12月5日(水) ときどき
晴天だったが、寒い一日だった。午前中は、出荷作業で、作業場で腰かけての作業なので、なおさら身に浸みる。午後は、花畑。夏秋野菜の片付け。アーチ、ネットを撤去して片づける。
所で、gooニュースに江川紹子が、今回の総選挙について、寄稿していた。ちょっと興味が湧いて、読んでみた。前半は、衆院選についてであり、まあ、そんなものだろうと思うような内容だった。で、2ページめを開くと。
最高裁裁判官の国民審査についてであった。「×10プロジェクト」に参加しませんかとあった。最高裁裁判官10人に「×」をつけるからだと云う。これには全く同感だ。
私自身、今まで、投票所に出かけた時は、この投票用紙には、すべて、無条件で、「×」を付けて、投票箱に入れてきた。国民による審査と言いながら、×印以外は、信任とすると云うやり方が気に入らなかったからだ。
しかし、それ以前に、最高裁の裁判官は、司法という分野での、国家権力機構で、今の体制を支えているにすぎないと思うからだ。三権分立だの、司法の独立性だのと、きれいごとを言ってはいるが、現実は、政治行政の補完物としての機能しか果たしていない。
今までの歴史を見れば明らかだ。原発裁判においても、ことごとく、住民側敗訴。住民訴訟において、住民の主張を認めたことがどれほどあるか。早い段階で、住民の主張を認めていれば、防げたことがどれほどあるか。どうにもならなくなってから、行政の敗訴を判断しても、すでに多くの住民は犠牲になってしまってからだ。多くの冤罪事件もそうだ。一票の格差についても、政治の責任でもあるが、最高裁判断が甘いから、政治の場でなめられているとしか思えない。
3.11の原発事故の責任のかなりの部分は、司法の側にもある。
「×10プロジェクト」 大賛成。その指止まる。
皆さんはどう思いますか。