活の中に入っていない、そんな家事が、まだまだ多い。
午後からは、作業場で、ヤマイモの整理。サツマイモの種イモの選別、貯蔵の準備。