1987年の洋楽ヒット曲を紹介するシリーズのPart34は、Sammy Hagarの"Give to Live"。最高位は8月29日付の第23位。年間チャートは圏外でした。
Sammy Hagarですが、アメリカカリフォルニア出身のロックミュージシャン、ギタリスト、ボーカリスト。活動を開始したのは60年代ですが、まずは世に知られるようになったのは、ハードロックバンド「モントローズ」のボーカリストとしてデビューします。
70年代中ごろから、ソロのロックミュージシャンとして活動を開始、ロックチャートではヒットもありましたが、レギュラーチャートでの初ヒットは80年代に入ってから、彼の7枚目のアルバムThree Lock Boxからのシングル"Your Love Is Driving Me Crazy"が最高位13位の初のシングルヒットとなります。こちらをご覧ください→→→
次のアルバム『VOA』からも、2曲のTop40ヒットが出ます。"I Can't Drive 55"が84年に最高位26位を記録しました。こちらをご覧ください→→→
そして、世界中のロックファンを驚かせたのが、1985年、ヴァン・ヘイレンへのボーカリスト兼ギタリストとしての加入です。デイヴィッド・リー・ロスの脱退で、ヴァン・ヘイレンはどうなってしまうのだろう、という心配を、サミー・ヘイガー加入後に作られたアルバム『5150』の大ヒットが吹き飛ばしてくれました。
ヴァン・ヘイレンのアルバム『5150』と、1988年にリリースされたアルバム『OU812』の間に作られたのが、この曲"Give to Live"が入った彼の9枚目のスタジオアルバム『I Never Said Goodbye』です。
契約の関係で、ソロアルバムをもう1枚作らなければならなかったので、作ったアルバムのようです。
"Give to Live"ですが、曲の作者はSammy Hagar自身。この曲も含め、アルバム全曲で、エドワード・ヴァン・ヘイレンがベースを担当しています。
多少、パワーバラードっぽいところもある、ポップロック。メロディアスな聞きやすいロックで、彼の4枚目のTop40ヒットとなりました。
この後、1996年まで10年以上Van Halenメンバーでの活動を続け、"When It's Love"などのヒット曲を出すことになります。
Sammy Hagarですが、アメリカカリフォルニア出身のロックミュージシャン、ギタリスト、ボーカリスト。活動を開始したのは60年代ですが、まずは世に知られるようになったのは、ハードロックバンド「モントローズ」のボーカリストとしてデビューします。
70年代中ごろから、ソロのロックミュージシャンとして活動を開始、ロックチャートではヒットもありましたが、レギュラーチャートでの初ヒットは80年代に入ってから、彼の7枚目のアルバムThree Lock Boxからのシングル"Your Love Is Driving Me Crazy"が最高位13位の初のシングルヒットとなります。こちらをご覧ください→→→
次のアルバム『VOA』からも、2曲のTop40ヒットが出ます。"I Can't Drive 55"が84年に最高位26位を記録しました。こちらをご覧ください→→→
そして、世界中のロックファンを驚かせたのが、1985年、ヴァン・ヘイレンへのボーカリスト兼ギタリストとしての加入です。デイヴィッド・リー・ロスの脱退で、ヴァン・ヘイレンはどうなってしまうのだろう、という心配を、サミー・ヘイガー加入後に作られたアルバム『5150』の大ヒットが吹き飛ばしてくれました。
ヴァン・ヘイレンのアルバム『5150』と、1988年にリリースされたアルバム『OU812』の間に作られたのが、この曲"Give to Live"が入った彼の9枚目のスタジオアルバム『I Never Said Goodbye』です。
契約の関係で、ソロアルバムをもう1枚作らなければならなかったので、作ったアルバムのようです。
"Give to Live"ですが、曲の作者はSammy Hagar自身。この曲も含め、アルバム全曲で、エドワード・ヴァン・ヘイレンがベースを担当しています。
多少、パワーバラードっぽいところもある、ポップロック。メロディアスな聞きやすいロックで、彼の4枚目のTop40ヒットとなりました。
この後、1996年まで10年以上Van Halenメンバーでの活動を続け、"When It's Love"などのヒット曲を出すことになります。
Van Halen加入後の初のアルバムですね。
レコード会社との契約の関係で作ったアルバムのようですが、Van Halen加入前に決まってたのでしょうね。
この時点で彼にとってはVan Halenの活動が主だったと思うので、付録的なソロアルバムでしょうか。
E.Van Halenは友情出演でしょうね。
何でバンヘイガーやってるのにソロ出してんの?とも思いましたっけ。それが今回教えてもらえましたので、次回からはそのあたり、みなさんにもこぼれ話を教えてもらいたいなあ。
「契約枚数」………うふふふ☺️
Sammy HagarのVan Halenへの加入は、私も驚きました。Sammy Hagarというと、ボーカリストというよりも、ギタリスト、というイメージがありました。Van Halenに入ったら、ギターが二人になっちゃうじゃないの?でしたが、加入してエドワード・ヴァン・ヘイレンがシンセサイザーを担当していたのにはまたビックリでした。ベースにはエドワード・ヴァン・ヘイレンも入っていて、おっしゃる通り「付録的なソロアルバム」でしたか。
Sammy HagarのVan Halenへの加入は、世界のロックファンを驚かしましたが、本人も想定外だったでしょうか。ソロアルバムをもっと出していく予定だったでしょう。予定外のVan Halenへの加入、予定外の大ヒットで、うまくいかないかと思いきや、Van Halen with Sammy Hagarは大成功でした。
この1曲を聞いても、その後のヴァン・ヘイレンが、いかにサミーの色を全面に出していたかがよくわかります。
もっとも、それがあったからこそ、サミー時代のヴァン・ヘイレンは、デイブ時代のヴァン・ヘイレンをも凌駕する成功をおさめられたわけですが。
ちなみこのアルバム『I Never Said Goodbye』の邦題は、『ヘイガ―・USA』です。
Sammy Hagarが作り、ボーカルを取るパワーバラード、この曲も、もっとヒットしそうですが、そこはやっぱりソロであり、ヴァン・ヘイレンとしての曲には届かなかったですね。
Sammy Hagarはヴァン・ヘイレンに加入して、ホント成功でした。
Van Halenへの加入は本人が一番驚いているのかもしれませんね。
Van Halenの初代ヴォーカルD.Lee Rothも3枚のソロアルバムを発表していますが、ソロアルバムではD.Lee Rothに軍配があがりました。
ただあれだけ個性の強いD.Lee Rothの後釜でも、グループの勢いを落とすことなくヒットが続いたのもS.Hagarも力もあったでしょう。
ちがうでしょー、ヘイガーUSAはその前のボイスオブナメリカだったはずですよ!誰か援護射撃お願いいたします。みんなで神田さんをOU812、ダメだよ食べちゃあ、で56してやりましょーよ!
そりゃそーと、契約枚数、やはり前にも書きましたが、クラッシュのサンデニスタの三枚組。早く移籍したかったんでしょーなー。普通、三枚組なんてあり得ないですよねー!しかもその後のコンバットロック、売れましたよねー?
でもね、⭐⛴️さんという「私はまんべんなくロックを応援していますよー❤️」なナイスガイの方は、サミーヘイガーの「ヨッラッビズドラービンミクレイゼー」はブログに載せながら、クラッシュの「ロックザキャスバ」はスルーされてるんですよ!こりゃなんかみんな、反旗を翻すべきべきなんじゃないんスかねえ!?
なんという援軍!確かにその通り、みんなも言わなきゃダメですよ!⭐⛴️さんの好みに合わせる前に神田さんとバナーさんの男気ロックに嬉しさ倍満ですよ!
マジ去年の「イートMアンドスマイル」とシングル「ヤンキーローゼ」、これをまさかスルーとはおもわなかったですよー!
そのクセその前の「キャリフォーニャガールズ」はしっかりとアピール!
こりゃみんな、⭐⛴️さんの好みを疑った方が良いと思いますぜ!だって、ヘイガーやっていながら、3年前は「2サイズオブラブ」を余裕でスルーなんですよ!ファーストしんぐるなのに!
とりあえず音時さん、黒漏れさん、前バリさんがどう思っておられるのかお訊きしたいな。
まじこのときのヘーガーのギフトウリブ、春先のウィナーテイクスイットオールなみに「要らんな!」でありました。
⭐⛴️さん、ゴメンナサイ
David Lee Rothはねぇ、個性強かったですよね。エドワード・ヴァン・ヘイレンのギターも個性強かったですが、それを上回ったかも。それでうまくいかなかったかもしれませんが。
Sammy Hagarは、そこまで個性的なボーカルじゃあなかったですから、かえってうまくいったのかもしれませんね。